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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/03/17

清田1条3丁目の小祠 再々掲

 2016年8月6日ブログに、清田の旧道沿いの祠のことを記しました。郷土史家R先生から由来をうかがった小祠です。
清田1条3丁目 小祠 再々掲
 R先生が2018(平成30)年に上梓されたご著書で、あらためて縁起を知りました(末注)。

 ・1873(明治6)年、長岡家初代の重治が小祠を祀る(場所は現在の清田幼稚園の入口付近との伝)。
 ・旧道の南側(清田小学校側)、現在のバス停の近くのオンコの木のあたりに移される(1947年以前)。「稲荷神社」
 ・2000(平成12)年、現在地(旧道の北側)に移設される。「かなり傷みがはげしいため、祠を一新」した。1889(平成11)年、「鳥居を設置し、京都伏見稲荷神社より分身された御柱と共に祀らる事となった」。

 村の鎮守の厚別神社とは別に、長岡家の氏神様として祀られたものでした。どちらも祭神は「宇迦御魂神」「倉稲魂神」(うがのみたまのかみ)だそうです。学校側の旧敷地は60坪ありましたが、長岡さん(武夫さん)から札幌市に寄付され、今は小学校の一角となりました。上掲の現在地は札幌市の「清田緑地」から連なっている樹林帯ですが、長岡家の私有地に属します。ほとんど境目がわからず、私は一瞬、清田緑地の一部かと思いました。政教分離ですから、それはありえないですね。たぶん清田緑地も(隣接する清田第二緑地保全地区も)、自然環境と景観を守るため、札幌市が長岡さんから購入したか寄贈を受けたのでしょう。
 
 私は2016年7月12日ブログで、「さらに想像をたくましくするならば、前掲の祠は土地を鎮める意味も込められたのかもしれない」と記しました。深読みでしたね。もっとも、お稲荷さんは「衣食住を司る神・稲の精霊であり、穀物の神として崇敬され」てきたといいます(R先生著書)。田んぼの豊饒も祈願されたのでしょう。2016年7月12日及び8月6日ブログにいただいた情報コメントに感謝申し上げます。
 長岡家4代目の長岡武夫さんは昨年11月7日、鬼籍に入られました(93歳)。今をさる30年余り前、市会議員として札幌の歴史的な建物の保存に熱意を抱いておられたことが偲ばれます。羊ヶ丘の農業試験場旧庁舎を保存活用したいと願っておられました。合掌。

 注:了寛紀明『札幌本道と厚別(あしりべつ)地域の歴史~古文書を辿っての『清田発掘』~』2018年、pp.371-373
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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