札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/11/13

電柱 水恋幹

 電柱「水恋幹」は、野津幌川に架かる橋の名前に由来するようです。
水恋橋 橋名板①
 水恋橋。

 「みずこいばし」と読みます。
水恋橋 橋名板②
 架かっているのは、国道12号の旧道です。

 1961(昭和36)年の空中写真で、その位置を確認します。
空中写真 1961年 小野幌 水恋橋周辺
 黄色の○で囲ったところです。橙色で加筆したのが国道(江別街道)の旧道です。明治期は濃茶色でなぞった道がさらにその旧道でしたが、大正期には橙色のほうに付け替わっていて、こちらが主流になっています。つまり、橋名はともかくとして、橋はその頃から架かっていたということです。

 国道は昭和30年代、この旧道からさらに新道に付け替えられます。この画像では、新道がちょうど工事中のようです。新道上で野津幌川にまだ橋が架かっていません(末注)。『さっぽろ文庫8 札幌の橋』1979年によると、水恋橋の架設年は1963(昭和38)年です(巻末「橋梁一覧表」)。国道の新道の野津幌川橋は架けられたのは1962(昭和37)年というので、水恋橋の1963年というのは市道への管理替えの年かもしれません。
 ちなみに、電柱「水恋幹」は、この橋から橙色の旧道沿いにかけて、小野幌の鉄路南東部周辺で確認されました。昨日ブログにも記したように、このあたりは比較的最近まで、前掲画像に見られるような散居村的風景でした。電柱命名の目安としては橋の名前が手頃だったのでしょう。電電公社の担当者が「水恋」という名前に惹かれたのかもしれません。

 さて、その「水恋」の由来は如何?
 小野幌に古くからお住まいのNさん(1939=昭和14年お生まれ)にお訊きしましたが「昔は(橋の)名前はなかったと思う。いつのころからか、水恋橋と付けられたが…」とのことです。
 『小野幌開基百年』1988年に、次の記述があります(p.75、引用太字)。
 小野幌の水田耕作は、明治二四年頃秋本槌五郎によって四反歩(約四十a)程度試作されたことに始まります。
 その後入植者が増加し、稲作の普及で水田の面積が拡張され、加えて上流地域の樹木の伐採の影響で、明治末期頃には、小野津幌川や野津幌川の自然流水のみでは、耕作が不可能となる水田も出はじめました。
 当時、造田熱は所要用水量を越えて、無計画に造られ、雨が降れば水が溜まるので、「雨降り田圃」とか「水溜り式田圃」とも言われたようです。
 用水源の小野津幌川、野津幌川は、両者共融雪期を除く期間の流水は少ない小河川です。夏季における水量の確保が大きな課題でした。両川の下流地帯の三十町歩(約三十ha)は、殆んど収穫が皆無(大正十五年当時)という状態でありました。

 
 橋名の由来に直接言及する箇所は見つけられませんでしたが、当時の稲作農家のいかにも「水恋」しい様子が伝わってきます。『小野幌開基百年』はNさんのお父さんらが編集委員になってまとめられたものです。今となっては、橋の命名をご存じの方がご健在かどうか。私としては前述の引用をもって橋名の由来を想像することとしたいのですが、いかがでしょう。

 注:国道(江別街道)は、前掲『小野幌開基百年』によると、旧旧道(濃茶色)から旧道(橙色)に付け替わったのが1915(大正4)年、新道ができたのは1961(昭和36)年という(pp.234-235)。しかし前述したように、1961年空中写真を見る限り、新道はその時点で完全には通じていない。
スポンサーサイト

≪ 小野幌 Hさん宅納屋ホーム小野幌の散居村 ≫

Comment

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿

管理人にのみ表示する

Track Back

TB URL

Home

 

プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

最新記事

最新コメント

カテゴリ

月別アーカイブ

最新トラックバック

閲覧者数(2015.9.4からカウント)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR