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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2014/10/05

方面事業協會

昨日のブログで、戦時中の「建物疎開」について、「軍需工場の周囲でもそういうことがあったのですね」と記しました。
これは私の認識不足で、「軍需工場の周辺だからこそ、疎開があった」というべきでした。越澤明先生の著書を読み直して、訂正します。

「建物疎開」というコトバは戦後世代には馴染みがないと思いますので、越澤先生の著述から以下引用します。
「建物疎開とは一種の破壊消防であり、密集建物を除却することにより、強制的にオープンスペース(延焼阻止帯、避難路、広場)と防火区画をつくり、重要施設の類焼を防ごうとするものである。(中略) “疎開”というと今日ではすぐ学童疎開が思い出されるが、この言葉は元来、防空都市計画の専門用語であり、ドイツ語Auflockerungを内務省の北村徳太郎、小栗忠七が訳した造語である」(『東京の都市計画』1991年、p.184)。

立派な石蔵を持つ地主のHさんにして母屋が比較的こじんまりしていたのは、建物疎開という“負の遺産”のしからしめるものでした。これはある意味、札幌の“戦跡”といえるかもしれません。ついでながら「負の遺産」というコトバは越澤先生の造語で、本来は別の意味で用いられています(『東京都市計画物語』2001年、p.365)。

閑話休題。
Hさん宅の玄関を拝見して、眼が留まりました。
方面事業協会
何やら見慣れぬ金属製の標札が貼られています(赤矢印)。

これを拡大すると…。
方面事業協会②
「方面事業協會」。
これまた、聞き慣れぬコトバです。
上に「財團法人札幌市」、下に「通常賛助員章」とあります。
古くからのお宅を路上観察する人には、このタグイの標札は見逃さないでしょう。自称“お宅オタク”の私も、平均的札幌市民よりはマメに観察しているほうだとは思いますが、この「方面事業協會」を見たのはHさん宅が初めてです。

『新札幌市史 第八巻 年表・索引編』2008年 をひもといたら、ちゃんと「札幌市方面事業協会」が載ってました。
『新札幌市史 第四巻 通史四』1996年(p.782-783)及び『第五巻 通史五(上)』2001年(p.709)に、以下のことが記されています。
1932(昭和7)年、「救護法」により定められたのが「方面委員」です。札幌でも委員が嘱託されます。その方面委員が「市民の生活状態、方面事業の調査研究、要保護者救護の徹底、貧窮者に対する少額資金の融通など」をするための後援組織として、「札幌市方面事業助成会」がつくられました。これが1937(昭和12)年、「財団法人札幌市方面事業協会」に改組されます。同協会は貧困者の救済と生活向上のために活動しました。
戦後1946(昭和21)年、方面委員は「民生委員」に改められ、救護法から「生活保護法」の時代になります。

以上のことから、Hさん宅の標札は1937年から46年の間に貼られたものと推察されます。
歴史書に活字で載っているコトを実物で拝見すると、実感が湧いてきます。
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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