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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/09/15

名古屋の碁盤割はなぜ、真北を向いていないか?

 昨日ブログで、名古屋城について「平時の平城」と記しました。平城ではあるのでしょうが、「平時」は正確ではなかったので訂正します。名古屋築城は慶長14(1609)年から慶長17、18(1612、1613)年にかけてでした(末注)。慶長19(1614)年の大坂冬の陣、元和元(1615)年の大坂夏の陣の前です。名古屋は対豊臣戦、西国をにらむいわば前線基地でした。平時は大坂が落城した「元和偃武」をもって到来したとみるべきです。名古屋城は「平時に至る平城」とします。名古屋の歴史への私の無知をさらけ出しました。

 もう一つ、無知を披露します。
 名古屋市の中心部の現在図です。
名古屋中心部 現在図 碁盤割 方位線 磁北線
 名古屋城を中心として、城下町の骨格が作られ、現在に生きています。骨格は、いわゆる「碁盤割」です。太平洋戦争の空襲で中心部は焼け野原となりますが、戦後の復興都市計画でも碁盤割はほぼ踏襲されます。

 そこで気になったのが、前掲図に見る碁盤割と方位線のずれです。碁盤割の主な道路を橙色、方位線(東西南北)を黄色、磁北線を赤の各実線でなぞりました(方位線と磁北線は国土地理院サイトに基づく)。このずれは、なんででしょうか? よく見ると(よく見なくても)、碁盤割の基軸になったであろう名古屋城の縄張り自体、正方位とずれています。お城が真南を向いていない。現在の磁北線よりは偏角が小さいようです。お城の縄張り当時(17世紀初頭)の磁北線はどうだったのでしょう。
 碁盤割が方位と合致していなければならぬというのは偏見かもしれないのですが、気になってしまいました。他の城下町や平城京や平安京、条里制の区画はどうなんでしょう。
 
 注:溝口常俊監修『名古屋地図さんぽ』2015年、p.12 
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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