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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2015/07/25

東本願寺の立地 再考

 7月22日に続き、高見沢権之丞絵図です。
高見沢権之丞 絵図 一の宮
 方位は上を北にしました。開拓草創期の札幌を描いたこの絵図は見ていて飽きないのですが、今回の注目は黄色の○で囲ったところです。

 その部分を拡大します。
高見沢絵図 一の宮拡大
 赤い傍線を引いたところと黄色の○で囲ったところ。

 といっても、文字が逆さなので、図を180度回転します。
高見沢絵図 一の宮附近 拡大 上下反転
 赤い傍線のところに「一ノ神宮」と書かれ、黄色の○で囲ったところに鳥居が描かれています。
 北海道神宮の前身たる「一の宮」です(末注①)。
 この「一の宮」が置かれた位置が、気になりました。

 次なるは船越長善の絵図です。
船越長善絵図 本願寺位置
 これも上を北にしました。黄色の○で囲ったところに「本願寺」と書かれているのは、以前にも紹介したとおりです(7月1日ブログ参照)。また、「なんで、ここに東本願寺が開かれたのか?」についても、前に言及しました(4月16日ブログ参照)。しかし、決定的な理由には至りませんでした。 

 このたび、冒頭の高見沢絵図に描かれた「一の宮」に位置から、想いを巡らせました。
 「一の宮」が札幌本府の北東に位置するのに対し、本願寺は南西に在ります。
 これは陰陽道にいう、鬼門と裏鬼門ではなかろうか。

 と妄想したきっかけは、陣内秀信先生の『東京の空間人類学』1992年を最近手にした影響です(末注②)。東京の都市形成史を「江戸」からの継承という文脈で論じ、「江戸」の成り立ちを地形との関係で読み解いた陣内先生です。こんにちのブラタモリに通じるこの視点を体系化した第一人者だと思います。近代東京と近世江戸を重ね合せたのは、画期的だった。

 札幌に話を戻すと、船越の絵図で「一の宮」はすでに北東の位置になく、「圓山」のふもとに「札幌神社」が書かれています。本願寺も、まとまった土地(しかも地形的に低湿でない)として、たまたまこの場所が良かったにすぎないのかもしれません。陰陽道説がこれまで唱えられたことがあるか、管見では知らないのですが、どんなものでしょう。

注① 『さっぽろ文庫39 札幌の寺社』1986年、pp46-47参照
注② 江戸城からみて東北の鬼門に寛永寺が、南西の裏鬼門に増上寺が建立されたのは陰陽道に従ってのことだという(陣内同書p.32)。  
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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