FC2ブログ

札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2021/04/06

函館本線 電修場踏切跡

 JR函館本線の「今は亡き踏切で私が気になった名前のもの」を続けます。なお昨日ブログで記した泰和踏切と近くで脇見した電柱銘「日の丸幹」については補完したいことがありますが、ひとまず措いて先に進みます。

 琴似駅寄りの「電修場踏切」跡です。
函館本線 電修場踏切跡
 西区二十四軒4条1丁目、JR高架の北東側から南西方向を眺めました。踏切跡は高架をくぐった先の道路のあたりです。

 「電修場」というのは何となく国鉄の施設を想わせます。図書館で古い住宅地図を見たら案の定、鉄路の南西側に「札幌鉄道管理局札幌電修場」と書かれていました。上掲画像で高架の奥には高層マンションが写っています。電修場はこの敷地の隣(画像上では右方、琴似駅寄り)にありました。現在のポリテクセンターの場所です。マンションのところには道立寒地建築研究所(寒地住宅都市研究所)がありました。記憶はあやういものです。私は、寒地研の跡地にポリテクセンターが建ったと勘違いしていました。

 電修場とは何(だった)か。これも字面からですが、国鉄の電気設備の保守修繕部門と想像しました。日本国有鉄道北海道総局『北海道鉄道百年史 中巻』1980年によると、もともとは「電気修繕場」で、1936(昭和11)年に「電修場」となり、1942(昭和17)年から前述の場所に設けられたそうです(p.21)。1969(昭和44)年に「札幌信号検査区」、1977(昭和52)年に「札幌電気区札幌検修センター」と名前が変わりました(同p.663)。函館本線が高架化されたのは1988(昭和63)年です。踏切の名前はたぶん、そのときまで「電修場」で続いていたことでしょう。では後身たる札幌検修センターはいつまでここにあったか。ポリテクセンターが建てられるときまでだと思いますが、それがただちにはわかりません。1996(平成8)年にここで遺跡を発掘調査されました(末注)。そのときには移転していたことになります。では札幌検修センターはどこにいったか。前述引用の『北海道鉄道百年史』は1980(昭和65)年の刊行なのでそこまで載ってません。JR北海道のウエブサイトを見てもよくわかりません。保安上の問題もあるので、世間にあまねく知らせることでもないのでしょう。

 前掲の踏切跡からわりと近いところに、「札幌保線所」という施設があります。
JR北海道 札幌保線所
 桑園駅寄りです。「保線」だから、電気とは直接関係はないかもしれません。しかし、ちょっと惹かれたので載せます。

 なぜ惹かれたかというと、一隅に下掲の物件を見かけたからです。
JR北海道 札幌補選所 百葉箱
 百葉箱。昔ながらの風情で立っています。「そうか、保線だもんなあ」と妙に合点がいきました。箱の中を見たら、これまた昔ながらの水銀計?が掛かっています。JRの保線担当の社員さんはきっともって(北海道弁)、夏場はこの百葉箱を開けて「お、今日は気温が高いぞ。レールに水をかけてこよう」と出動しているに違いない。
 また脇見をしてしまいました。

 注:札幌市文化財課『札幌の文化財』2010年、p.35。そのとき土偶をはじめ縄文時代の遺物が出土し、札幌市の有形文化財に指定された。
スポンサーサイト



≪ 電修場踏切跡に架かる架道橋ホーム泰和踏切の跡 ≫

Comment

コメントの投稿

管理人にのみ表示する

Track Back

TB URL

Home

 

プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

カレンダー

03 | 2021/04 | 05
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

最新記事

最新コメント

カテゴリ

閲覧者数(2015.9.4からカウント)

検索フォーム

ランキング

↑ クリックすると、ランキングが見れます。

月別アーカイブ

管理画面

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

最新トラックバック