FC2ブログ

札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/09/16

名古屋 堀川に原河川はあったのか?

 9月14日ブログにコメントをいただきました。ありがとうございます。 
 >堀川は、名古屋台地の中腹部分にあり、人工的に作られた堀です。

 国土地理院サイトで「治水地形分類図」を見てみます。
治水地形分類図

 元図の色分け等の凡例は以下のとおりです。 
治水地形分類図 凡例
 これに以下、加筆しました。
 :名古屋城 :熱田神宮 :JR名古屋駅 :臨港線八島踏切
 :堀川

 象の鼻状に伸びている「段丘面」が熱田台地(名古屋台地)です。堀川はその西縁(象の鼻筋)の「段丘崖」を、名古屋城の北から南へ、熱田神宮の湊まで流れています。
 慶長十五年(一六一〇年)、徳川家康は諸大名に命じて名古屋城の建設に着手しました。清須にあった城を、名古屋台に移そうというのです。(中略) 
 堀川の開削は福島正則が責任者となり、築城と当時に始まりました。潮の干満を利用し、船で物資の運搬をしようという計画です。同時に都市排水の機能ももたせました。(名古屋市総務局『市制100周年記念誌 なごや100年』1989年、pp.186-188、末注)

 私は9月14日ブログで「堀川は人工的水路ですが」と記しつつ、末注に「地形的にみると、自然河川を改良した可能性もあろう」と付けました。これは、地形図を眺めての妄想の産物です。筆が滑りました。熱田台地の崖(象の鼻筋)は自然的小河川が削ったのではないかと想像の羽を伸ばしたのです。あるいは崖線湧水が流れていた。その原形に福島正則が手を加えて水路化した。ただし、それを裏付ける史料等にはまったく当たってません。 

 注:溝口常俊監修『名古屋地図さんぽ』2015年によると、徳川家康は「慶長14年正月、義直を伴って清須に来ると、各候補地を調査、那古野の地を決定した。(中略)築城はすぐ始まった」(p.12)。義直は家康の九男で、のちの名古屋城主にして尾張徳川家の藩祖。
スポンサーサイト



≪ 大門 再訪ホーム名古屋の碁盤割はなぜ、真北を向いていないか? ≫

Comment

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿

管理人にのみ表示する

Track Back

TB URL

Home

 

プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

カレンダー

09 | 2019/10 | 11
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最新記事

最新コメント

カテゴリ

閲覧者数(2015.9.4からカウント)

検索フォーム

ランキング

↑ クリックすると、ランキングが見れます。

月別アーカイブ

管理画面

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

最新トラックバック