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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2022/01/16

新川の上流はなぜ、琴似川と呼ばれるか? 再考③

 一昨日昨日と綴ってきた標題で、思い出したことがあります。

 昨年8月26日に載せた地図です。
現在図 下野幌倶楽部 上野幌3号架道橋
 野津幌川の上流域を水色でなぞって示しています。図の上方(北)が下流、右下方(南東)が上流です。橙色で囲った「上野幌駅」(JR千歳線)のやや南方で、南西方面から支流が注いでいます。「大曲川」です。同日ブログでは、この大曲川がもともと野津幌川だったことを記しました。ある時期、川の名前が変わったのです。

 野津幌川、大曲川の流域を、別の地図で俯瞰します。
北広島市河川図
 『北広島市史 上巻』2007年掲載の「北広島市河川図」に、野津幌川を濃い青、大曲川を水色でなぞりました(方位はおおむね1時半の向きが北)。

 その流域を拡大します。
北広島市河川図 野津幌川、大曲川
 添えられた川名に矢印を付けました。濃い青の先が野津幌川(3.2㎞)、水色の先が大曲川(9.2㎞)です。カッコ内の㎞は、両川の合流点からの距離とみられます。野津幌川よりも大曲川のほうが長い。野津幌川を本流の川名とするならば、大曲川は支流です。支流の方が本流より長いことになります。

 両川の流域を色別標高図でも確かめました。
色別標高図 野津幌川 大曲川
 白ヌキでなぞったのが両川です。それぞれの最上流部は、野津幌川が赤い矢印、大曲川は白ヌキ矢印の先に当たります。長さだけでいうと、支流たる大曲川のほうが本流たる野津幌川(の両川合流点からの上流部)よりもはるかに長いのは明らかです。
 
 「本支流を決定する学術上の定義はないというが、流量の多少や流域面積の大小がその目安とする見方があるようだ」とすると(末注①)、長さだけでなく「流量の多少や流域面積の大小」からみて両川はどうでしょうか。
 『北広島市史 上巻』には「本流と支流の模式図」が載っています。
北広島市史 河川模式図
 野津幌川を濃い青、大曲川を水色でなぞりました。野津幌川は、大曲川との合流点より上流部でも多くの支流が注いでいます。前掲の色別標高図に鑑みても、流域面積となると微妙です。線的には大曲川のほうが長く、面的には野津幌川のほうが大きいかもしれません。

 野津幌川と大曲川は「ある時期、川の名前が変わったのです」と前述しました。いつ、どのような理由で変わったのでしょうか。『北広島市史 上巻』は次のように述べます(p.5、引用太字)。
 豊平川水系の野津幌川は、水源となる大曲の一部と西の里地区の小河川を集め札幌市厚別区上野幌を経て豊平川に注ぐ。野津幌川の支流の大曲川は明治前期まで野津幌川と呼ばれていた川で、本流より支流の大曲川のほうが河川延長は長い。
 川名が変えられた理由までは言及していません。「大曲川は明治前期まで野津幌川と呼ばれていた川」といいますが、諸史料に照らすと「明治前期」よりも後々でも現大曲川が野津幌川と呼ばれてもいたようです(末注②)。

 「本流支流を決める決め方はなく、住民の生活の中で決まってきたようだ」(末注③)。野津幌川、大曲川の川名変更も、明確な基準とか考え方に基づいてというよりは、地域住民の呼び慣わしで決められたように私には思えます。その理由はひとまず措くとして、「流量の多少や流域面積の大小」を根拠として本流=野津幌川、支流=大曲川と分けたとはどうも思えないのです。
 結論的に何が言いたいかというと、標題に戻ります。昨日ブログの後段で私は、「“原則”と“現実”の妥協の産物で落ち着いた」と述べました。ここでいう原則とは、行政的な立場からの人為的な決め事です。かたや現実というのは、自然の成り行きとか人々の慣わしと言い換えられます。前者と後者は相互に影響し合うこともあり、必ずしも対立するとは限りません。どちらかが正しいとか誤りだとは、一概にも言い難い。という前提ではありますが、新川・琴似川、野津幌川・大曲川の川名の移り変わりを眺めたとき、前者後者のさまざまなせめぎ合いが伝わってきます。個人的には、新川の上流部は琴似川に変えなくても新川のままでよかったのではないかと思うし、野津幌川も合流点の上流部で名前を変えたことには疑問をぬぐえません。しかし、拙ブログはこれらのたまものでもあります。せめぎあいや矛盾、珍現象の妙味を楽しみ、味わいたいものです。

 注①:榎本洋介「どこまでが新川か?」『公文書館だより』第9号2021「本流支流を決める決め方はなく、住民の生活の中で決まってきたようだ」。年12月
 注②:『白石村誌』1921(大正10)年添付の「白石村全図」では、現大曲川に野津幌川と書き添えられている(2021.8.26ブログ掲載)。「江別町白石村境界変更図」1913年、同1918年でも、同様に現大曲川に野津幌川と記されている。一方、1/25,000地形図「月寒」1930(昭和5)年発行では大曲川とある。
 注③:注①に同じ


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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
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