札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/08/12

1937年と1942年の都市計画図を見比べる

 「札幌都市計画図」1937(昭和12)年から札幌市の中心部を抜粋しました。
昭和12年都市計画図 札幌中心部

 こちらは昨日ブログでも引用した1942(昭和17)年の札幌都市計画図の、同じく市中心部を抜粋したものです。
昭和17年都市計画図 札幌中心部

 二つの計画図を見比べると、ちょっとした違いに気づきます。それは、市中心部の計画道路の一部が緑色に塗り替わっていることです。このほかにも違いはありますが、ひとまずこれに注目します。

 中心部をさらに拡大してみましょう。
 まず1937年図。
昭和12年都市計画図 札幌中心部 拡大 緑色は大通と創成川沿いに限られています。

 次に、1942年図。
昭和17年都市計画図 札幌中心部 拡大
 石山通りの一部、南4条通りが緑色に変わっています。さらに、豊平川右岸、一条大橋橋詰の菊水のあたり(7月27日ブログ参照)が部分的に緑色になりました。
 緑色は何かというと、「広路」です。広路というのは、都市計画道路でもっとも広幅員のものをいいます。ただし1937年図と1942年図で定義が異なっていまして、前者は「55m乃至110m」、後者は「44m以上」です。広路の一つ下は「一等大路第一類」で、これは1937年図では「36m乃至20間」、1942年図では「36m以上」です。また、1937年地図で石山通りや南4条通りは赤色で描かれていますが、これは「一等大路第三類」で、「22m乃至28.5m」という区分です。したがって、1942年図において緑色に変わっているところは、事実上、道路幅を最大限に広げるべく計画変更されたことを意味します。

 1937年から1942年の5年間で、何があったか。
 一九四○年(昭和一五年)四月、都市計画法が改正され、法第一条の都市計画の目的に防空が追加された。この結果、防空は交通、衛生、保安(安全)などと同等の位置を与えられ、都市計画の基本目的のひとつとなったのである。
 これまで日本の都市計画の流れとして一貫して存在した都市不燃化・防火の対策、そして一九二○年代後半から導入されてきた田園都市、地方計画、緑地計画の思想はすべてこの防空都市計画の考え方に吸収されていく
(越澤明『東京都市計画物語』2001年、p.248)。

 防空都市計画とは何か。
 第一次大戦後、軍事技術(飛行機と爆弾)の進歩の結果、軍事的にみた都市防衛の第一課題が空襲対策となった。このため、空襲を防ぎ、その被害を軽減させるという観点に立って都市形態の改造と都市建築物の改修を進めるという考え方が生まれた(同書p.246)。

 昨日ブログで取り上げた東8丁目通りは、1937年「一等大路第三類」から1942年「一等大路第一類」に‘格上げ’され、かつ例のナナメの割込みへの変更が企てられます。防空思想の遺物でもあったわけです。
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