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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/05/04

新川の上流はなぜ、琴似川と呼ばれるか? ⑪

 4月27日ブログの続きです。
 新川を管理する北海道の所管部局から得た情報を以下、時系列でかいつまみます。
  新川 1944(昭和19)年 河川法(旧)に基づき準用河川に認定。上流端は発寒川との合流点、下流端は札幌郡琴似町字新川、以下海に至る
  琴似発寒川 同年 河川法(旧)に基づき準用河川に認定。下流端は札幌郡手稲村字滝ノ沢、以下新川合流点に至る
  琴似川 1968(昭和43)年 河川法(現)に基づき二級河川に指定。下流端は新川との合流点

 上記で注目したいのは、新川の「上流端」が1944(昭和19)年の時点ですでに「発寒川との合流点」とされていることです。
 これを現在図に示します。 
現在図 新川 1944年準用河川指定
 赤いを付けたのが「発寒川との合流点」です。なお、発寒川の現名称は「琴似発寒川ですが、ひとまず措きます。
 ここが新川の上流端とされました。したがって新川は赤い矢印で示した直線的流路の下流部になります。

 一方、琴似川は1968(昭和43)年の二級河川指定時に「下流端は新川との合流点」とされました。ここでいう新川は、1944(昭和19)年に上流端とされた「発寒川との合流点」と解されます。これを現在図に加えます。
現在図 琴似川 1968年二級河川指定
 黄色の実線でなぞりました。

 ここで疑問が残ります。1968年以前、直線的流路の発寒川との合流点より上流部は何という川だったのか? 新川だったのが琴似川に変わったのか? もともと琴似川だったのか?
 道所管部局の説明によると、河川法上で琴似川の名称になったのは1968年の二級河川指定時であり、「指定以前どのような名前であったかは不明」とのことです。
 
 私はこれまで、直線的流路の上流部(琴似発寒川との合流地点より上流)は「1960年代後半、『琴似川』と改称された」とまとめてきました。その大前提は、もともとは「上流から下流まで一律に『新川』と呼ばれていた」ということです(4月27日ブログ冒頭記述①②)。地形図や民間発行の地図、現地の橋名などを根拠としました。
 しかし道所管部局の河川法上の記録に基づくならば、前段は正しいのですが、後段は必ずしもそうはいえません。前段も、上流部が1944年以降すでに琴似川とされた可能性も否定しきれないので、1960年代後半になって琴似川に「改称された」とも断定できません。
 河川法上はっきりしているのは、1944年以降は合流点より下流が新川、1968年以降は合流点より上流が琴似川とされたということです。それ以上でも以下でもない。上流部の1968年以前は、河川法上は「不明」とするのが現時点で正しい解釈となります。

 ここで私は「河川法上」という修飾語を頻用するようになりました。道の回答で締めくくられているとおり、「河川名は地域に根ざした呼び方もあると思います」。いわば通称です。問題は、法律に基づく名称と通称との違いという、ありがちな事象に帰着します。
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≪ 新川の上流はなぜ、琴似川と呼ばれるか? ⑫ホーム碑を、本題から逸れて鑑みる ≫

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なるほど。こうなると他の河川も気になりますね。
特に厚別川。小野幌川や野津幌川も気になるとこですね

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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