札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/10/11

豊平・Ⅰ商店の蔵 1950年の浸水 ④

 空中写真1948(昭和23)年米軍撮影で連合用水路を見てみます。
空中写真 1948年米軍 連合用水路
 昨日、一昨日掲載の古地図とほぼ同様に用水路を加筆着色したほか、新たに定山渓鉄道を黄色の線でなぞりました。用水路は一部読み取りづらいため、着色が途切れていますが、実際はつながっていたと思います(暗渠の可能性もあり)。濃い青は自然河川の「小泉川」(昨日ブログの末注参照)です。1950(昭和25)年の第三号用水路の洪水氾濫で浸水した豊平・Ⅰ商店は、平岸街道が室蘭街道に達する黄色の矢印の先に当たります。
 
 Ⅰさんの本(10月8日ブログ参照)に書かれている「東山水源の田圃の水が定鉄線路の横を通り排水口に入るようになっていたのだが、夜来の雨で溢れでて」きた、というのはどういうことでしょうか。Ⅰさんのご主人の言葉で補うと、「当時(昭和20年代)、平岸の‘ぼうず山’から下(北側)は水田が広がっていて、用水路が流れていた」とのことです。ぼうず山は、前掲空中写真で橙色の▲で示したところです。たしかに、そのふもとから北側には水田が見て取れます。主に、定山渓鉄道の東側です(西側はリンゴ畑)。水田の一帯を、第一号、第二号用水路が流れています。

 私は当初、この水田地帯の水が溢れたのかと想いました。そうだとすれば、第一号や第二号の用水路も洪水になった可能性があります。しかしⅠさんによると、氾濫したのは第三号だけだったそうです。第三号用水路は昨日、一昨日ブログで示したように、平岸用水の下流(豊平と平岸の字界あたり)から分岐しています。一方、第一号、第二号は平岸用水の上流から引かれています。

 さて、今回のテーマの結論に入ります。
 67年前の用水路の洪水は、札幌扇状地・平岸面の記憶がよみがえったのではないか。10月4日ブログ掲載の「カシミール3D」で、平岸面を想い起してみましょう。そもそも扇状地とは、川の洪水氾濫によって形成された地形だと思います。古い平岸面も、例外ではない。人工的な用水路であっても、1万年以上前の記憶が引き継がれたと見て取れないでしょうか。ぼうず山麓の水田地帯(第一号、第二号用水路の上流部)の伏流水が増量し、扇状地の下流部の地表で溢れた。私の妄想です(末注)。[おわり]

 注:『新札幌市史 第八巻Ⅱ 年表・索引編』2008年によると、1950年7月30日~8月1日「大雨により市内の各河川が氾濫し、藻岩・上白石・白石中央・厚別団地の浸水被害が特に甚大」であった。
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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