FC2ブログ

札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/10/16

天に唾する、か

 札幌建築鑑賞会「大人の遠足」2020秋の編の一回目を終えました。10月13日ブログでお伝えした資料作りの苦闘もとりあえず乗り越えたのですが、一難去ってまた一難、です。好きでやっていることなので、難と言ってはいけないのですが。

 実は別の資料作りが迫っています。
北海道ヘリテージ・セミナーチラシ オモテ
北海道ヘリテージ・セミナーチラシ ウラ
 10月27日に開催される行事です。
 ↓
 http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/ckk/heritagenightsemina.htm
 主催する北海道庁の担当の方から、配布資料の原稿を来週のアタマまでに出すように言われました。レジュメ程度ならと気楽に考えていたのですが、「パワーポイントで発表するなら、そのデータも一緒に送ってください」と命を受けたのです。自前の行事ならこのたびの遠足のように仕上がりが開催日直前になるし、民間団体の主催で話すときも、原稿を送るのがぎりぎりになります。さすがにというべきか、北海道庁はそうもいかないらしい。などと記したら「札幌建築鑑賞会の原稿は遅いくせに、お上から命じられたら従うのか」と当会編集スタッフから糾されそうです。嗚呼。
 
 そんな折も折、STVから「また“てくてく洋二”に出ませんか?」とお呼びがかかりました。前回10月7日放送(札幌駅北口編)のすうじ(と読んで、視聴率と書く)がそこそこ良かったらしい。

https://www.stv.jp/tv/dosanko_eve/tokushu/u3f86t0000090re6.html
 前回の放送は10月18日(日)の『どさんこワイドにちようび』で再放送されるそうです。また見てやってください。あら探しでも結構です。お昼の12時35分から。
 おだてられて次回もつい二つ返事で引き受けてしまったのですが、ロケは来週です。ますますもって鑑賞会スタッフ(誰とは言いませんが)の呆れる顔が思い浮かびます。
 
 追い討ちをかけられるように、泥縄のやっつけ仕事ではイケナイことを思い知りました。このたびの遠足のために作った資料を読み直して、間違いを見つけてしまったのです。ほかならぬ10月13日ブログに記した「鈴木煉瓦」絡みで、間違えました。白石区役所製作の冊子や看板の“誤り”を糾してしながら、このテイタラクです。
 私は、このたびの資料で鈴木煉瓦について以下のとおり記しました(引用太字)。

 1884(明治17)年、東京出身の鈴木佐兵衛がこの地に煉瓦製造場を設けた。北海道における本格的な煉瓦生産の先駆けとされる。鈴木煉瓦は後に月寒村や旭川にも工場が造られた。明治後期、白石村の分工場では30万個から70万個年産されており、これは江別・野幌地区を含む札幌郡全体での年産50万個から100万個という数字からすると、大きな割合を占めている。鈴木煉瓦産の煉瓦は、北海道庁旧本庁舎(道庁赤レンガ)1888(明治21)年、札幌麦酒会社工場(現サッポロファクトリーレンガ館)1892(明治25)年などに用いられ、明治期の北海道、札幌の近代化を支えた。同煉瓦産を示す刻印○Sは、サッポロファクトリーレンガ館などで確認できる。明治後期以降、野幌が煉瓦の主産地となるにつれて白石村での生産は減少し、鈴木煉瓦も大正後期には操業を終えた。(後略)

 間違いは上述の赤字の箇所です。読み直して「待てよ」と思いました。この文章の後段で述べているように、「明治後期」といえば、江別・野幌が煉瓦の主産地となった時期です(末注)。その時期に、鈴木煉瓦が「大きな割合を占めている」というのは矛盾しないか。
 くだんの一文は、松下亘先生の「札幌地域のレンガ史」(『「新札幌市史」機関誌 札幌の歴史』第15号1988年8月所収、pp.7-22)に拠りました。朱記の一文の前半「白石村の分工場では30万個から70万個年産されており」は同書のとおりなのですが、問題は後半の「江別・野幌地区を含む札幌郡全体での年産50万個から100万個という数字」です。同書掲載の表「札幌地域レンガ生産量(概数)推移(個)」から私が読み取ったのですが、数字を見誤まってしまいました。一ケタ違います。正しくは「500万個から1,000万個」!です。表には明治後期から大正、昭和初期にかけての「札幌郡(A)」と「野幌地域(B)」「札幌地域(A-B)」の煉瓦生産個数が年次的に載っています。明治後期の野幌地域の生産量は、おおむね札幌郡全体の8割程度です。圧倒的に野幌が占めている。明治後期、野幌が北海道における煉瓦の主産地となったことは知っていたつもりなのに、浅はかなポカミスをやらかしてしまいました。

 こんなことをしていては、先へ進めない…。

 注:松下亘『野幌窯業史』1980年参照。1898(明治31)年に設立された北海道炭礦鉄道野幌煉化工場は、1907(明治40)年の一年だけで王子製紙苫小牧工場に煉瓦を400万個納品している(同書p.176表)。
スポンサーサイト



≪ 白石の鈴木煉瓦は東京駅に使われたか?(続)ホーム白石の鈴木煉瓦は東京駅に使われたか? ≫

Comment

コメントの投稿

管理人にのみ表示する

Track Back

TB URL

Home

 

プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

カレンダー

09 | 2020/10 | 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最新記事

最新コメント

カテゴリ

閲覧者数(2015.9.4からカウント)

検索フォーム

ランキング

↑ クリックすると、ランキングが見れます。

月別アーカイブ

管理画面

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

最新トラックバック