札幌時空逍遥
札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願
電修場踏切跡に架かる架道橋
昨日ブログでお伝えしたJR函館本線「電修場踏切」の跡地で、また気になる事案に引っかかりました。
踏切の後にできた架道橋の名前です。

「琴似9丁目架道橋」という銘板が貼られています。
琴似9丁目?
現在の琴似○条○丁目の町名には、「9丁目」はありません。この架道橋の所在地は昨日記したとおり「西区二十四軒4条1丁目」であり、鉄路の北東側は八軒1条東2丁目と東3丁目です。二十四軒も八軒○条東も、9丁目はやはりありません。
琴似9丁目というのは、古い町名でしょうか。電修場を確かめるために見た住宅地図(ゼンリン1969年)では、鉄路の南西側は「琴似二十四軒」でした(末注①)。現在の条丁目になる前は二十四軒○番地だったとみられます。現在の琴似○条○丁目の区域に、かつて琴似○丁目という時代があり、9丁目があったのでしょうか。
地図をさらに遡りました。

「札幌郊外円山町琴似軽川明細図」1938(昭和13)年からの抜粋です(方位はおおむね3時の向きが北)。
当時の琴似村の市街地に○丁目と書かれています。黄色の□で囲ったところです。琴似本通に直交して、南のほう(画像上は左上)から北(右下)へ一丁目、二丁目、三丁目…と付けられています。この地図で書かれているのは八丁目までですが、函館本線の近くは九丁目になりそうです。現在の架道橋の位置に「琴似九丁目」という地名の時代があったことを想像させます。
前掲銘板によると、架道橋の竣功年は1984(昭和59)年です。町名はとっくに琴似○条○丁目の時代ですが、旧地名が生かされたことになります。なぜ、昔の名前が復活したのか。
札幌市地図情報サービスで市道名を調べました。

赤い◯で囲った地点が本件琴似9丁目架道橋の位置です。架道橋の下から鉄路に沿って鉤の手に、市道を黄色でなぞりました。この鉤の手の市道名が「琴似9丁目線」です。旧地名が市道名で生き残っていました。架道橋を命名する際に、下を通る市道の名前を援用したのでしょう。「琴似9丁目線架道橋」ではなく「琴似9丁目架道橋」として、一見しては道路名由来と気づかせないところが心憎い(末注②)。
本件架道橋も(あえて、「も」という)名残物件と認定したい。踏切は消えましたが、架道橋に名残の精神が受け継がれたのは慶ばしい限りです。架道橋、侮れません。余談ながら、この地図で鉄路の北東側沿いの市道名が「札幌軽川間線」だと知りました。この軽川は停車場名ですね。
注①:同じ年版の別のページには「琴似町二十四軒」と書かれている。
注②:4月5日ブログに記した泰和踏切跡の架道橋名は「宮の森北24条通架道橋」である。都市計画道路名「宮の森・北24条通」に基づくと、橋名にも「通」と付く。本件琴似9丁目架道橋の一つ桑園駅寄りの架道橋名は「24軒通架道橋」と、やはり「通」が付いている(24は算用数字で表記)。では「二十四軒通」という都市計画道路名があるのかと探したが、見当たらない。橋の下の市道名は「二十四軒4条線」である。謎が謎を呼んでしまう。
踏切の後にできた架道橋の名前です。

「琴似9丁目架道橋」という銘板が貼られています。
琴似9丁目?
現在の琴似○条○丁目の町名には、「9丁目」はありません。この架道橋の所在地は昨日記したとおり「西区二十四軒4条1丁目」であり、鉄路の北東側は八軒1条東2丁目と東3丁目です。二十四軒も八軒○条東も、9丁目はやはりありません。
琴似9丁目というのは、古い町名でしょうか。電修場を確かめるために見た住宅地図(ゼンリン1969年)では、鉄路の南西側は「琴似二十四軒」でした(末注①)。現在の条丁目になる前は二十四軒○番地だったとみられます。現在の琴似○条○丁目の区域に、かつて琴似○丁目という時代があり、9丁目があったのでしょうか。
地図をさらに遡りました。

「札幌郊外円山町琴似軽川明細図」1938(昭和13)年からの抜粋です(方位はおおむね3時の向きが北)。
当時の琴似村の市街地に○丁目と書かれています。黄色の□で囲ったところです。琴似本通に直交して、南のほう(画像上は左上)から北(右下)へ一丁目、二丁目、三丁目…と付けられています。この地図で書かれているのは八丁目までですが、函館本線の近くは九丁目になりそうです。現在の架道橋の位置に「琴似九丁目」という地名の時代があったことを想像させます。
前掲銘板によると、架道橋の竣功年は1984(昭和59)年です。町名はとっくに琴似○条○丁目の時代ですが、旧地名が生かされたことになります。なぜ、昔の名前が復活したのか。
札幌市地図情報サービスで市道名を調べました。

赤い◯で囲った地点が本件琴似9丁目架道橋の位置です。架道橋の下から鉄路に沿って鉤の手に、市道を黄色でなぞりました。この鉤の手の市道名が「琴似9丁目線」です。旧地名が市道名で生き残っていました。架道橋を命名する際に、下を通る市道の名前を援用したのでしょう。「琴似9丁目線架道橋」ではなく「琴似9丁目架道橋」として、一見しては道路名由来と気づかせないところが心憎い(末注②)。
本件架道橋も(あえて、「も」という)名残物件と認定したい。踏切は消えましたが、架道橋に名残の精神が受け継がれたのは慶ばしい限りです。架道橋、侮れません。余談ながら、この地図で鉄路の北東側沿いの市道名が「札幌軽川間線」だと知りました。この軽川は停車場名ですね。
注①:同じ年版の別のページには「琴似町二十四軒」と書かれている。
注②:4月5日ブログに記した泰和踏切跡の架道橋名は「宮の森北24条通架道橋」である。都市計画道路名「宮の森・北24条通」に基づくと、橋名にも「通」と付く。本件琴似9丁目架道橋の一つ桑園駅寄りの架道橋名は「24軒通架道橋」と、やはり「通」が付いている(24は算用数字で表記)。では「二十四軒通」という都市計画道路名があるのかと探したが、見当たらない。橋の下の市道名は「二十四軒4条線」である。謎が謎を呼んでしまう。
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