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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/01/06

空知太神社 ③

 昨日ブログで1月7日と8日のテレビ番組のことを伝えました。昨日のブログの本題とは関係ないと記しましたが、7日のuhbのほうはあながち無関係とも実は言えません。どう関係するか、興味のある方は番組をご覧いただければ幸いです。

 さて、砂川政教分離訴訟の影響は神社(本体)にとどまりませんでした。
砂川 「開拓之碑」
 空知太神社や会館のある敷地の一隅にある石碑です。

 「開拓之碑」と刻まれています。
砂川 「開拓之碑」
 2012(平成24)年最高裁判決文によると、この碑銘は訴訟を経て変えられたものです(判決文pp.3-4)。彫直しに要する費用は約13万円。

 元は「地神宮」でした。空知太神社のいわば付帯施設で、建立されたのは1950(昭和25)年です(末注①)。2010(平成22)年最高裁判決でこの地神宮も本件神社物件の一つ、すなわち宗教施設と認定されました。よってこれが無償で市有地に存在することは違憲とされたのです。
 2010年判決をふまえ、神社を管理する氏子集団が「宗教的色彩のない」(2012年判決文p.4)碑銘すなわち「開拓之碑」に変えました。そういわれてみると、碑銘の部分(黒御影石か)だけ、妙に新しく感じられます。しかし私は現地を訪ねたとき、そのような経緯があったとはよもや思いませんでした。
 土台まわりは前掲画像のとおりすっぽり雪に埋もれていたので、碑文などは確認できません。これも、雪が融けてからあらためて鑑みたいものです。それにしても、地神宮が「開拓之碑」とは。事情を知らずに通りかかっただけなら、私は「ああ、よくある開拓記念碑だな」などとやり過ごしてしまいそうです。私は、「地神宮」を刻んだ碑にそうそうあちこちで馴染みがあるわけではありません(末注②)。一種の喪失感を覚えます。

 …と、ここまで縷々綴ってくると、政教分離という我が国憲法の原則あるいはその運用に疑問を抱かれた読者もいらっしゃるかと思います。私の妻にいたっては、本件訴訟をかつて「イチャモン」と評しました(2018.6.25ブログ参照)。2010年最高裁判決を批判する歴史学者もいるし、判決文自体、裁判官の間でも意見が分かれたことを伝えています。
 ならば私自身はというと、本件訴訟と判決の意義を否定できません。
 
 注①:『砂川市史』1971年、p.1180。「石山の石」産である。『私たちの砂川市史 上巻』1991年にも同様の記述あり(p.351)。なお、ここでいう「石山」とは砂川市内の地名で、明治中期から玄武岩が土木用に採石されたという。
 注②:一般に「地神碑」というと、五角柱タイプ(五神号型)である(2017.5.25ブログ参照)。これとは別に、「自然石=地神宮型」の石塔がある。梅原達治は「天照大神や埴安媛神など特定の神名ではなく、『地神』あるいは『地神社』などの主銘をもつものを当面は地神宮型として五神号型などと区分したい」とする(梅原「北海道の地神塔の儀軌」『札幌大学教養部紀要 第25号』1984年p.75)。「『地神宮』の文字塔が上川、空知地方に多くみられた」(同上)とも。前掲空知太神社の元地神宮は自然石型である。
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≪ uhb収録余話 円山Sさん宅ホーム空知太神社 ② ≫

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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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