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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/05/17

白石区と豊平区の区境をめぐる地理的特異点 ⑤

 昨日まで繰り広げてきた妄想を廃して、とまではいかずとも、もう少し物的な理に適った推察を試みます。

 5月7日ブログに載せた「札幌郡各村地図」1874(明治7)年(一部抜粋)です。
明治7年札幌郡各村地図 豊平村
 先述したように、この地図では豊平村と白石村の村界でクランク状の特異点はまだ現れていません。

 後にクランク状の村界が分かたれるあたりを拡大します。
明治7年札幌郡各村地図 豊平村・白石村村界 横丁通り付近
 豊平村の村界とおぼしき線は、札幌本道(現国道36号の原形)に平行してまっすぐです。これ直交して一昨日及び昨日ブログで触れた「横丁通り」が通じ、人家らしき小さな赤いが通りの両側に貼りついています。仙台藩白石領の士族移民の一部が再入植した家屋でしょう。注目したいのは、黄色の矢印を付けた先です。小さな川と窺える青い線が描かれています。白石村の再入植地は、この小川の北東側までだったようです。

 5月7日ブログに載せた明治29年地形図を再掲し、同じ場所を較べます。
明治29年地形図 豊平村 白石村 村界 特異点
 川の流れは消えていますが、その河道にどうも村界線が引かれたような気配です。単純に、川を境目にして豊平村と白石村を分けた。冒頭で述べた「物的な理に適った推察」は、これです。

 明治7年地図に描かれていた小川は横丁通りの北西側に流れ、南西方面から流れて来た長い川に合流しています。合流する川も、前掲明治29年地形図には描かれていません。地形図が作られた頃には消失していたようです。一昨日ブログに記したとおり、1894(明治27)年に連合用水の第2号が横丁通りに沿って通じました。川の流れが用水路につなげられ、河道が消えた、あるいは流れが切り替わったのだと私は想います。

 前掲明治7年地図に、2号用水を当てはめてみました。
明治7年札幌郡各村地図 豊平村・白石村村界 横丁通り付近 2号用水加筆
 昨日ブログでは、横丁通りの北西側の土地が低いことを記し、大正時代には洪水があったという古老談も引きました。明治7年地図に描かれていた川の記憶が引継がれ、今に至っているのかもしれません。通りの北西側で豊平村の村域が狭いのは、やはり低湿な土地をあえて望まなかったからではないでしょうか。その想いをさらに深めました。

 ところで、この川は何という名前だったのでしょうか。冒頭に載せた明治7年地図の広域を俯瞰すると、いわゆる「小泉川」と思われます。小泉川のことは前にも記しました(2017.10.10同10.11参照)。しかし、明治7年地図にはっきり描かれているのに私が気づいたのは、ごく最近です。こちらもあらためて逍遥しなおしたいと思います。
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阿部仁太郎がここに豊平神社を置いたのも、小泉川と室蘭街道の交点だったからだと思っています。
小泉川と2号用水の合流箇所は現在豊平公園になっていますが、元は林業試験場でした。神社や公園はその名残と理解しています。

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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