札幌時空逍遥
札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願
野津幌川の地理的特異点?
川の流れのごとく蛇行しながら、野津幌川の逍遥を続けています。つづら折りに蛇行する地点を、昨日ブログで「局所」と記しました。地理的な特異点と言い換えられるかもしれません。
1916(大正5)年測図2万の5千分の1地形図「月寒」(2月19日ブログ参照)を、みたび眺めます。

野津幌川を濃い青でなぞりました。赤い矢印↙を付けた先が現在の下野幌のっぽろがわ公園の位置です。その南側でつづら折りに蛇行していました。
この600mほど上流で、別の川が南東から野津幌川に合流します。地図上で「野津幌川」の「野」と書かれた地点です。支川は現在、やはり直線化されましたが、厚別区もみじ台の市営住宅団地街を流れています。熊の沢川です。
支川の熊の沢川とは別に、南西にも沢地状の地形が窺えます。水色でなぞりました。大正時代のこの地図で、すでに川の流れは描かれてません。しかし谷を削って、かつては野津幌川に注いでいたのでしょう。その合流点あたりで、本川たる野津幌川がつづら折りに蛇行しています。一帯は昨日ブログで述べたように谷底平野です。左岸側の崖線を等高線に沿って茶色でなぞりました。上流の南東から熊の沢川、南西から無名川を集めて小平野を拓いたかに見えます。
昨日ブログでは「ミソは、この地点にピンク色の泥炭堆積物が入り込んでいることです」とも述べました。
泥炭堆積物の地質を上掲地形図に重ねます。

野津幌(野幌)の由来はアイヌ語のヌポロ、「野の中」の意です(末注)。湿地堆積物を流れる川にヌポロは、言い得て妙と想います。つづら折りの蛇行も、水を含みやすい土地でいっそう促された結果といえないでしょうか。すんなり水が流れ下らず、土砂も溜まりやすい。これは門外漢の妄想域ですが。
注:山田秀三『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年p.92
1916(大正5)年測図2万の5千分の1地形図「月寒」(2月19日ブログ参照)を、みたび眺めます。

野津幌川を濃い青でなぞりました。赤い矢印↙を付けた先が現在の下野幌のっぽろがわ公園の位置です。その南側でつづら折りに蛇行していました。
この600mほど上流で、別の川が南東から野津幌川に合流します。地図上で「野津幌川」の「野」と書かれた地点です。支川は現在、やはり直線化されましたが、厚別区もみじ台の市営住宅団地街を流れています。熊の沢川です。
支川の熊の沢川とは別に、南西にも沢地状の地形が窺えます。水色でなぞりました。大正時代のこの地図で、すでに川の流れは描かれてません。しかし谷を削って、かつては野津幌川に注いでいたのでしょう。その合流点あたりで、本川たる野津幌川がつづら折りに蛇行しています。一帯は昨日ブログで述べたように谷底平野です。左岸側の崖線を等高線に沿って茶色でなぞりました。上流の南東から熊の沢川、南西から無名川を集めて小平野を拓いたかに見えます。
昨日ブログでは「ミソは、この地点にピンク色の泥炭堆積物が入り込んでいることです」とも述べました。
泥炭堆積物の地質を上掲地形図に重ねます。

野津幌(野幌)の由来はアイヌ語のヌポロ、「野の中」の意です(末注)。湿地堆積物を流れる川にヌポロは、言い得て妙と想います。つづら折りの蛇行も、水を含みやすい土地でいっそう促された結果といえないでしょうか。すんなり水が流れ下らず、土砂も溜まりやすい。これは門外漢の妄想域ですが。
注:山田秀三『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年p.92
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