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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2021/03/31

札幌市資料館に使われている硬石は、南区硬石山産か? ③

 標題とは別件のお知らせです。札幌建築鑑賞会は今年2021年で会発足30周年を迎えます。それに関連して先日、北海道新聞の別刷り「さっぽろ10区」記者の方の取材を受けました。記事は4月2日(金)に掲載される予定です。よかったらご覧ください。

 昨日ブログの冒頭で、標題の問いに対する答えを否、と記しました。正確に言うと、「大部分は」否、です。南区硬石山産のいわゆる札幌硬石とみられる石材が一箇所、使われています。

 その箇所は、下掲の赤い矢印を付けた先です。
旧札幌控訴院 正面車寄せ 象嵌石
 正面車寄せの上部に、右から横書きで「札幌控訴院」と刻まれています。

 3月27日ブログに、同院の大正13年度「第二期工事内訳書」(札幌市公文書館蔵)からの抜粋を載せました。
大正13年度 建築書類 札幌控訴院庁舎及附属舎並ニ倉庫新営工事其他ニ関スルモノ 第二期工事内訳書 窓台石ほか
 黄色の□で囲ったところの左端の「正面文字 象眼石」だけ、「札幌硬石」と書かれています。「象眼石」は、前掲に示した丸い文字の部分を指すのでしょう。

 前掲画像を拡大しました。
旧札幌控訴院 正面車寄せ 象嵌石 拡大
 まわりは札幌軟石ですが、文字を刻んだ丸い札幌硬石を嵌めこんだようです。たしかに、軟石とは表面の質感が微妙に異なります。ちなみに、その上の笠石は先日来述べている「二俣硬石」です。その中央に彫られた目隠しの女神も、軟石の肌合いではありません(昨日ブログに関連事項記述)。

 これまで記してきたことを整理します。
札幌市資料館 札幌硬石 二俣硬石
 黄色の矢印を付けた先が二俣硬石、赤い矢印が札幌硬石、それ以外の全体は札幌軟石です。

 3月27日ブログでは、二俣硬石と札幌硬石が別物であることを推理しました。札幌控訴院建築当時の書類から、関係する記述をさらに繙きます。
札幌控訴院 大正11年度 建築書類 石材ニ付キ追伸
 「大正11年度 建築書類 札幌控訴院庁舎新営工事及其他ニ関スルモノ」(同上蔵)からの抜粋です。札幌控訴院の建築現場の「技手」が司法省の「技師」に「石材ニ付キ追伸」と題して宛てた書面に、二俣硬石と札幌硬石の違いが記されています。かいつまむと、札幌の鉄道病院で二俣硬石が使われた先行事例があり、これを調査した結果を報告したものです。以下、一部を引用します(太字、文中旧字体は通用字体に直した)。
 二俣石ヲ多ク使用シタルハ札幌ニ於テハ病院ガ初メテニテ耐久其他ノ成績ハ断言スル事ハ出来ザレ共札幌硬石ヨリハ幾分軟質ナレ共粘力アリテ札幌硬石ノ如ク脆ク損ジ無キ様故彫刻ノ易キ事ト外観ノ美ナル事ニテ札幌硬石ニ優ルトノ事ニ候 私モ実地病院ノ腰石ニ使用シアルヲ実見シタル所白丁場ノ如クニテ中々美観ヲ呈セり
 尚価格モ二俣石ガ幾分安価ニ御座候
 二俣石 一切 一、九○○ 外ニ上小叩キ据付人夫共一式 二、二○○
 札幌硬石 〃 二、一○○ 仝 二、四五○
 札幌軟石 〃 、四三○ 小鶴仕上(ビシャン仕上ハ出来ザル由) 、二○○
                江戸切リ瘤出シ 、三○○      
                平均 、二五○
 右ノ調査ニ依レバ御指令ノ通リ二俣石使用ヲ利益ト存ゼラレ候ヘ共彫刻手間ニ付キテハ何レモ私ノ考エトハ大イニ差ノ生ジ居リ候
 工費内訳書ノ石材及手間ニテ全部金六、○九四、○○トナルガ
 此ノ調ベニ依ルトキハ 金八、一九一トナリ詰局
 茲ニ二千九拾七円ノ増加ヲ生ジタリ
 予定価格調製ノ節ハ宜敷御調査ノ上御斟酌願上候

