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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/01/17

北海道百年記念塔 ⑧ 組体操ピラミッドもかくや

 1962(昭和37)年7月、町村金五北海道知事は開道百年記念事業をめぐって有識者懇談会を開き、意見を聴きました。その中で次のような提案がありました(『北海道百年記念事業の記録』p.48、引用太字)。
 ここで話題にのぼったのは、道の赤れんが庁舎の保存と将来の用途、当時道内世論の高まりをみていた美術館・総合博物館の設置問題、開拓者や先住民族にかかる資料・遺品の保存、記念塔・森林公園・青少年施設・博覧会などであったが、とくに橋本東三氏提案の記念塔が注目された。
 氏の構想は、高さ100尺(約33メートル)、頂上に金色の北斗星を輝かせ、上部に明治天皇・黒田清隆・佐藤昌介・依田勉三の像を、下にその他の開拓功労者10人以上の像をおき、まわりに開拓の絵図を浮き彫りにした塔を、全道民からつのって札幌の大通りに建てようというものであった。
 この案に対しては、像の対象人物の選び方と建設場所が問題であるという意見もあり、のち結果的には記念塔と別に開拓功労者の銅像が民間有志によって建立されることになった。


 この案を出した橋本東三という人物については、下記サイトを参照願います。
 ↓
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/mnj/d/guide/b/h/hasimonotouzou.htm

 戦前戦中に北海道拓殖計画課長、帯広市長を務めた方だそうです。依田勉三には思い入れがあったのでしょうね。
 おそらく、明治大帝玉像を最上部に奉置し、その下に黒田、佐藤、依田、さらにその下に他の「開拓功労者」10名余の像を立てるという構成でしょうか。10名余は上段に5人、下段に7人配すると、上から1-3-5-7という並びになりますね。
 懇親会の項でこの提案がことさら特筆されていることからして、当時「とくに」「注目された」のでしょう。北海道は、大御心を黒田らが体し奉って、さらにその下々にゆきわたり開拓の大業が成し遂げられたという史観(末注)。私は、これを「現在の価値観で是非を判定すること」(1月13日ブログへのコメント)は控えます。この提案は結局、「像の対象人物の選び方と建設場所が問題であるという意見」により、百年記念塔では日の目をみませんでした。
 
 百年記念塔が「“だれの塔”と限定せず、開拓のすべての先人に感謝と慰霊の誠をささげる」という趣旨に落ち着いた経緯においては、「先住民族や開拓の犠牲になった農民や囚人らを慰霊する」という提案(北海道新聞2016.12.28記事、昨日ブログ参照)だけではなく、このような「特定人物の顕彰」という提案(その根底にある“階級的”な史観)も除外されたのです。私は、これらのいわばせめぎあいのもとに建立されたことに注目したいと思います。冷ややかに見れば、妥協の産物というところでしょうか。しかし、一見静止している綱引きにも、相対するベクトルの大きな力が働いています。

 注:もしかしたら上記1-3-5-7の功労者の下に「開拓の絵図」が描かれ、「先住民族や開拓の犠牲になった農民や囚人ら」も位置づけられたのかもしれない。
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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