札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/06/15

阿部神社 ⑤

 豊平神社です。
豊平神社
 主祭神は上毛野田道命で、津軽の猿賀神社から分祠されました。

 宮司さんにお尋ねしました。
 私「こちら(豊平神社)はもともと阿部仁太郎にゆかりがあり、本社は猿賀神社と聞きます。お祓いに出向かれている厚別旭町のT社屋上の猿賀神社も、(敷地の)元の地主は阿部さん(二代目仁太郎)です。あの(T社の)神社も、阿部仁太郎にゆかりがあると思えるのですが…」
 宮司「(札幌で)猿賀神社のご分霊は、うち(豊平神社)とあそこ(T社の神社)だけですからね…。私の父が宮司をしていたときのことですが、なんでもT社の先代社長が『もともと(敷地に)あった神社なので粗末にできない』と言って、ビルを建てたときに(屋上に)祀ったと聞いています」
  
 T社屋上の猿賀神社の由来を物語る伝聞情報が得られました。かつての阿部神社(旭町神社)を遷座した可能性が濃厚です。煉瓦造倉庫(本年3月30日ブログ参照)に続く、厚別旭町に遺る阿部仁太郎ゆかりの物件第二号であります。

 話は前後しますが、T社屋上の猿賀神社が建立(遷座)されたのは、社屋が建てられたときと思われます。T社での聞取り及び同社サイトによれば、それは1971(昭和46)年です。前述の豊平神社宮司さんのお話からすると、その頃までどうやら阿部神社が一隅にあったようです。

 …と、ここまで記してきて、読者の中には疑問を持った方もいらっしゃることでしょう。それは6月12日ブログに記したことです。すなわち、阿部神社(旭町神社)は1944(昭和19)年、信濃神社に合祀されたという史実です。戦前に合祀されたはずの神社が、戦後の昭和40.年代まで現地に遺っていた?

 この謎をどう解けばよいのでしょうか。
 合祀された先の信濃神社の周年記念誌(末注)をひもとき、こんどは信濃神社を尋ねました。その顛末は…。
 本シリーズもかなり長くなりましたので、顛末は端折りまして結論を先に述べます。豊平・信濃両神社での聞取り等をふまえると、阿部神社は信濃神社に合祀されつつ、分祠として(いわば阿部家の個人祭祀用に?)現地に遺っていたのではないか。ただし確証はまだありません。現時点の仮説・推測です。私の厚別での師匠で郷土史家のMさんほか諸先達に近々お尋ねしようと思います。読者諸賢におかれてもご存じのことがありましたら、お知らせいただければ幸いです。わかりしだいあらためてお伝えすることとして、これでひとまずの区切りとします。[おわり] 

 注:『鎮座九十年記念誌 信濃神社今昔』1988年、p.68、『信濃神社鎮座百周年記念誌 信濃神社百年』2000年、p.103参照
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≪ 鴨々川をたどって探る札幌の歴史ホーム阿部神社 ④ ≫

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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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