 二俣硬石は札幌硬石に較べて「幾分軟質」だが「粘力」があり、彫刻しやすく美しいと述べています。単価は札幌硬石より安い。ただし彫刻等の仕上げに要する工費が予想よりも高くついたようです。 
 
 「札幌控訴院」の文字を刻んだ「象眼石」のみをあえて札幌硬石にしたのはなぜでしょうか。「象眼石」は、“画竜点睛”のごとく、もっとも重要な部分といえます。私は当初、二俣硬石よりも“高級”だったのかと想いました。単価が高かったからです。しかしこの引用記述からすると必ずしもそうとは言い切れません。単価が高いのは硬さ=採石の大変さと思われます。札幌硬石>二俣硬石>札幌軟石という硬度からして、もっとも風化しづらい石材を「象眼(嵌)」として嵌めたのかもしれません。
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2021/03/30

札幌市資料館に使われている硬石は、南区硬石山産か? ②

 標題について私は、3月27日ブログで否、という見解を示しました。今に始まったことではありませんが、また本件に限ったことでもないのですが、我ながらマニアックな世界を逍遥しているものです。なぜかくも偏ったテーマにこだわるか。
 きっかけは、札幌市資料館(旧札幌控訴院)が国の重要文化財に指定されたことです。この建物の価値を自分なりに咀嚼したいと思って、3月6日ブログ以来綴ってきました。重文指定にもかかわらず基礎的な情報が必ずしもさだかでありません。標題はその一例です。当の資料館で説明されていることだけに、疑問の余地が気になります。本日ブログで以下に加えるのは、“ましてや”というべきことです。

 昨年、下掲の書物が出版されました。
北海道建築物大図鑑
 『北海道建築物大図鑑』と題され、道内の特に歴史的建物を網羅して詳しく解説しています。それこそ私のような“マニア垂涎”の百科全書的な大著です。

 「掲載軒数800棟あまり!」という中の冒頭から3番目に、本件札幌市資料館が紹介されています。
北海道建築物大図鑑 旧札幌控訴院ページ
 事実関係を明確にするために当該ページを抜粋引用いたしました(p.12)。

 上掲ページの中で私が気になった箇所を拡大します。
北海道建築物大図鑑 旧札幌控訴院ページ 部分
 赤い矢印と黄色の矢印を付けた先です。それぞれ文面を以下、引用します(太字)。

 赤い矢印:札幌軟石を彫刻した装飾としては現存する中で最も繊細で美しいものの一つである。車寄せの上部に設けられている目隠しした女神はギリシャ神話に出てくるテミスで、左右の天秤と剣は公平と正義を表している。
 黄色の矢印:玄関内部の壁面。重厚感ある軟石のアーチが並ぶ壁面に囲まれると厳かな雰囲気に包まれそうである

 前者では、「車寄せの上部に設けられている目隠しした女神」を「札幌軟石を彫刻した装飾」と説明しています。この女神像について私は拙ブログで、札幌軟石ではないと記しました(2015.10.9ブログ参照)。
 後者では、玄関内部のアーチ型壁面をやはり「軟石」と記しています。一方、3月27日ブログに載せた資料館の展示パネルでは何と書かれているか。
「札幌市資料館の石」説明パネル 人工石
 黄色の矢印を付けたとおり、同じ壁面を「人工石」としています(3月6日ブログに関連事項記述)。
 
 これらもまたマニアックといえばマニアックな分野です。しかし、最近の“一億総マニア化”を反映してか、世の中に出回っている書物でも前述引用のようにちゃんと取り上げられています。拙ブログで逍遥する空間が世の中でも注目されている証かもしれません。問題は、同じ対象をめぐって私の記述がそれと相反していることです。
 前掲書は、奥付によると一級建築士の肩書を持つ方が著しています。建築事務所を経営し、「北海道の歴史的・伝統的建築物の研究」「建築史研究」などを「ライフワーク」とされているそうです。版元は本道を代表する新聞社です。拙ブログのごときマニアの素人が徒然なるままにひぐらしパソコンに向かいてそこはかとなく書きつけているよしなし事とは、影響力も信用度も比べものになりません。もし両者を読み比べる奇特な方がいらっしゃったら、どうでしょうか。私のほうを「こいつ、イイカゲンなことをまき散らしてるな」と思う方もいるでしょう。ほかならぬ私が読者として双方を“天秤”に掛けたら、たぶん同書のほうに軍配を挙げそうです。それが心外だというわけでもないのですが、冒頭で自問したテーマにこだわる理由にはこんな事情もあります。もとより、同書が間違っていて拙ブログが正しい、とこだわるわけではありません。願わくは目隠しの女神のごとく天秤にかけて判じていただけると幸いです。

