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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2019/04/15

北大に遺る競馬場の地形

 本日もまず、お知らせを一つ。
 明日16日(火)の北海道新聞朝刊(札幌圏版)に、北海道百年記念塔にちなむ話題記事が載る予定です。

 さて、15日夕刻放送されたuhb(8ch)「みんテレ」の「となりのレトロ」コーナー、“余話”(+コトバ足らずの補足)は拙ブログでおいおいお伝えします。
 ①なぜ、競馬場が(今の)クラーク像前に設けられたか?
 ②沢田商店が北大から預かったモノ
 ③時空逍遥の原風景

 全部消化しないうちにまた次の収録・放送が来て“積み残し”そうですが、お許しください。

 ①なぜ、競馬場が(今の)クラーク像前に設けられたか?
 2016.7.31ブログでの謎かけの答えになります。

 番組でもお見せした開拓使育種場の地図です。
開拓使 育種場地図
 (「明治15年5月 引継書類 勧業課」道立文書館蔵から)
 
 この地に育種場の前身となる「札幌官園」が設けられたのは、1871(明治4)年から1874(明治7)年にかけてのことです(末注①)。その後、敷地の東半分くらいが札幌農学校の「農黌園」となります。前掲の地図は西半分で、官園から育種場に改称された後のものです。競馬場の楕円コースが描かれています。造られたのは1877(明治10)~78(明治11)年です(末注②)。

 このあたりの現在の標高図を観ます(国土地理院サイトから作成)。
標高図 北大 クラーク像周辺
 図中「北海道大(農)」と書かれたところの「大」と「(農)」の間に記されている記念碑記号がクラーク像の位置です。そのすぐ東側は青く塗られています。つまり標高の低い地帯で、サクシュ琴似川が削ったくぼ地(一種のコッネイ→コトニ→琴似)です。これは現在の標高図ですが、原風景に近いのではないかと私は想います。

 冒頭画像の明治初期の育種場地図を再掲します。
開拓使 育種場地図 着色加筆
 川を水色で着色加筆しました。東側(画像上、右方)を流れるのがサクシュ琴似川です。西側(画像上、左方)の二本の流れはコトニ本流ですが、今は姿を消しています(末注③)。サクシュ琴似川は、流路が今もあまり変わっていません。

 前掲標高図と照らして、クラーク像の位置を黄色の△の先に示しました。その部分を拡大します。
開拓使 育種場地図 着色加筆 競馬場周辺
 このあたりに、/////////というケバ線が描かれています。いわば高低差です。

 その現在の風景です。中央ローンと呼ばれています。
北大 サクシュ琴似川 クラーク像
 この画像はおおむね前掲の育種場図に加筆した黄色の△の位置と向きで撮りました。赤い矢印の先がクラーク像です。
 クラーク像から左方へ、生垣が植えられています。生垣に沿って、少し小高くなっているのがおわかりいただけるでしょうか。この生垣が、前掲育種場のケバ線とほぼ見合います。つまり、明治の初めに描かれた高低差が、今も生垣に沿って遺っているのです。

 ここで、競馬場の位置を現在の標高図に想定します。
標高図 北大 開拓使競馬場想定位置
 白ヌキの△が前掲中央ローンの撮影位置と向き、□はクラーク会館です。競馬場の想定位置を楕円で示しました。

 結論的にいうと、開拓使の競馬場はサクシュ琴似川とコトニ本流の間の微高地に設けられたのではないでしょうか。コースの整備のために盛り土されたという可能性もありますが、比較的均平で地盤の良さそうなところが選ばれたように見えます。

 クラーク会館から、北を眺めました。
北大 クラーク会館から北望 競馬場の高低差
 右方、シラカバの根元に連なるの生垣を、微高地側から見ています。真ん中に通るのは、北大の背骨ともいえる「メインストリート」(中央道路)です。競馬場はこの左方奥にあったと想います。
 
 お伝えしたかったのは、明治の初め(その前から?)の高低差が今も遺っていることです。
 育種場は農学校に移管され、明治後期に校舎が時計台のあたりからここに移転しました。校舎も、競馬場跡の良さそうな土地に配置されたと想えます。メインストリートも、この微高地に通じました。

 では、そもそもなぜ、ここに官園が設けられたか。長くなるので(というか、もうすでに長い)やめましょう。

 注①:『さっぽろ文庫50 開拓使時代』1989年、p.93、富士田金輔「開拓使の洋風農業導入における札幌官園の現術生徒の役割」『「新札幌市史」機関誌 札幌の歴史』第52号2007年、pp.21-34
 注②:『札幌競馬沿革誌』1928年、p.18。現在のレースに近い形では道内で初めてで、国内でも4か所しかなかった一つだったという。
 注③山田秀三『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年、pp.42-60。同書に記されるとおり、サクシュ琴似川は本来「サクコトニが原音に近く、「アイヌ語にシュにあたる子音はないようだ」(p.47)。これまで拙ブログではサクシコトニと表記してきたが、今回は札幌市管理の川名にしたがい、サクシュ琴似川とする。
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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