札幌時空逍遥
札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願
軽川は手稲のたまもの
「手稲山地すべり地形分類図」(末注①)から、町の成り立ちの一端が読み取れるような気がします。
実線付きの○数字を加筆しました。
橙色①:弥彦神社(5月12日、13日、14日ブログ参照)
同②:手稲神社(昨日ブログ参照)
これまで綴ってきた橙色①②のみならず、これから記す赤③④⑤も「流れ山」に立地しています。
赤③:手稲消防署(手稲本町2条5丁目)
標高図に照らしても小高くなっていて、火の見上も都合が良かったのではないかと想像しました。
消防署の北側です。
南から北を眺めました。前掲図によると、画像左方の小丘が流れ山のようです。この丘の上に老人クラブの会館と幼稚園があります。その付近には「三峯神社」があったそうです(末注②)。
赤④:手稲墓地(手稲本町4条4丁目)
このあたりを扇状地と早とちりしていたとき(5月2日、9日ブログ参照)、「ここに墓地が設けられたのはなぜ?」と想ったのですが、流れ山と知ってこれまた一人合点がいきました。近代的墳丘墓か。
赤⑤:祥龍寺(稲穂2条1丁目)
手稲区の古刹と聞きます。曹洞宗で、山号は瑞雲山。お寺も山に建つ。
舎利殿です。
お釈迦様も流れ山の岩塊で涅槃する。かくして、大事な施設は要所に立地したと窺えます。
手稲の町の各地にはかつて、ミニジャンプ台があちこちに造られました(末注③)。手稲神社、弥彦神社のほかに、竹内山、田巻山、藤川山、秋葉山。神社は先述のとおり、地質学者Mさんによると竹内山以下も流れ山の斜面を利用した可能性があります。NHKブラタモリ風になぞらえると、手稲のスキージャンパーは5万年前の流れ山から飛び立った?
注①:山崎茜「手稲山の大規模地すべりについて」北海道教育大学札幌校卒業論文2006年(5月9日ブログ参照)
注②:『手稲神社史』2000年p.64。その祭神「三峯大神」は現在、弥彦大神と同じく手稲山頂の手稲神社奥宮に合祀しされている。
注③:『手稲でみつけた手稲の話』2020年所収pp.40-41「№16 手稲にはスキージャンプの種がまかれている」
実線付きの○数字を加筆しました。
橙色①:弥彦神社(5月12日、13日、14日ブログ参照)
同②:手稲神社(昨日ブログ参照)
これまで綴ってきた橙色①②のみならず、これから記す赤③④⑤も「流れ山」に立地しています。
赤③:手稲消防署(手稲本町2条5丁目)
標高図に照らしても小高くなっていて、火の見上も都合が良かったのではないかと想像しました。
消防署の北側です。
南から北を眺めました。前掲図によると、画像左方の小丘が流れ山のようです。この丘の上に老人クラブの会館と幼稚園があります。その付近には「三峯神社」があったそうです(末注②)。
赤④:手稲墓地(手稲本町4条4丁目)
このあたりを扇状地と早とちりしていたとき(5月2日、9日ブログ参照)、「ここに墓地が設けられたのはなぜ?」と想ったのですが、流れ山と知ってこれまた一人合点がいきました。近代的墳丘墓か。
赤⑤:祥龍寺(稲穂2条1丁目)
手稲区の古刹と聞きます。曹洞宗で、山号は瑞雲山。お寺も山に建つ。
舎利殿です。
お釈迦様も流れ山の岩塊で涅槃する。かくして、大事な施設は要所に立地したと窺えます。
手稲の町の各地にはかつて、ミニジャンプ台があちこちに造られました(末注③)。手稲神社、弥彦神社のほかに、竹内山、田巻山、藤川山、秋葉山。神社は先述のとおり、地質学者Mさんによると竹内山以下も流れ山の斜面を利用した可能性があります。NHKブラタモリ風になぞらえると、手稲のスキージャンパーは5万年前の流れ山から飛び立った?
注①:山崎茜「手稲山の大規模地すべりについて」北海道教育大学札幌校卒業論文2006年(5月9日ブログ参照)
注②:『手稲神社史』2000年p.64。その祭神「三峯大神」は現在、弥彦大神と同じく手稲山頂の手稲神社奥宮に合祀しされている。
注③:『手稲でみつけた手稲の話』2020年所収pp.40-41「№16 手稲にはスキージャンプの種がまかれている」
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