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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/08/09

石山通りの幅員減少現象 再考

 本日8月9日の北海道新聞夕刊に、清田区に住む89歳の女性の投稿記事が載っていました。第2面の「陽だまり」という欄で、「平和が続きますよう」という題です。興味を惹かれた箇所があったので、以下一部を引用します。
 昭和16年に女学校に入学し、20年に卒業した私は、ほとんど勉強していない。先日、修学日誌が出てきて懐かしく見てみたが、今の時代は幸せだとしみじみ思う。
 卒業後も学校の指示でいろんな職場へ行き、私は監視隊本部に勤めた。8月15日、24時間勤務を終えて帰る途中だった。石山通り沿いで道路拡張のために、民家を取り壊していた。終戦をまだ知らなかったのだろう。


 興味を惹かれたのは、最後の3行です。私はこれを「建物疎開」のことをいっているのではないかと思います。
 前に拙ブログで西11丁目、石山通りが南6条で道路幅員を狭めていることについて記しました。
 ↓
 2017.4.2 「石山通り、南6条での幅員減少」
 2017.4.3 「石山通り、南6条での幅員減少②」
 2017.4.4 「石山通り、南6条での幅員減少③」

 私はこの幅員減少の理由を、戦時中に北から南6条まで建物疎開してきたところ、「南6条以南も疎開するつもりが、1945年8月15日をもってタイムオーバーだったか」と推察しました。
石山通り 南6条西10丁目

 前述の記事でいう民家の取壊しが建物疎開だったかどうか、ただちには断定できません。しかし、終戦を知らずに道路を拡張していた、というならば疎開のためであったと私には想えます。それが1945(昭和20)年8月15日もまだ続けられていたということは、その後中断したであろうことも窺われます。

 「石山通り沿いで道路拡張のために、民家を取り壊していた。終戦をまだ知らなかったのだろう」という記述は、もしかしたら何気なく読み過ごされてしまうかもしれません。「なぜ、民家を取り壊していたか?」「どうして、『終戦をまだ知らなかったのだろう』と作者は思ったか?」を問うことで、想像力を掻き立てる好材ともいえましょう。貴重な証言だと思いました。このほかにも、この方が勤務していたという「監視隊」がどんなことをしていたかなど、できれば直接お話をお聴きしてみたいものです。
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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