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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/06/28

境目は、やはり面白い⑮ 旧円山川

 琴似川をめぐる川名の混乱(?)は、山田秀三先生が半世紀以上前に喝破されています。すなわちコトニ→琴似の地名の「引越し」です(末注①)。その本題については山田先生の著述に加えることはありません。拙ブログの今回のテーマである旧区村界を分かった旧円山川に即して蛇足を試みます。

 先生が『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年で言及している「札幌郡西部図」1873(明治6)年からの抜粋です。
札幌郡西部図 ホンコトニ
 画像が粗くて申し訳ないのですが、黄色の矢印を付けた先に「ホンコトニ」と書かれています。原図の向き変えて北を上にした都合上、文字は下から上へ逆さまです。この地図のこの箇所になぜホンコトニと書かれているかは同書に詳述されており、また拙ブログのテーマではありませんので割愛します。
 その左方(西)の赤い矢印を付けたのが本件旧円山川です。問題は昨日ブログで引用したとおり、『札幌市史 政治行政篇』1953(昭和28)年(旧市史)でこちらの川が「ポンコトニ」とされていることです。「この旧円山川は西側のケネウ(中略)の水系に繋る川で、どう考えてもアイヌ時代のコトニ水系の支流では無い」(前述書p.47)。にもかかわらずこの川がポンコトニとされた事情を、山田先生は次のように推理しています(太字、同書p.52)。
 琴似村の方に引きつけられて、いつの間にか円山村、札幌区の境界の川の名(引用者末注②)として使われるようにようになったらしく見える。これがやっと辿りついた推理であるが、是非の検討は若い同好者によって続けて戴きたいものである。

 さらに先生は旧円山川を以下のとおり説明しています(太字、同書p.60)。
 旧円山川
 前掲「札幌郡西部図」の札幌区(一里方内)の西境に小川が描いてあるが、現称「旧円山川」(市土木部の図による)で、相当長い間札幌区と円山村の境になっていた川である。前記したように、これがある時期に和人によってポンコトニ川と呼ばれていたようだ(前記ポンコトニの処を参照のこと)。北一条西二十丁目の角の辺から西北流し、二十一丁目線の少し西側を蛇行した川であるが、今はまったく面影がない。


 「若い同好者」の末席を汚すのも恐れ多いことながら、蛮勇を奮って「是非の検討」に挑みます。
 私の疑問は二つあります。
 第一に、旧円山川が「ある時期に和人によってポンコトニ川と呼ばれていた」のかどうか?
 第二に、この川がポンコトニと呼ばれたとして、それは「琴似村の方に引きつけられ」たからか?

 疑問の第一について。 
 たしかに旧市史では本文でも、旧円山川を「ポンコトニ川」と記しています(末注③)。しかし、それ以外の古文書、古地図ではどうでしょうか。管見寡聞にして、旧市史を裏付ける史料に当たりません。円山村→藻岩村→円山町の歴史の集大成ともいえる『円山百年史』1977(昭和52)年は、次のような表現です。
 「琴似川支流の川境」(p.28)、「札幌との境界の川」(p.29)、「南一条通り西十七丁目の小川」(p.46)、「二十丁目沿いの川筋」(p.114)

 ポンコトニは「小さいコトニ」であり、川に即して和訳すれば「ポン」は「支流筋の」(末注④)です。したがって「琴似川支流」は語義に適います。しかし、もしポンコトニと呼び慣わされていたのならば、「琴似川支流」というよりも、固有名詞的にそのまま古地図などに記されてよかろうものをと想えるのです。地域の古老の証言がふんだんに盛り込まれた『円山百年史』にして、「境界の川」といった漠然とした呼称であることに引っかかります。一方、昨日ブログに載せたとおり、かろうじて川名を見つけた「札幌市街之図」1918(大正7)年では「琴似川」です。「支流」とは書かれていません。
 あくまでも状況証拠ですが、「ある時期に和人によってポンコトニ川と呼ばれていた」とは言いがたい、というのが私の結論です。

 第二の疑問に移ります。
札幌区史 札幌郡西部図リライト ホンコトニ
 「明治六年十一月札幌附近ノ図(飯島矩道舩越長善実測北海道庁所蔵)」と題された古地図からの抜粋です。『札幌区史』1911(明治44)年から採りました。北を上にしたので、やはり文字が逆さになっていますがお許しください。
 表題から明らかなように、本図は前掲「札幌郡西部図」をリライトしたものです。前掲図と較べていただくとおわかりいただけるでしょう。問題にしてきている旧円山川を水色でなぞりました。

 注目したいのは、橙色の矢印を付けた先です。「ホンコトニ」と書かれています。オリジナルの前掲図では東寄りの「コトニ水系」(山田前掲書)に沿って書かれたものが、本図では西方のケネウ水系との中間です。この図だけ見ると、どうでしょうか。「ホンコトニ」は旧円山川の川名とも読めてしまいます。
 札幌市の正史は、前述1953年旧市史の前は本『札幌区史』に遡ります。旧市史編纂に当たって最も下敷きされたのが『区史』といってよいでしょう。旧円山川を「ポンコトニ川」としたのは、このリライト版古地図に影響されたのではないでしょうか。「琴似村に引きつけられ」たというようないわば巨視的な移動ではなく、「ホンコトニ」の記載位置のズレによる微視的な異同(取り違え)が原因だった。
 山田先生のみならず、旧市史編纂に携わった井黒弥太郎、高倉新一郎という偉大な諸先達にも大変恐れ多い妄言になってしまいました。
  
 注①:コトニ→琴似の地名の移動については2017.1.22ブログに関連事項記述
 注②:昨日ブログをはじめ、私は札幌区との境界を藻岩村とか円山町と記しているが、もともとは山田先生が述べるとおり円山村である。同村は1906(明治39)年に山鼻村と合わさって藻岩村になった。さらに1938(昭和13)年、円山町となり、1941(昭和16)年札幌市と合併した。
 注③『札幌市史 政治行政篇』pp.109-110
 注④:前掲山田書p.52
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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