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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2015/02/06

ななめ通りの角地にあった商店

 東区北8条東5丁目、‘ななめ通り’です。正式には道道花畔札幌線、通称元村街道。‘タマネギ街道’でもありました。最近は「ファイターズ通り」とも呼んでいるらしい。
今井商店跡
 現在コインパーキングになっている角地に、かつて「かねや今井」という商店がありました。

 1990年10月に撮った、在りし日の店です。
今井商店 1990年
 昭和な風情のよろず屋さんでした。

 このお店があった頃、私はご主人からさらに古い写真を2枚、見せていただきました。私の知る限り郷土史の文献などには既出されていませんので、史料的価値に鑑みて紹介させていただきます。

 1枚目は、昭和初期とうかがいました。 
今井商店 昭和初期
 お正月の風景です。店の前に、酒樽やら米俵などの初荷がうず高く積まれています。晴れ着姿のご家族が、印袢纏の店員さんと一緒に写っています。中央の白っぽい服の男の子が確か、この古写真を私に見せてくださったご主人でした。

 屋号「米穀荒物文房具商 今井かねヤ本店 電話一一二五番」。右側に「文房具 くすり たばこ 國定教科書」。右端の幟は「講談倶楽部」、左端は「キング」。大日本雄辯會講談社ですか。元村街道の子どもたちは、心を弾ませてこの店に行ったんだろうな…。

 2枚目は1919(大正8)年の、同じくお正月です。
今井商店 大正8年
 店の主屋がこのときはまだ平屋です。屋根の看板に「米穀荒物 肥料縄莚 味噌醤油 和洋酒 罐詰 くすり 化粧品 たばこ(変体仮名) 銘茶」と。

 左の蔵は札幌軟石ですね。
 この蔵は、1990年当時も残っていました。前掲の1990年写真では見えませんが、実は写っている建物の中にありました。いわば“屋上屋を重ねる”状態です。ススキノの旧夢蘭とか「居酒屋三百円」タイプ。最近知りましたが、蔵を建物ごとオーバーオールするというのは、‘超珍しい’わけではないようです。本州でも積雪地方で、‘内蔵’といってあるらしい。

 1934(昭和9)年札幌郵便局発行の『電話番號簿』を引きましたら…。 
昭和9年電話帳
 「かねヤ今井市郎」さん、1125番で確かに載っていました。

 1921(大正10)年発行の「札幌市街之圖」(印刷人北海石版所本間清造)からの抜粋です。
大正10年地図
 黄色の矢印の先が、「かねヤ今井」さんの位置です。‘要衝’という雰囲気が伝わってきます。

 現在の地図です(札幌市東区役所『東区ガイド』2011年版から抜粋)。
ななめ通り 現在地図
 現在は北8条通りのほうが往来が激しいのですが、かつてはななめ通りに面するほうがメインでした。今井さんの古い写真に写るオモテの間口は(私が1990年に撮った写真でも)、ななめ通り側に面しています。
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≪ 北30条 軟石納屋(承前)ホーム菊亭農場~北炭分譲住宅地 ≫

Comment

はじめまして
かねや今井さんの写真が懐かしくて
コメントさせて頂きました
今から30年~40年位前に近くにあった
国鉄アパートに住んでいました
かねや今井さんを利用することはほとんど
ありませんでしたがお店には頑固なおじいさんがいたようです

Re: タイトルなし

のっぽ様
コメントありがとうございます。

「かねや今井」さん、昔ながらの雑貨屋にコンビニ(SPAR)の初期形態?がブレンドされていて、今から思えばユニークでした。そのSPARも、近年なくなってしまいましたね。

返信ありがとうございます

札幌ではSPARは見なくなりましたが
札幌以外の町に数店ですが
あるようです

札幌を離れて20年近くになりますが
実家に帰るたびに
札幌駅周辺は変わっている感じがします

でも東区はあまり変化がないので
「ほっ」とします

初めまして。
昔かねや今井さんのすぐ近くのJRアパートに住んでいて、懐かしくなりコメントさせていただきました。
写真以前はスパーの部分もかねや今井さんの店舗で文房具を販売しており、のちにスパーになった記憶があります。
当時小学生であのおじいさんは少し怖かったですが、話すととても優しいお声をなさっていました。

