札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/09/21

国鉄の錬成農場

 「厚別歴史散歩 新さっぽろ・ひばりが丘編」を9月26日に控え、道新販売所の地域新聞への連載「厚別ブラ歩き」の原稿締切り9月25日が近づいてきました。目下、「歴史散歩」の当日配布資料と連載の原稿書きに没頭しています。没頭していると言いながら、この数日のブログは円山地区をネタにしているのですが、その余裕もなくなってきました。しばらくは地元厚別に専心します。

 7、8月の創成東、先週の円山を巡ったときに作った資料では、「見どころポイント」を20~30箇所余り挙げました。今回の「歴史散歩」では16箇所になりそうです。新さっぽろからひばりが丘までの直線的な行程で1.5㎞ほどなのですが。多い。創成東や円山は札幌建築鑑賞会で過去に催した「大人の遠足」の蓄積がありました。今回はそれがありません。私の日常生活の徒歩行動圏ですが、文章化はほとんどゼロからの出発です。文章化するとなると、例によって、裏付ける史料や文献を確かめる必要がある。

 例えば、私が住んでいる厚別中央地区には昭和戦中期から戦後にかけて、国鉄の「錬成農場」がありました。このことは郷土史の文献に散見されます。古老の話も載っています。私も二十数年前、馬場五三郎さんからお聞きしました。時系列的にいうと、日本麻糸(のちに帝国製麻)の製線工場→馬場牧場→錬成農場→市営住宅ひばりが丘団地、です。
厚別中央1条3丁目 馬場牧場サイロ 再掲 2016
 文献を複数漁ると、錬成農場に関する5W1Hが大まかに浮かび上がります。しかし、例えば「なぜ、国鉄が農場を始めたのか?」とか、「国鉄はこのような農場をほかにも設けていたのか?」「具体的に何を作っていたのか?」「戦後は、どの程度続けていたのか?」となると、管見の限りそこまで書かれているものに当たりません。国鉄北海道総局が編んだ『北海道鉄道百年史』(上)(中)(下)1976、1980、1981にも載ってない(そもそも錬成農場のこと自体、言及されていない。私の見落としでなければ)。

 今となっては、馬場さんに突っこんで訊かなかったことが悔やまれます。さらっと聞き流してしまったのですね、私は。
 錬成農場(末注)をご存じの方、「この文献に詳しく書かれている」という情報も含め、ご教示いただければ幸いです。

 注:文献には「練成」(いとへんの「れん」)とも書かれるが、戦時中の新聞報道では「錬成」(かねへんの「れん」)が用いられているので、ひとまず「錬成」とする。
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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