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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/06/04

札幌扇状地平岸面のミッシングリンク ④

 5月28日ブログの続きです。このテーマもそろそろ締めくくりに入りたいと思います。テーマとは、以下の仮説(推測、妄想)です。
 ①かつて平岸から豊平、白石にかけて流れていた小泉川は、札幌扇状地平岸面をつくった古々豊平川をあとづけた。
 ②扇状地平岸面を伏流した水がトイシカラメム(ツイシカリメム、現在の国道12号、札幌東高校のあたりにあった湧泉池)で湧き出た。

 上記①②を、1948(昭和23)年空中写真を重ね合せた色別標高図に表わしました。
札幌扇状地 色別標高図×1948年空中写真 小泉川河道
 色別は標高10m未満から5mごと70m以上まで14色段彩で作成、水色実線が空中写真で読み取れる小泉川の河道、白ヌキ実線は同じく空撮から読み取れる下流部での川です。下流部は現在、小沼川、白石川と呼ばれます。白い○がトイシカラメムとおぼしき池沼の位置(現札幌東高)です。明治時代初期の古地図と現在の標高に照らして、白ヌキ破線で上流と下流をつなげました。、

 5月28日ブログで記したように、拙説は扇状地平岸面に関する通説と相いれない部分があります。通説では、平岸面(古い扇状地)の扇端は現在の国道36号あたりで、ツイシカリメムは札幌面(新しい扇状地)です。つまり、平岸面と札幌面の扇端での境目を別の場所ではっきりさせないと、拙説の正当化はできません。
 札幌扇状地の新旧両面の境目といえば、ふつう話題になるのは現精進川が削っている崖(ピラ、豊平区中の島と平岸の境目)です。いや、それを「ふつう」と断定できるのか自信はありませんが、これまでの地学教育研究者の尽力により、注目されてきました。しかし、ここではっきりさせたい境目というのは、崖(ピラ)のほうではなく扇端です。「ふつう」でない分、逍遥しがいがあります。

 はっきりさせるも何も、通説的には新旧両面は色分けされているので、問題はその根拠というかエビデンスの再検証でしょう。崖(ピラ)のほうは可視的・体感的に高低差や地層を理解できるのですが(それも諸先達のたまものです)、扇端のほうはわかりづらい。わかりづらい理由として私の能力の問題を棚に上げると、平岸面と札幌面の扇端の違いを根拠づけて説明した資料にまだ辿りつけません。 
 前掲色別標高図に、平岸面の扇端とされる国道36号を黒実線でなぞりました。このあたりを地形的に特徴づけるとすると、現在の豊平川をはさんで左右両岸の標高がなめらかに連なっていることです。つまり崖(ピラ)の北端に当たります。これより上流では、色分けの段差がはっきり窺えます。おおむね1~2色の段差が見て取れるので、5~10mの比高(崖)です。結局、一般的に平岸面とされるところから勾配を下ってくると、国道36号のあたりで豊平川左岸すなわち札幌面と同じ勾配になります。等高線の幅が広がり、上流と較べると緩やかです。この緩やかな勾配、さらには豊平川左岸とのなめらかな高低差が、札幌面を物語っているのだろうか。

 産総研「札幌及び周辺部地盤地質図」2006年から抜粋します。
産総研地質地盤図 ボーリング調査地点(菊水、平岸)
 扇状地札幌面と平岸面がやはり色分けされています。凡例では黄色は「扇状地堆積物」、紫色が「先沖積層」です(末注①)。札幌面の堆積物は現豊平川右岸の望月寒川岸まで延びています。

 この地域のボーリング調査の結果を観ます。
産総研地質地盤図 ボーリング調査結果 菊水
産総研地質地盤図 ボーリング調査結果 平岸 
 上段が前掲地質地盤図に赤いを付けた地点、下段が黄色のを付けた地点です。前者が扇状地札幌面の白石区菊水、後者が平岸面の豊平区平岸に当たります。

 扇状地新旧両面を識別できる地層の違いはあるのでしょうか。凡例に照らすとどちらもあらかたは砂礫ですが、菊水のほうは深度10m超までずっと砂礫で、その下で粘土が断続的に現れます。一方平岸は、ところどころ粘土混じりの砂礫という様相です。水はけがいいと言われた平岸の比較的浅いところに粘土層があるのが意外でした。粘土はあまり水はけが良くないという印象だったので。私には違いを説明できないので、とりあえずデータのみの提示にとどめます。いま気づいたのですが、赤と黄色の○を付けたボーリング地点はちょうど小泉川の旧河道、推定河道の流路上です。

 もう一つ、今度は文献の考察を引用します。
 この左岸にのびる扇状地は、標高20m付近に、「メム」とよばれる泉池がおよそ13カ所あったとされている。今日ではその姿を消しているが、標高20mは本府建設の中心と目ざした大通付近にあたり、泉池から流れ出た水は、いずれも小川の源となっていたのである。これらの泉池は、扇状地末端において、砂礫層がつきて粘土層と変わるところで豊平川の伏流水が湧き出すものと考えられていたが、扇状地表層からの浸透によったものもあったようである。(中略)
 札幌市水道局拡張部が昭和37年と39年の二度にわたって実施した「豊平川扇状地地下水調査」によれば、豊平川から扇状地への伏没は左岸のみから行われ、その主要な供給は南22条橋から南大橋(南9条)間となっている。その主な流向は三方向に分かれており、(後略) (『さっぽろ文庫24 札幌と水』1983年、pp.105-106)

 この記述に引きつけると、平岸面の古河川が伏流→下流部で湧水(不透水層が地表の近くに表れるあたり)→トイシカラメム、という教科書的な解釈が通じないのかもしれません。併せて、現豊平川からの伏流が左岸に限られていることからして、トイシカラメムのある右岸における伏流や湧水は現(新しい)豊平川の作用とは必ずしもいえない。
 現豊平川(サッポロ川)の河道が定まったのは1800年代の初頭とされます(末注②)。それまでの河道はフシコサッポロ川(現伏籠川)でした。治水対策が進むまでのせいぜいこの百数十年の間に、サッポロ川は望月寒川べりまで扇状地を拡げられただろうか。

 注①:平岸面の一帯は「扇状地堆積物」とは分類されていない。望月寒川右岸の月寒丘陵と同じ色分けである。5月28日ブログ参照
 注②:2019.2.13ブログ参照。1806(文化3)年の幕臣遠山金四郎、村垣左太夫によるイシカリ調査の際、サッポロ川の流路が1801年頃に変わったことを聞きとっている(『新札幌市史第8巻 年表・索引編』2008年、p.16、『豊平川と私たち-その生い立ちと自然-』2011年、p.14)。
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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