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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2016/11/10

カクサボシ橋 追記

 本年7月27日ブログで、清田区にあった「カクサボシ」という名前の橋について記しました。
 ↓
http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-735.html

 後日、札幌建築鑑賞会スタッフSさんから、中央区にある「北海寺」というお寺に寄進した「新田家」の印が「カクサボシ」であるという情報をいただきました。

 北海寺は南3条東4丁目にあります。
北海寺 伽藍
 法華宗の古刹です。

 お寺の境内に、札幌軟石でできた碑があります。
北海寺 南無妙法蓮華経碑
 「南無妙法蓮華経」か。

 この碑の背面に為書きが刻まれています。
北海寺 南無妙法蓮華経碑 背面
 「為 新田家先祖累代… 発願主 函館 新田… 明治四十四年十月」という文字が読み取れます。

 さて、この寺にゆかりのある新田家と清田区にあったカクサボシとが、一体どうつながるのだろうか。
 その前にまず、「カクサボシ新田」についておさらいしておきます。

 明治時代、南2条西1丁目に「カクサボシ新田商店」がありました。
札幌区実業家案内双六 新田商店
 画像は「札幌区実業家案内双六」1903(明治36)年に描かれたものです。

 『さっぽろ文庫50 開拓使時代』1989年の「第4章 人物編」に、「新田貞治」について記されています(p.285)。以下、引用します。
 文政七年(一八二四)越後国南蒲原郡の酒商に生まれたが、明治二年わずかな資金と古本を携えて函館にきた。小間物業と貸本を開業したが、札幌の有望なことを聞いて移住。南一条西一丁目の旅館秋田屋の一角を借りて呉服や小間物を扱った。商売は順調に伸び、のち同じ秋田屋に店を開いた今井藤七なども、商品を卸して貰って営業したことがあるという。明治十年には秋田屋の宅地及び家屋を二五円で買い受け、店舗を改築して営業を拡大した。当時では札幌一番の大商店だったという。開拓使の用達をつとめ、工業局製造のビールや缶詰、さらに東京青山試験場でつくっていた茶なども販売した。
 そのうちに今井藤七が呉服店を開業したので、同十三年競争を避けて呉服物取り扱いをやめ、荒物雑貨を専業としたが、その後も商売は隆盛を続けている。
 ところが実子の織之助は商売嫌い。借家や貸金の管理に打ち込み、商売を一族のものに一任してしまう。その管理を任された責任者が雑穀の投機に走り、小豆暴落の煽りを受けて大損害を出してしまった。
 そうこうするうちに同三十二年、貞治が七十六歳で没し、それを追うように織之助も三十四年に早逝する。
 このときから家運は頓に衰え、同四十年四月、遺産二五万円をもって負債の一部を整理し、閉店するに至った。
 

 この文献ではカクサボシ新田の所在地は南1条ですが、前掲「双六」の絵図では2条となっています。他の史料でも南1条と書かれているものもありますが、南1条(の南半分)と2条(の北半分)は同じ街区です。新田商店は隆盛時、店舗が連坦していたと思われます。

 とまれ、カクサボシ新田商店は明治時代、札幌の大店でした。 [つづく]
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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