FC2ブログ

札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/03/11

子取川 再考②

 昨日ブログの続きです。
 札幌競馬場の東側を流れていたという「子取川」。西側を下ったとされる「小鳥川」。コトニ(琴似川)に絡んで、二本の“ことり”川が伝えられています。かててくわえて、地名研究家の山田秀三先生は原史料を、「小川」ではなく「小川」と読み取っていました。

 そもそも原文にはどのように書かれているのか。
 所蔵元の道立文書館に行って、当たってきました。
村垣淡路守 公務日記 安政五年正月-四月 標題
 村垣淡路守の『公務日記』安政5年1月-4月です。崩し字で書かれています。

 くだんの「小鳥川」あるいは「小島川」が出てくるのは、4月29日の記述です。
村垣淡路守 公務日記 安政五年正月-四月 小島川
 赤傍線を引きました。

 拡大してみます。
村垣淡路守 公務日記 安政五年正月-四月 小島川 拡大
 赤い□で囲ったところです。
 これは、私には「島」と読めるのですが。道立文書館の職員の方にも訊いてみましたが、「“島”でしょうねえ」と。

 『五体字類』改訂第2版1998年から、「島」と「鳥」を引いてみます。
五体字類 島  五体字類 鳥
 紹介されている崩し字と照らしても、「島」でなかろうか。

 山田秀三先生が『札幌のアイヌ地名を尋ねて』で「小島川」に言及した箇所です。 
札幌のアイヌ地名を尋ねて 小島川の記述
 『アイヌ語地名の研究4 山田秀三著作集』1983年から転載しました。
 転載したのは、余白に赤字で手書きされている文言をお伝えしたかったからです。小島川の「島」が○で囲われて「鳥」と書かれ、「小鳥川を小島川とまちがえたのは、山田氏かそれとも印刷まちがいか」とも朱記されています。私の手元にある同書は、北区篠路の郷土史家H先生からご恵与いただいたものです。ご本人に確かめてませんが、たぶんH先生が手書きされたものと思われます。

 山田先生のこの箇所の記述を以下、引用します(『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年、p.63、太字)。
 安政年間の箱館奉行村垣淡路守の日記には、小島川に開発場(開墾場)があって苗代に成功していたとの記事がある。その小島川と「チセネブ川の畔」というのとは同じ場所だろうと「札幌区史」に推定されている。村垣淡路守は、石狩川から発寒川を遡り、発寒→小島川→豊平と歩いている。又小島川、豊平川間が一里だと書いている。それから見ると、小島川の位置は大体十二軒の処にあたる。前記したように、ケネウとその東支流(或はポンケネウシペツかと思われる川?)が川中島のような形に囲んだ土地であるのでその名がついたのだろうか。そこが農業適地だったので、その後在住農家の数が増え、十二軒にもなって、地名も十二軒と呼ばれ、小島川の名の方は忘れられたのではなかろうか。

 文脈からして、印刷の誤字ではなく、山田先生ご自身が「島」と解読していたことが察せられます。前述の余白に書き込んだ方は、何を根拠にして「島」を「鳥」の誤りとしたのでしょうか。もしかしたら、私が道立文書館で閲覧した『公務日記』以外に、「小川」と書かれた底本があるのだろうか。
スポンサーサイト

≪ 皆が思っていることが正しいとは限らない、か?ホーム子取川 再考① ≫

Comment

コメントの投稿

管理人にのみ表示する

Track Back

TB URL

Home

 

プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

カレンダー

04 | 2019/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

最新記事

最新コメント

カテゴリ

閲覧者数(2015.9.4からカウント)

検索フォーム

ランキング

↑ クリックすると、ランキングが見れます。

月別アーカイブ

管理画面

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

最新トラックバック