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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/09/17

液状化した「里塚ニュータウン」 往時の販売広告②

 昨日ブログの続きです。
 
 「里塚ニュータウン」の販売広告に描かれた分譲住宅の「完成予想図」をトリミングしました。
里塚ニュータウン 販売広告 完成予想図
 変形屋根(招き屋根)は1970年代に特徴的ですね(末注)。

 このたびの地震による液状化で傾いた住宅です(立入り規制線の外から撮影)。
里塚1条1丁目 液状化した地盤の住宅
 外観の意匠が前掲予想図に似ています。この住宅は造成当時に建てられたものと思われます。

 隣の住宅は無落雪の陸屋根で、1980年代以降の普及です。こちらも傾倒しています。ちょうど両者の境目辺を谷底にして地盤がへっこんだようです。元地形は毛細的な沢筋だったのかもしれません。

 一昨日の新聞の読者投稿欄に「清田の液状化に不安と憤り」と題した記事が載りました。以下、一部を引用します(太字)。
(前略)
 札幌市清田区でも、液状化によるとみられる家屋損壊が起きました。現場は40年以上も前に宅地造成された際、田畑だった谷を埋め立てたエリアだったそうです。谷の盛り土は水を含みやすく、まさに液状化を起こしやすい土地だったのですが、住民の中にはそれを知らなかった人や家を建ててから知った人も多かったといいます。
(中略)
 人命がかかっています。安易で無責任な宅地開発は許されません。関係機関はもっと厳しく規制してほしいと思います。

 投稿者の特に(中略)以下の主張に、私も異存はありません。ただし問題は「40年以上も前」(末注②)の時点で「もっと厳しく規制」が可能だったかどうかです。「谷の盛り土は水を含みやすく、まさに液状化を起こしやすい土地だった」という認識が、当時「関係機関」にどこまであったのだろうか。

 これまで拙ブログで私は、液状化を旧河道との関係で注目してきました(9月8日ブログ参照)。しかるにこのたびの液状化では、盛り土の地質的な問題も原因とされています(末注③)。これは研究者の中では昨日今日ではなく、かねて問題視されていたようです(末注④)。しかし、これが1970年代後半の本件宅地造成時に、どうだったか(注⑤)。
 
 注①:足達富士夫『北の住まいと町並み』1990年、pp.83-85 参照
 注②:昨日ブログで引用した本件分譲住宅の販売広告によると、開発行為及び宅地造成の検査は39年前の1979(昭和54)年である。
 注③:北海道新聞2018年9月13日記事「『液状化対策』早く」参照
 注④:(社)日本地すべり学会関東支部「ニューズレター」№2.0、2008年3月8日参照。安田進東京電機大学教授は「危険な宅地盛土を抽出し、合理的な対策工を実施することが重要」と説いている。
 注⑤:岡田成幸「エッセイ 地震から安心して暮らすために」『さっぽろ文庫77 地形と地質』1996年では、「過去に埋め立てや造成の履歴があるかどうか」が震度に影響を及ぼすことを指摘している(p.276)。しかし、あくまでも一般的・概括的な表現である。「液状化」という概念も、明確には言及されていない。ましてや今回の要因たる盛り土の地質には至っていない。
 清田区における地震被害は、1968(昭和43)年地震にまで遡ることができよう。しかし当時の新聞報道では、「火山灰で地盤の悪い」地域での「地盤沈下や隆起」といった記述である(北海道新聞1968年5月17日)。造成による問題は、中心的には窺えない。一方、札幌地理サークル編『北緯43度 札幌というまち…』1983年では「都市化のすすむ台地 -清田-」の章で、「清田団地」について次のように述べている(p.153、太字)。
 団地完成後少しずつ人口が増加していったが、昭和43(1968)年の十勝沖地震で、団地の一部において、安易に造成された個所が崩壊し、団地住民に不安を与えた。しかし団地の人びとの自分の土地を守ろうとする結束と、この反省にたって、業者の火山灰台地における宅地造成に対する積極的工夫が行われ、45年以降着実な人口の伸びを示している。
 実際にどのような「積極的工夫」が講じられたのだろうか。「にもかかわらず」というべきか、2003(平成15)年十勝沖地震では美しが丘地区で被害が出た。このときは新聞報道で「液状化」の言葉が表面化している。研究者による指摘は次のとおりである(北海道新聞2003年9月27日、太字)。
 北大大学院工学研究科の岡田成幸助教授(地震防災学)も「清田区は火山灰が堆積(たいせき)してできた軟らかな地盤の場所が多い。今回は発生場所からみて宅地造成の時に池や沼などを埋め立てた場所で液状化現象が起きたとみられる」と指摘する。
 やはり、盛り土そのものの問題には達していない。繰り返すが、本件「里塚ニュータウン」造成の1970年代後半、「谷の盛り土は水を含みやすく、まさに液状化を起こしやすい」という直截的な知見は得られていたのだろうか。私自身は今、「後出しじゃんけん」」のような気がして、「まさに液状化を起しやすい土地だったのです」とまではなかなか言えない。
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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