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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2018/01/12

北海道百年記念塔 ③

 1869(明治2)年以来、50年目、100年目、そして今年2018年の150年目という節目をどう記念する(した)かは、そのときどきのいわば支配的思想に影響されるようです。1918(大正7)年のときは「開道」50年の記念博覧会が開かれました。1968(昭和43)年は「北海道百年」でしたが、昨日ブログで見たように「開道」も見え隠れしました。「北海道150年事業公式サイト」を見ると、今回は北海道「命名」が打ち出されています。「基本理念」には「縄文文化やアイヌ文化をはじめとする本道独自の歴史や文化」と記されており、「北海道百年」から半世紀の変化が感じられます。

 これは私の歴史観ですが、歴史は肯定的側面と否定的側面が絡み合って進むものだと思います(末注①)。北海道「開拓」の近現代史も例外ではなく、「開拓」に「功労」があった「先人」にしても、一面的に評価することは難しいでしょう。「北海道百年記念塔」建立の理念である「開拓のすべての先人に感謝と慰霊の誠をささげる」というときの「すべての」となると、なおのことです。「感謝と慰霊」だけでは、「肯定的側面と否定的側面」の絡み合いを語り尽くせません。
 この種の記念事業、とくにモニュメント(しかも巨大な)を作ることの難しさをあらためて想います。書物であればいろいろな見解に意を尽くすことがそれなりに可能ですが、記念碑となると物理的な制約があります。その反面、影響力は書物以上に大きかったりします。根拠となる史実もときには訂正されるし、「そのときどきの支配的思想」は後世に誤りとされることがあるにもかかわらず、イシブミなどに刻まれたものは半永久的に残ります。前に拙ブログで「イシブミのたぐいを後生大事にありがたがるのは、実は好みではありません」と記した(2014.9.24)のは、そのような理由からです(末注②)。ましてや巨大なモニュメントとなると、“負の遺産”と化す危険性が高い。

 しかし。
 たとえば北海道百年記念塔が“負の遺産”であるがゆえに「早急に解体」すべきかというと、私はなかなかそう思えないのですね。

 注①:この歴史観は、中学のときに読んだ吉野源三郎『君たちはどう生きるか』1969年で学んだ。同書「偉大な人間とはどんな人か-ナポレオンの一生について-」pp.158-180参照
 注②:同日ブログで後述したように、「しかし、時空逍遥の素材としては結構楽しめるな~」とも思う。記念碑については、2017.7.268.25各ブログ参照
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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