ブログのお写真を拝見できてとても嬉しかったです。
貴重な記録をありがとうございます。

Re: 今井商店

ジョ様
懐かしく思っていただいて、私も嬉しいです。
今井商店のご主人には、私は30年くらい前にお会いしました。優しそうな方だったという印象が残っています。

まったく別件ですが、東区の国鉄アパートにお住まいだったお二方から、ダストシュートがあったことをお聞きしました。
国鉄ではありませんが、私も昔社宅住まいをしていて、ダストシュートを記憶しています。国鉄アパートの方に思い出をお聞きしてみたいです。
keystonesapporo
 

ダストシュート

お返事ありがとうございます。

社宅のダストシュートについてですが、父に聞いてみましたところ古いアパートにはついていたようです。
知っている限りでは北10条東5にあった社宅には存在しており、そちらより築年数の浅い北8条東5にはありませんでした。ダストシュートがあったほうはGのつく虫がよく出ていたとのことです。

余談ですが、昔は北14条7丁目にも国鉄の社宅があり、こちらは木造の二軒長屋であったようです。ちょうどオートバックスのあたりと言っていました。

父に昔の話を聴く良い機会をいただきました。
ありがとうございました。

Re: ダストシュート

ジョ様

ダストシュートの貴重な思い出をありがとうございました。
国鉄にお住まいだった他の方にもお聞きし、いずれダストシュートを時空逍遥したいと思います。

> 余談ですが、昔は北14条7丁目にも国鉄の社宅があり、こちらは木造の二軒長屋であったようです。ちょうどオートバックスのあたりと言っていました。

 オートバックスは、国鉄の跡地だったのですね。古い空中写真を見ると、ほぼ台形状の敷地で、それがまるごとオートバックスになったようですね。なるほどです。
 keystonesapporo

私も国鉄官舎で育ちました

懐かしいお店の写真ありがとうございます。
現札幌ビール園の西側は国鉄の灰色の古いアパートが建ってましたが昭和50年末頃に取り壊された気がします。北の道路挟んだクリーム色のアパート群は、平成に入ってもしばらく残ってましたね。次々とスーパーなどに切り売りされて、時代の移ろいを感じます。苗穂工場周辺の官舎は、赤煉瓦の二階建ての官舎もあり、私は平家の長屋に住んでたので羨ましくみてました。

はじめまして。
「いもたこなんきん」を検索をしていて、こちらのブログに辿り着きました。

居酒屋いもたこなんきんを1987年11月に開業したのが私の父(1944~2014)です。
あのユニークな建物は、居酒屋になる前は衣料系卸売業の倉庫のような用途で、父が不動産契約を引き継いで空になった建物内部を見たら左奥に謎の壁があったので、壁をはがしたら軟石の蔵が現れた。と聞いています。
それを活用して客席にしたのが私の父です。

また、南3条西2丁目10番地に私の生家がありました。
1931年に祖父(1911~1994)が開業した「福田硝子店」という一軒家でした。
掲載されている電話番号の資料では1934年時点では金物屋さんがあったようですね。
ガラス屋は南2条東2丁目で開業して数年で南3条西2丁目に移転したらしいので、我が家の前は金物屋さんだったことを、ここで初めて知った次第です。

いろいろなページを拝見しましたが、例えば南2条西1丁目の石蔵の件などは、近所に住んでいる70代以降の方などはご存知かもしれません。
(例:質蔵屋の2階にお住まいの名取川さん)

なお、南2条東1丁目の「寿珈琲」という喫茶店の柴田さんというマスターが、古地図などを見ながら周辺の昔の様子を考察したりしています。地区の活性化や東3丁目の頓宮との取り組みもされています。
ご興味ありましたら、お尋ねください。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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