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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2017/08/08

篠路 カネヨK商店 余聞

 6月23日ブログで、篠路のK商店石蔵が解体中であったことを記しました。
篠路 K商店石蔵解体跡地
 先月中旬に足を運んだところ、跡地はきれいに何もなくなっていました。軟石の残骸も見当たりません。

あらためて、在りし日を偲んでおきます。
篠路 カネヨK商店石蔵 在りし日 再掲
 2015年5月の撮影です。

 さて、持ち主だったKさんを訪ね、建物の築年などをうかがってきました。建物現存中にお訊きしておけばよかったのですが、やむをえません。
 お話によると、Kさんが生まれる1943(昭和18)年よりも前、お祖父さんの代に建てられたそうです。「築100年にはなっていたんでないか」とのことですが、ひとまず昭和初期としておきましょう。もともとはタマネギを収蔵していたのですが、酒屋を営むようになり、店の物置として使っていました。その商店(近年はコンビニ)も10年前に閉じました。このたび解体に踏み切ったのは、Kさんが高齢となり「息子の代に負担をかけさせたくないから」ということです。「使ってないモノをただ残すわけにもいかないし。もったいないという人もいたが、持ち主にしてみるとねえ。『軟石、軟石』っていうんだけど」と。

 Kさんの話をお聞きして、「軟石、軟石」という空気が世の中に漂っているんだなあと、はからずも知りました。Kさんの口吻からは石蔵への愛着も伝わってきて、それゆえに葛藤もあったこととお察しします。惜しむらくは、もう少し早くお会いすればよかった。札幌軟石の残骸を、一つでいいから現地に遺してもらうようにお願いしたかった。

 Kさんの石蔵にあった釜が現在屯田郷土資料館にあるらしいことは先のブログに記しました。
 6月下旬、その資料館に行って、現物を確かめてきました。
屯田郷土資料館
 資料館には篠路屯田の兵屋が復元されています。

 兵屋の土間に、昔のモノが幾つか置かれていました。
屯田郷土資料館 釜
 説明書きなどは見当たりませんが、Kさんの釜というのはたぶんこれかと思います。黄色の矢印の先です。ほかにそれらしいモノはありません。念のため当番をしていた方にお訊きしましたが、これらの展示品についての目録等はなく、由来は判らないとのことです。せめて拙ブログで、K商店の石蔵に眠っていたという出自を記憶に留めておきましょう。Kさんによると、「30年ほど前、篠路にコミュニティセンターができるとき、所長に打診したところ「要りません」と言われたため、かねて知己だった屯田郷土資料館の館長に引き取ってもらったそうです。

 同じく、石蔵に眠っていたウイスキーグラスです。
K商店 石蔵の遺物
 Kさんからいただいてきました。
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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