札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/10/14

江別・新野幌歩道橋

 江別市文京台、国道12号に架かる歩道橋です。
江別 新野幌歩道橋
 北翔大、札幌学院大の近くにあります。初めてこの歩道橋の名前を見たとき、「文京台は、もともと‘新’野幌だったんだなあ」と思いました。否、というくらいにしか、思わなかった。江別で野幌というと札幌からのJRの駅の順番で大麻よりも遠いので、ここに野幌という名前が遺ることを一瞬意外に感じたのです。
 ただし、大麻(←大曲、麻畑)はJR線の北側であり、南側は現森林公園(の江別市側)を含め一円、「西野幌」なので、実は意外でも何でもないのでしょう。私の地理感覚だと、西野幌のセラミックアートセンターなどのあたりは、大麻を通り越して野幌まで行って南へぐるっと廻った先です。しかし、文京台の市街地の先から森林公園を突き抜けると、目と鼻の先、とまではいわないまでも、かなり近い。
 そうはいっても、新野幌の「新」には、何かワケあり感が漂います。まわりを見渡したとき、文京台という地名に上書き・更新されているのに、古そうな歩道橋だけ「新」です。
 
 本年9月に、江別市郷土資料館主催の「バスでめぐる野幌・大麻地区の遺跡」というツアーに参加してここを通ったとき、ガイドの学芸員Sさんから、やはり歩道橋の名前のことを聞きました。江別では知る人ぞ知る歩道橋なんだなと、あらためて思ったものです。
 そして今日、野幌森林公園自然ふれあい交流館主催の講演会「野幌の森の戦後史」で、地域史家・西田秀子さんのお話を聴き、この地名に刻された戦後開拓の苦闘を知りました。

 自然ふれあい交流館でお話を聴いた後、西田さんの案内で森林公園内の開拓部落跡を歩きました。
野幌森林公園 中央線
 現公園のど真ん中に「新野幌第二部落」があったそうです。敗戦によって職・身分を失った軍人軍属とその家族が、国策により入植したといいます。

 離農跡地を教えていただきました。
新野幌第二部落 離農跡地
 農地に不適な重粘土の地質で、1946(昭和21)年に入植した116戸(新野幌第一~第五部落)のうち1965(昭和40)年に残っていたのは76戸、1/3が離農しました。 昭和40年代、開道百年記念事業による森林公園の復元植林とともに、残っていた入植者も移転します。

 教えていただいて初めて、人家のコンクリートの残骸があることを知りました。
新野幌第二部落 離農跡地 残骸
 前掲画像の赤い矢印の先をズームアップして撮りました。野幌森林公園は環境保全のため、遊歩道から外れて森林内には入れず、近くまではいけません。

 このほかにも、公園内に遺る謎の(?)廃墟のこともお聴きしましたが、やはり近づくことはできませんし、西田さんからは固く口止めされましたので、胸の内にしまっておきます。
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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