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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/10/07

真駒内はなぜ、牧場になったか。

 札幌建築鑑賞会「大人の遠足」2019秋の編、配布資料の原稿(私の受け持ち分)は今朝、スタッフSさんに送りました。
 「一難去って、また一難」というわけではありませんが、明日は「厚別区高齢者教室 瑞穂大学」というところでお話をすることになっています。テーマは「わが街の魅力再発見」です。そのレジュメも本日、区役所の担当の方に送りました。が、当日会場で見せるスライド画像の整理が終わっていない。よって、いまもブログの更新をしている場合ではありません。
 行動の優先順位を付けられない広汎性発達障害的なこの性分。ほとほと愛想をつかします。しかし私にとっては、拙ブログで繰り広げる世界が諸活動の源泉です。大人の遠足やテレビなどで案内役が務まるとしたら、ブログへのモチベーションがその礎にあります。ブログのやる気が失せたときは、すべてが瓦解する。瓦解しても世の中に差しさわりはないでしょうが、少しでも受け入れてくれる方がいる限り、遊ばせてください。

 さて、そのテレビでの歴史散策です。本日のUHB「みんテレ」の「となりのレトロ」コーナーでは、10月5日ブログで宣伝したように「なぜ、この地に牧場が拓かれたか?」をテーマとしました。「四方、山と川に囲まれていたから」。自然の牧柵。牛が逃げない。いたって単純な推理で恥ずかしいかぎりです。一次史料の裏付けを取ったものでもありません。二次的資料も、孫引き的に文献を漁ったにとどまります。エドウィン・ダンが藻岩山から眺めて場所を決めたといいますが(末注①)、「なぜ?」まではまだ当たってません。

 現在の色別標高図に真駒内牧牛場のエリアを当てはめてみました(標高20m未満から10mごと10色段彩)。
標高図 札幌扇状地 標高20m未満から10mごと10色 真駒内牧牛場
 かなりアバウトですが、白ヌキ実線で囲ったあたりです(末注②)。豊平川を濃い青、真駒内川を薄い青、精進川を水色でなぞりました。
 札幌扇状地平岸面の扇頂をほぼ南端とし、西から北へは真駒内川、豊平川、東から北へは桜山から精進川という囲まれ具合です。水はけが良く、牛の放牧や牧草栽培には向いていたことでしょう。反面、給水が必要となり、用水路が掘られました。破線です。ほぼ中央、扇の“ひだ”の尾根に沿うように鑿たれています(末注③)。

 明治の初めの札幌本府近郊の開拓の状況を眺めると、酪農経営のパイロットファーム的な適地はここしかなかったようにも想えます。西部から北部にかけての広大な原野は、大排水を待つ必要がありました。南東部(月寒村)は本府から遠いし、水の確保がもっと大変そうだ。

 注①:谷代久恵『真駒内物語』2002年、pp.14-15
 注②:『郷土史真駒内』1977年、p.49「牧牛場当時の配置図」参照
 注③:真駒内川から取水して、豊平川につなげられた。注②文献参照。現在の落ち口は精進川である。これは明治中期、平岸から豊平、白石にかけて開削された「「四箇村連合用水」への水量確保のために流路変更されたもの。
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≪ 近未来を先取りし続ける厚別区ホームナナメ通りの旧家 Tさん宅の蔵 ≫

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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