 ちなみに前掲の画像では、同書に付箋を少なからず貼ってます。おもに札幌市内の建物のページを流し読みしただけですが、本件資料館のほかにも“気になった”箇所です。読む側の感度ならぬ鑑度を問うてもいるようで、とても読みごたえがあります。

2021/03/29

千歳市高台の軟石建物 (承前)

 3月25日ブログでお伝えした千歳市農協の軟石倉庫の続きです。昨日ブログに記したとおり地元のJA支店では情報を得られなかったので、図書館で資料を漁りました。

 『千歳市農業協同組合史』1984年の口絵ページに掲載されている写真です。
千歳市農業協同組合史1984年 口絵写真 第1号倉庫
千歳市農業協同組合史1984年 口絵写真 第5号倉庫
 上掲には「第一号倉庫」、下掲には「第五号倉庫」とキャプションが付けられています。

 3月25日ブログに載せた現在の倉庫の画像を再掲します。
千歳ワイナリー 軟石建物
 手前のワイナリーの工房兼店舗が第一号倉庫、奥のカマボコ屋根セラミック煉瓦が第五号倉庫と思われます。

 前掲書本文「農業倉庫事業」ページに掲載されている写真です(p.320)。
千歳市農業協同組合史1984年 農業倉庫事業 掲載写真
 前掲の私が撮った現在の画像と同じ場所と鑑みました。
 
 左の棟が冒頭に載せた口絵写真の第一号倉庫とみられます。第一号の正面は破風まで軟石が積まれていますが、右方の倉庫は破風の部分にモルタル?が塗られ、前掲の現在の軟石2棟もこれと同じです。右端の高い木に隠れていますが、カマボコ屋根の倉庫も建っているのでしょう。現在もそれとおぼしき大木が立っています。
 カマボコ屋根の倉庫は正面を撮ってなかったので較べるのが難しいのですが、前掲第五号倉庫の写真ではセラミック煉瓦の下層数段が濃い色で写っています。これは現在のカマボコ屋根倉庫のセラミックの使い分けと同じです。

 カマボコ屋根は、建物正面に架かっている標札を撮ってました。
千歳市農協 カマボコ屋根倉庫 標札
 「倉番」に「5号」とあります(赤い矢印を付けた先。担当者名や連絡先電話場号は目隠しした)。

 前掲誌によると、第一号倉庫(384㎡)が建てられたのは1961(昭和36)年、第五号(676㎡)は1969(昭和44)年です(p.320)。私は3月25日ブログで建築年代を、軟石棟は1960年代前半(昭和30年代後半)、セラミックのほうは1960年代後半(昭和40年代前半)から70年代前半(同後半)と推測しました。前者は既出情報で「昭和36年」とあります。これについてチェーンソー導入時期からして「微妙か」と付け加えました。しかし結論的には、この年で間違いないようです(末注①)。同日ブログで引用したとおり、札幌市南区石山では1961(昭和36)年はチェーンソーによる軟石切出しの「実験期間」でした。試験的操業であっても、商品としてそれなりに出回ったということになります。
 
 ところで、もう一棟(右側)の軟石倉庫はどうでしょうか。実はこの倉庫も、正面に標札が残っています。 
千歳市農協 軟石倉庫(右側) 標札
 しかし現在はJAで使われていないせいか、かなり錆びついていてただちには読み取れません(担当者名が書かれているところは目隠し)。

