札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2015/01/23

マリヤ手芸店、北海石版、女夫龍神、馬車道

 マリヤ手芸店でお聞きした話の続きです。
 
 それは、昨年7月27日のブログで紹介した「女夫(めおと)龍神」のことです(昨年7月撮影、以下同じ)。
女夫龍神 再掲
 中央区南28条西11丁目、石山通沿いにあります。
 前回お伝えしたとおり、この龍神様のことは山崎長吉『さっぽろ歴史散歩 山の辺の道―定山渓紀行』1995年 に由来が記されています(p.55~56)。その記述の末尾に「マリヤ手芸室 松村富美子の調査の要約」(原文まま)とあります。これを読んだとき、「マリヤの松村さんが、どうしてここを調べたのかな~」と一瞬疑問に思ったのですが、そのまま読み過ごしました。
 このたび、その疑問が氷解しました(なお、私がお聞きしたのは「松村智恵子」さんで、前掲山崎著の「松村富美子」は誤記と思われる)。結論的にいうと、マリヤの松村さんは龍神を祀った人のご子孫だったのです。
 祠は、松村智恵子さんの祖母、本間トクという人によって建てられました。本間トクは、昨日のブログでお伝えした「北海石版」の本間清造の妻です。なぜここに龍神を祀ったかも、山崎著に記されています。松村さんによれば本間トクは信仰の篤い人だったそうです。
 
 以下は、松村さんからお聞きした話で、山崎著には書かれていないことを記しておきます。
 まず、この手水鉢。
女夫龍神 井戸
 7月27日ブログで、私は次のように記しました。
 女夫龍神は土地の記憶を伝えているのかも、と想ったしだいです。
 祠の傍らに手水鉢のようなものがありました。
 地形的にみると、今はともかく元は湧水だったかもしれません。
 
 
 松村さんのお話では…。 
 (手水鉢の奥の)コンクリートで蓋されているのが、井戸だった。この場所は、藻岩山のほうから多いときで五筋くらいの川が流れていたと聞いたことがある。‘ひょうたん池’という池もあった。龍神を祀ったのはそういう土地だったからかもしれない。1928(昭和3)年の辰年にちなんで建てたようだ。石山通りはかつて馬車が行き交い、井戸は馬の水飲み場に使われていた。
 
 以下の図は、豊平川の流路の変遷を示したものです(札幌市博物館活動センターの古沢仁さん作成、赤矢印は私が加筆)。
豊平川 流路変遷図

 画像の左斜め上が北になります。下のほう(南西)の白地の部分が藻岩山です。太古、豊平川は藻岩山の麓を流れ、時代が下るにつれて東漸し、現在の流れに落ち着きました。
 赤矢印の先が、女夫龍神があるあたりです。松村さんが言われた‘五筋くらい流れていた川’や‘ひょうたん池’というのは、この流路とも重なるのではないかと私は想像します。
 龍神様はやはり‘土地の記憶’だとの思いを新たにしました。このやや上流で豊平川は大正時代に大洪水を起こしており、「落ち着きました」といっても地球史からみればほんの一瞬にすぎません。

 龍神様の傍らには、お地蔵さんなども幾つか祀られていて、石造りの小さな祠もあります。札幌軟石のようです。
女夫龍神 馬頭さん
 これは馬頭さんらしい。馬車の交通安全も願ってのことだそうです。

 次なるは、1954(昭和29)年発行の地形図「札幌」からの抜粋です。
昭和29年地形図
 赤矢印の先、神社記号のあたりが女夫龍神です(その南側の墓地記号⊥は山鼻墓地ですね。現在山鼻南小学校、南警察署がある)。気になるのは、黄色の○で囲ったところです。小さな曲線が∩∪形に描かれている。これは微地形を意味しているのだろうか?

 余談ながら、札幌の‘池’が、気になる。
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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