札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/10/05

平岸街道 再考

 一昨日ブログに続き、平岸街道を再開します。
 現在、(行政上の)“正式な”道路名としては「平岸街道」は使われていません(一昨日ブログに記した「市道平岸街道線」以外は)。しかし、拙ブログにお寄せいただいたコメントにもあるように、通称として人口に膾炙しています。その適否をとやかくいう筋合いはありません。私が先日来あーだこーだ述べているのは、拙ブログのほかの話題同様、遊びです。という前提の上で続けます。 

 「北海道札幌之図」1873(明治6)年です(北大図書館蔵)。
北海道札幌之図 明治6年 全体
 作成したのは「開拓使測量課」で、現在の札幌の中心部に当たる一帯を比較的正確に描いた地図としては最も古い部類のものです(末注)。
 左下に「南北ハ磁針ヲ以テ定メタレハ真ノ南北ハ磁針ヨリ東ノ方五度ニアリ」と書かれています。それで真北を上にすべく、画像を右に傾けました。

 黄色の□で囲った部分をトリミングして見てみます。
明治6年北海道札幌之図 有珠新道
 赤い○で囲ったところに「有珠新道」と書かれ、道が描かれています。
 その道を南に下った(地形的には昇った)ところに村落が描かれ、「平岸」と書かれています(実際は「平岸村」と書かれているが、トリミングした部分は「平岸」まで)。
 つまり、ここに描かれているのは平岸街道です。
 この古地図で判るのは、平岸街道が「平岸村」から北北西に伸びていることです。
 
 10月2日ブログに載せた現在図を再掲して比べてみます。
現在図 平岸通、平岸街道
 北北西に伸びている道は、現在の国道453号平岸通、すなわち黄色の線でなぞった道とほぼ一致しているように見えます。 
 桃色でなぞった「旧平岸街道」は、1873(明治6)年の時点ではまだ描かれていません。

 つまり、「旧平岸街道」よりも、現平岸通の黄色の部分のほうが実は古くからあったということになります。桃色の道はいわば、「新」平岸街道です。私がこちらを「旧」平岸街道と呼ぶのにタメライを感じたもう一つの理由は、ここにあります。話がややこしくなりますが、平岸通の黄色の部分こそ、「旧」平岸街道ともいえると思うのです。

 別の古地図で見てみます。
明治7年札幌郡各村図
 明治7年「札幌郡各村図」1874(明治7)年(北大図書館蔵)から抜粋しました。
 やはり道は北北西に曲がっています。赤く描かれているのが道で、これに沿って青く描かれているのは用水です。

 明治29年地形図です。
明治29年地形図 平岸街道
 現在図に桃色でなぞった道が実線で描かれます。一方、黄色の道は破線になっています。道の主従関係が変わったようです。

 平岸通の黄色の部分のほうが実は古かったことに私が気づいたのは、北大図書館蔵の古地図を漁ったことによりますが、これは私の発見でも何でもありません。故澤田誠一先生が編んだ郷土誌『平岸百拾年』1981年で、すでに記されています。[つづく]

 注:「比較的正確に」と記したが、この地図はよく知られるように、1873(明治6)年の「測定」とされながら、1875(明治8)年にできた山鼻屯田兵村の区画が描かれたりしている。計画図か、または後世に描き足された形跡がある。
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言い方を変えれば黄線は「旧旧平岸街道」とも言えるんですね。
旧旧平岸街道が旧平岸街道にリベンジして現在国道まで進化したとういうことでしょうか(笑)。

澤田誠一先生といえば以前小説『平岸村』を読んだ記憶があります。出版されてから干支がもう一回りしたんですね。

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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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