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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/09/18

中村遊郭の立地考察

 名古屋市中村区、かつての遊廓のあたりを色別標高図で俯瞰します。
名古屋市 旧中村遊郭周辺 色別標高図 1m未満から1mごと7色
 標高1m未満から1mごと7色段彩で作りました。
 加筆は、旧遊郭の界隈を赤いのベタ塗り、白ヌキが名古屋城、同がJR名古屋駅です。中村遊郭は1923(大正12)年、名古屋駅から真西へ約1.4㎞のところに設けられました(2015.2.27ブログ参照)。標高はおおむね1.6mです。

 なぜ、ここに遊郭ができたか。正確にいうと、大須から移転したか。移転の理由ではなく、この場所が選ばれた理由です。 
 「今昔マップon the web」で、移転前の地形図を見てみます。 

http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.173159&lng=136.865788&zoom=15&dataset=chukyo&age=1&screen=1&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2
 1920(大正9)年です。当時このあたりは名古屋市への合併前の近郊農村でした。愛知郡中村です。波線で□に囲われているところが遊廓の予定地なのでしょう。周囲は水田です。南側を電車の軌道が中村公園まで通じています。
 結論的にいうと、名古屋の中心部から近く、まとまって確保できる未開発の土地、しかも交通至便という条件がそろっていました。‘東高’の市街地では風致上問題があるし、そもそも近場にまとまった土地を確保できない。‘西低’の、しかも鉄路を境目とした‘駅裏’という立地は、異界性を醸したようにも想えます。白石遊郭における豊平川の向こう岸、橋を渡るという導入に通じる立地です。 

 ではなぜ、この一帯が開発されずに残っていたか。
 治水地形分類図を見ます。
治水地形分類図 名古屋市 旧中村遊郭周辺
 加筆は前掲色別標高図と同じく、遊郭の一帯を赤い■で塗りました。元図の色分けの凡例によると、このあたりの薄緑色は「低地」の「氾濫平野」です。また、ところどころのまだら状の黄色は同じく「低地」ですが「微高地(自然堤防)」です。遊廓は、微高地と微高地の間に位置しています。ひとくちに‘西低’といっても、微妙な高低差はあるようです。 
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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