札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/09/13

円山裏参道公園はどうしてできたか ②

 国土地理院空中写真1961(昭和36)年から、現在の円山裏参道公園の付近(中央区南2条西20丁目)を見てみました。
国土地理院空中写真1961年 南2西20周辺
 赤い線は1941(昭和16)年までの札幌市(旧札幌区)と円山町(旧藻岩村)の境界です。西20丁目通が南へ直線化されています。
 黄色の○で囲ったのが、くだんの公園になる場所です。南1条通がナナメにショートカットされていて、三角形が出現しています。ナナメのショートカットがいつ通じたか判りませんが、市電の路線との交通緩和という目的が想像されます。橙色でなぞったのが市電の路線です。南1条通を西進し、西20丁目で北へ折れています。自動車の交通量が増えてきて、市電路線との並行は少しでも避けたかったのではないでしょうか。三角形の土地は、何となくすでに公園のような雰囲気が窺われます。

 遡って、1948(昭和23)年の米軍撮影空中写真です。
米軍空中写真1948年 南2西20周辺
 黄色の○で囲ったところ、すでにこの時点でおぼろげに三角形の気配が見えます。

 あることに気づきました。赤い線(旧市村界)のクランクしている細長い一帯です。これまで拙ブログをお読みいただいてこられた方も、気づかれた方が多いのではないでしょうか。
 のちに三角公園になる場所(黄色の○)も含め、建物らしいものがほとんど写ってません。これも何となくですが、不自然に空き地になっているように見えます。しかも、元からの空き地というよりは、更地にしたような形跡…。
 このクランク地帯、もしかしたら建物疎開された痕ではなかろうか。
 してみると、三角公園あらため円山裏参道公園も、札幌の戦跡か。いや、私の眼は札幌=軍事都市史観に偏向しているので、予断は慎みましょう。
 
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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