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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/11/15

大友堀の流路考 ②

 10月11日ブログで、地下鉄東豊線の「東区役所前」駅コンコースの壁画のことを記しました。
東豊線 東区役所前駅 構内壁画 拡大
 「私にとっては突っ込みどころがあり、嬉しくなるのです」と綴った銘文です。
東豊線 東区役所前駅 構内壁画 碑銘 拡大
 「拓」と題され、次のように刻まれています(太字、原文ママ)。 
このレリーフは、札幌村開拓の基礎となった大友堀と当時の作物玉ネギをモチーフとしたものです。発展の基礎となったこの二っで壁面を構成しました。
中心の円形は人々の協力と団結を、上下左右に広がる線は開拓者の精神を表わして、共に東区の発展を願ってデザインしました。 


 制作時・制作者は明示されていないのですが、東豊線の栄町-豊水すすきの間が開業した1988(昭和63)年に設置されたものでしょう。31年前です。当時の歴史観が凝縮されているようでもあります。
 歴史観ではなく、史実として、あえて引っかかることにしました。「札幌村開拓の基礎となった大友堀と当時の作物玉ネギ」という記述です。大友堀とタマネギの密接関連性が伝わってくるのですが、それはおそらく「当時の」という修飾句を介しているからでしょう。実際には、大友堀とタマネギの間には時空の差異がありました。堀割は幕末に「御手作場」開墾のために開かれ、タマネギは明治になって開拓使の奨励により普及したものです。時間的にはたかだか数年の開きであり、堀割とタマネギは同時代を重ねてもいます。しかし、どのように繋がったのか、私は知らないことに気づきました。精神風土という意味では堀割がタマネギ主産地形成の土壌を培ったと想いますが、判った気になるのを戒めたい。

 10月16日ブログで「大友堀の流路考 ①」を綴ってから②を続けず、ひと月近くたってしましました。
標高図×1948年空中写真 大友堀 推定流路
 青い実線でなぞった堀割の流路は、赤いで囲った大覚寺のところ(下流、画像左方)まで、白ヌキでなぞったナナメ通りにぴったり沿ってはいません。なぜか?

 用水を開いた大友亀太郎は二宮尊徳門下で、最新の測量技術や農業土木に精通していたと、よく耳にします。堀割の流路を具体的にどう、読み解けるか。
 仮説的結論を先に述べると、大覚寺以西は排水的な機能も企図したのではないかと想います。
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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