札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/08/14

1937年と1942年の都市計画図を見比べる ③

 昨日ブログの続きです。
 現在図を確認しておきましょう(元図は札幌市白石区役所「白石区ガイド」から抜粋)。
現在図 白石中の島通り
 橙色でなぞったのが白石中の島通りで、赤い線でなぞったのがかつての都市計画道路「白石駅通り」の名残の道です。都市計画道路は1941(昭和16)年に赤い線から橙色の線に変更決定されます。なぜか。

 変更決定にゆかりのある建物が、今も遺っています。
つきさっぷ郷土資料館
 旧北部軍司令官官邸、現在のつきさっぷ郷土資料館です。1940(昭和15)年築。

 1940年というのは日本の軍政史上、節目となった年でした。空襲に備える軍民挙げての防衛(昨日ブログ参照)を統括的に指揮する陸軍の管区「東部軍」「中部軍」「西部軍」「北部軍」が全国に設けられます。東北4県、北海道、千島、樺太を管轄したのが北部軍です(末注)。その司令部が月寒に置かれました。司令官官邸の隣、現在の月寒中学校のあたりです。

 前掲図を見ると、赤い線の「白石駅通り」は月寒中学校の敷地で途切れています。破線でなぞったところです。軍用地となったために、都市計画道路の変更を余儀なくされたのです。国防それも防空指揮も含めた中枢が置かれたのですから、ひとたまりもありません。

 昨日ブログに載せた1942年都市計画図をもう一度見ます。
1942年地形図 北部軍司令部
 赤い線で囲ったあたりに北部軍司令部が置かれました。前述したように、「白石駅通り」を遮るように用地が確保されています。地形的には望月寒川の右岸、舌状台地上と見えます。交通上も、地形上もちょうど都合の良い立地だったのかもしれません。
 余談ながら、北部軍司令部の南側、黄色の線で囲ったところは歩兵25連隊が置かれていたところです。が、真っ白に消されています。1937年計画図には、こまごまと建物の配置が描かれていましたが(昨日ブログ参照)。

 注:札幌建築鑑賞会「札幌百科」第14回「札幌は軍事都市だった?! 1945年の札幌―空襲、敗戦、占領―」西田秀子さん作成資料及び『さっぽろ文庫73 昭和の話』1995年、pp.108-113による。
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≪ 篠路・丸〆街道を歩く ⑭ホーム1937年と1942年の都市計画図を見比べる ② ≫

Comment

連隊通(白石停車場線)があの中途半端な所で突き当たりになっているのは地元なので理由はわかっていたのですけど、司令部建設前の道路計画では月寒の南北縦道としっかり繋ぐ予定だったのですね。
「元々白石村の道路で月寒と繋ぐ予定も理由もなく村界で終わるのは当たり前、川下街道踏切から月寒駅前を抜けて繋がる道路も司令部もあるし延長なんかこれっぽっちも想定されてなかった」としか思っていませんでした。

白石中の島通りも偶然の産物(?)とはいえ戦前から計画されていたとは…目から鱗でございます。

この都市計画図二枚だけでご飯何杯かいけますね。

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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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