札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/08/11

75年前の都市計画道路

 東8丁目篠路通りです。
東8丁目篠路通り 大通東7丁目 北望
 大通東7丁目から北を望みました。

 東8丁目篠路通りの現在図です(元図はサッポロファクトリー近くにあった札幌市設置の観光案内看板から)。
東8丁目篠路通り 現在図 中央小学校付近
 赤い線でなぞったのが当該通りで、黄色の▲の先が前掲画像の撮影地点、橙色のⅩがⅩ字形交差点の位置です。東8丁目の通りが、東区方面からナナメに割り込んできています。

 7月22日7月23日ブログで記したとおり、前掲撮影地点でこの通りの道幅が広いのは、戦時中の建物疎開に由来していることが判りました。また、7月30日7月31日ブログで述べたように、割り込まれたほうの通りは創成川から南一条通りを街区60間+道路11間で区切っていった地点にあり、かつての札幌区の区界が引かれていたところでもありました。その結果、この通りの東側にあった本来の東8丁目の通り、すなわち元村(東区)や篠路(北区)から通じる路線が割り込んでくることになりました。

 7月23日ブログで私は「この通りが拡幅された時点で、否、戦時中の建物疎開の時点で、元村~札幌村との交通路である東8丁目通りをナナメに割り込ませるのを都市計画の担当者は見込んでいたのかもしれません」と記しました。時系列的にいうと、建物疎開→道路拡幅→東8丁目篠路通りの割込み、です。建物疎開は1945年、道路拡幅は1950~52年です。ナナメの割込みは1960年代後半です(同日ブログ参照)。
 実際その順番で実現していったことに違いはないのですが、このたび古い史料を見返したところ、この通りの拡幅と道路のナナメの割込みは建物疎開以前から画策されていたことがさらに判りました。

 「札幌都市計画図」1942(昭和17)年です。
昭和17年札幌都市計画図
 都市計画法に基づいて決定された計画道路が描かれています。札幌市で道路が都市計画決定されたのは1936(昭和11)年が最初ですが、本図はその後の変更や追加を含めて示したものです。
 
 くだんの東8丁目通り付近を拡大してみましょう。
昭和17年 札幌都市計画図 東8丁目通り周辺
 黄色の矢印の先に示したのが、その通りで、凡例によると「一等大路一類 36m以上」です。1942年の時点で、道路の拡幅とナナメの割込みが都市計画決定されていることが判ります。つまり、私が7月23日ブログで推測した時点よりもさらに古い時期に、こんにちの姿が目論まれていたのです。
スポンサーサイト

≪ 1937年と1942年の都市計画図を見比べるホームスタミナ冷し ≫

Comment

この都市計画図いいですねぇ。

また東8丁目通りの話から逸れてしまってもうしわけないのですが…
拡大してもピンボケしてしまうのではっきりわかりませんが、旧国鉄東札幌駅から旧東橋へ繋がる菊水7条と8条の間の通りが途中まで何故か拡幅されている理由の一端が少しわかったような気がします。
ただ、この図面からは東橋も最初から現在の場所への架け替えが前提、そして瑞穂大橋も作られる予定のように見受けられるのですが、なぜ拡幅予定だったのか。
図面全体、特に菊水側が全くどうなってるのかわからないのですが、もしかして既に現在の拡幅されている部分は昭和17年の時点で拡幅されている状態?
苗穂駅前の東12丁目と13丁目の間の旧東橋へ繋がる通りは昭和17年の時点で既に拡幅されているようですし。
それが戦中の物資不足、もしくは戦後に東橋架け替えもあり拡幅延伸が中止になり、、、的なことなんでしょうか。

他にも各地、色々謎が解けそうなので是非現物を見てみたい図ですね。
北大図書館や中央図書館で閲覧出来るのでしょうか?

コメントの投稿

管理人にのみ表示する

Track Back

TB URL

Home

 

プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

最新記事

最新コメント

カテゴリ

月別アーカイブ

最新トラックバック

閲覧者数(2015.9.4からカウント)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR