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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2017/04/03

石山通り、南6条での幅員減少 ②

 昨日のブログのタイトルに誤りがありました。誤「石山通り、南条での幅員減少」→正「石山通り、南条での幅員減少」です。訂正します。

 本日はその続きです。ただし本題の「南6条での幅員減少」現象のまえに、寄り道します。
 昨日ブログで、石山通りが南3条あたりで札幌本府の南北軸から山鼻屯田のそれに変わる(つまり道が曲がる)ことを記しました。その歴史的経緯を古地図で辿ります。 
札幌市街之図明治24年 石山通り周辺
 「札幌市街之圖」1891(明治24)年から抜粋しました。青い○で囲ったのが、南3条です。赤い○は本題の南6条ですが、こちらは後述します。
 さて、南3条から北へ、南1条までをご覧ください。札幌本府の軸線と山鼻屯田の軸線がせめぎ合っているのが読み取れます。この地図がどこまで実態を正確に表現したかという疑問の余地はありますが(末注①)、どうもこの時代は二本の道があったか、またはいびつな道幅だったようです。

 「いびつな」と道幅いうのは、南3条を底辺、南1条を頂点とする三角形のごとき形状です。
札幌市街之圖明治36年 石山通り周辺
 「札幌市街之圖」1903(明治36)年の当該地点を見ると、道幅が三角形状です。この三角形はその後整形されて、札幌本府に合わせられる一方、南3条以南は山鼻屯田の軸線が残ります。

 本題に戻ります。
 南6条幅員減少現象はなにゆえ生じたか? 前掲2枚の古地図を見ると、石山通り周辺は南3条以北と以南で道路幅員が異なっています。以北が札幌本府が敷衍した呈をなして広幅員である一方、以南は狭い。
 単純素朴に考えれば、明治~大正期、市街地が拡大していったことに伴い、中心部と山鼻を結ぶ基軸たる石山通りの幅員を順次、南へ広げていった…。しかしそれだけでは面白くありません。もう少し妄想を巡らせたい。
 国土地理院の地形図をたどっていくと(末注②)、市街地は大正時代~昭和戦前期、石山通りに貼りついてきているのですが、南3条以南の道幅は狭いままです。南6条まで幅員が広げられるのは、昭和戦後になってからです。その間に何があったか。

注①:この種の市街地図(後掲の明治36年図も)は民間人が発行元である。国土地理院(の前身の陸軍陸地測量部)など公的機関の測量が反映されているかどうか? 方位は明示されておらず、札幌本府の南北軸を上下としている。
注②:「今昔マップon the web」サイトがまた役に立ちました。ありがとうございます。
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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