札幌時空逍遥
札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願
函館本線 電修場踏切跡
JR函館本線の「今は亡き踏切で私が気になった名前のもの」を続けます。なお昨日ブログで記した泰和踏切と近くで脇見した電柱銘「日の丸幹」については補完したいことがありますが、ひとまず措いて先に進みます。
琴似駅寄りの「電修場踏切」跡です。

西区二十四軒4条1丁目、JR高架の北東側から南西方向を眺めました。踏切跡は高架をくぐった先の道路のあたりです。
「電修場」というのは何となく国鉄の施設を想わせます。図書館で古い住宅地図を見たら案の定、鉄路の南西側に「札幌鉄道管理局札幌電修場」と書かれていました。上掲画像で高架の奥には高層マンションが写っています。電修場はこの敷地の隣(画像上では右方、琴似駅寄り)にありました。現在のポリテクセンターの場所です。マンションのところには道立寒地建築研究所(寒地住宅都市研究所)がありました。記憶はあやういものです。私は、寒地研の跡地にポリテクセンターが建ったと勘違いしていました。
電修場とは何(だった)か。これも字面からですが、国鉄の電気設備の保守修繕部門と想像しました。日本国有鉄道北海道総局『北海道鉄道百年史 中巻』1980年によると、もともとは「電気修繕場」で、1936(昭和11)年に「電修場」となり、1942(昭和17)年から前述の場所に設けられたそうです(p.21)。1969(昭和44)年に「札幌信号検査区」、1977(昭和52)年に「札幌電気区札幌検修センター」と名前が変わりました(同p.663)。函館本線が高架化されたのは1988(昭和63)年です。踏切の名前はたぶん、そのときまで「電修場」で続いていたことでしょう。では後身たる札幌検修センターはいつまでここにあったか。ポリテクセンターが建てられるときまでだと思いますが、それがただちにはわかりません。1996(平成8)年にここで遺跡を発掘調査されました(末注)。そのときには移転していたことになります。では札幌検修センターはどこにいったか。前述引用の『北海道鉄道百年史』は1980(昭和65)年の刊行なのでそこまで載ってません。JR北海道のウエブサイトを見てもよくわかりません。保安上の問題もあるので、世間にあまねく知らせることでもないのでしょう。
前掲の踏切跡からわりと近いところに、「札幌保線所」という施設があります。

桑園駅寄りです。「保線」だから、電気とは直接関係はないかもしれません。しかし、ちょっと惹かれたので載せます。
なぜ惹かれたかというと、一隅に下掲の物件を見かけたからです。

百葉箱。昔ながらの風情で立っています。「そうか、保線だもんなあ」と妙に合点がいきました。箱の中を見たら、これまた昔ながらの水銀計?が掛かっています。JRの保線担当の社員さんはきっともって(北海道弁)、夏場はこの百葉箱を開けて「お、今日は気温が高いぞ。レールに水をかけてこよう」と出動しているに違いない。
また脇見をしてしまいました。
注:札幌市文化財課『札幌の文化財』2010年、p.35。そのとき土偶をはじめ縄文時代の遺物が出土し、札幌市の有形文化財に指定された。
琴似駅寄りの「電修場踏切」跡です。

西区二十四軒4条1丁目、JR高架の北東側から南西方向を眺めました。踏切跡は高架をくぐった先の道路のあたりです。
「電修場」というのは何となく国鉄の施設を想わせます。図書館で古い住宅地図を見たら案の定、鉄路の南西側に「札幌鉄道管理局札幌電修場」と書かれていました。上掲画像で高架の奥には高層マンションが写っています。電修場はこの敷地の隣(画像上では右方、琴似駅寄り)にありました。現在のポリテクセンターの場所です。マンションのところには道立寒地建築研究所(寒地住宅都市研究所)がありました。記憶はあやういものです。私は、寒地研の跡地にポリテクセンターが建ったと勘違いしていました。
電修場とは何(だった)か。これも字面からですが、国鉄の電気設備の保守修繕部門と想像しました。日本国有鉄道北海道総局『北海道鉄道百年史 中巻』1980年によると、もともとは「電気修繕場」で、1936(昭和11)年に「電修場」となり、1942(昭和17)年から前述の場所に設けられたそうです(p.21)。1969(昭和44)年に「札幌信号検査区」、1977(昭和52)年に「札幌電気区札幌検修センター」と名前が変わりました(同p.663)。函館本線が高架化されたのは1988(昭和63)年です。踏切の名前はたぶん、そのときまで「電修場」で続いていたことでしょう。では後身たる札幌検修センターはいつまでここにあったか。ポリテクセンターが建てられるときまでだと思いますが、それがただちにはわかりません。1996(平成8)年にここで遺跡を発掘調査されました(末注)。そのときには移転していたことになります。では札幌検修センターはどこにいったか。前述引用の『北海道鉄道百年史』は1980(昭和65)年の刊行なのでそこまで載ってません。JR北海道のウエブサイトを見てもよくわかりません。保安上の問題もあるので、世間にあまねく知らせることでもないのでしょう。
前掲の踏切跡からわりと近いところに、「札幌保線所」という施設があります。

桑園駅寄りです。「保線」だから、電気とは直接関係はないかもしれません。しかし、ちょっと惹かれたので載せます。
なぜ惹かれたかというと、一隅に下掲の物件を見かけたからです。

百葉箱。昔ながらの風情で立っています。「そうか、保線だもんなあ」と妙に合点がいきました。箱の中を見たら、これまた昔ながらの水銀計?が掛かっています。JRの保線担当の社員さんはきっともって(北海道弁)、夏場はこの百葉箱を開けて「お、今日は気温が高いぞ。レールに水をかけてこよう」と出動しているに違いない。
また脇見をしてしまいました。
注:札幌市文化財課『札幌の文化財』2010年、p.35。そのとき土偶をはじめ縄文時代の遺物が出土し、札幌市の有形文化財に指定された。
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