 画像を拡大してみると、「倉庫番号」に「3」と書かれています。
千歳市農協 軟石倉庫(右側) 標札 拡大
 前掲組合史によると、「三号倉庫」が1966(昭和41)年建てられました(同上)。建築面積が379㎡とあり、第一号の384㎡とほぼ同じです。本件は第三号とみられます。私は軟石2棟は同時期に建てられたと想っていましたが、5年の時間差がありました。建築年が異なれば、前述の破風の違いも頷けます。現地では軟石の全体像に目を奪われて、同一視してしまいました。
 もう一つ、島松軟石の可能性について。
 同日ブログ引用の北広島市の調査結果によると、島松で軟石が採掘されたのは「昭和40年代前半」までです。「近年になり、石材切り出し及び加工に専用カッターを用い効率的に生産されるようになりました」(末注②)。チェーンソーは使われていたのか(末注③)。調査を担当した同市の「まちを好きになる市民大学OB会」のKさんに電話でお聞きしました。Kさん曰く「採石の終わり頃にはチェーンソーも使われていたと思う」と。しかし、同市に現存する建物では島松産でチェーンソー仕上げは、やはり見られないといいます。これもまた“微妙”です。
 断定はできませんが、本件は札幌(南区石山)産と現時点で見立てます。根拠は以下のとおりです。
・仮に島松でチェーンソーを導入していたとしても、石材業者の規模からして、札幌に先んじてというのは考えづらい。
・同じく生産量からしても、島松より札幌の可能性が高い。昭和30年代であれば、流通上も鉄道(定山渓鉄道-国鉄千歳線)で容易である。
 本件第一号倉庫は、当時“最新式”で採掘された札幌軟石の、まさに第一号だったのかもしれません。

 注①:『千歳市農業協同組合史』1977年(旧史誌)によると、同農協はもともと千歳駅の南西側にあったが、1961(昭和36)年5月の市街地の大火で事務所や倉庫などを焼失した。農協では駅北西側の現在の場所に用地を新たに確保し、早くも同年11月に倉庫(第一号)の完成をみた。超特急で再建したことが伝わってくる。ちなみに組合史(新史誌)には焼失前の旧倉庫の写真も載っていて、やはり軟石製である。これはどこの産だったのだろうか。
 注②:『北広島市内の島松軟石を用いた建造物の調査』2012年p.5
 注③:現在札幌市南区で札幌軟石を生産している辻石材工業株式会社では、採石場でチェーンソーを用いて切り出し、工場に持ち込んで人工ダイヤモンドのカッターを使って加工している。

2021/03/28

千歳のJA支店の目当て物件

  3月25日ブログに載せた千歳市農協の軟石倉庫の情報を入手すべく、JAの千歳支店に足を延ばしました。
 結論的にいうと、「営業の店舗なので、倉庫のことはここではわかりません」。施設を所管する総務担当の部門が別にあるとのことです。ある程度予想された答えでした。農協の周年記念誌などを見せてくれればという淡い期待もありましたが、そこまで求めるのも気が引けます。自分で図書館に行って調べることとしましょう。

 同日ブログに記したように、支店に出向いたのは別の目当てもありました。
JA千歳支店 二宮金次郎像
 目当ては二宮金次郎像です。このたびの千歳行に携帯した「市内石碑・石像ガイドマップ」を見て、存在を知りました。

 小学校以外でもあるのか、といっても、農協ですから格別意外というわけでもありません(末注①)。しかし農協の店舗だからしばしば見かける、というわけでもありません。藤倉徹夫『金次郎はどこへ行った-道内の像と昭和をめぐる旅-』2016年によると、「江別市(石狩)の近隣市町村で、像のある農協は十店舗ほどか。平成以降の新設に限っても、千歳、恵庭、北広島、南幌、新篠津の農協にある。いずれも退任役員や退職々員の寄贈である」(p.214)。
 結構あるものですね(というか、それをすでに把握している先達がいることに驚きます)。歴史のある小学校を通りかかると「金次郎像があるかな」と意識するのですが、これまでJAの店舗はあまり気にしてませんでした。そのせいか、前述引用の設置数は私の先入観よりは多い印象です。「大半は、大切に玄関ホールなどに置かれている」(同上)ため、気がつきづらいのかもしれません。同書では札幌のことは触れられてません。今後は市内でJA支店を見たら、店内にも入って像の有無を確かめることとしましょう。

 隣に置かれた碑に「千歳報徳会」名で「報徳と協同組合」について記されています。報徳思想と協同組合思想の通底性については、かねがね理解を深めたいテーマです。なぜ深めたいかというと札幌市東区の“大友堀と札幌村”の歴史を読み解くカギがそこにあると考えるからなのですが(末注②)、前途迂遠で進んでません。だいたい、興味関心の向く先がいろいろありすぎる。
 さて、本件二宮像が建立されたのは1998(平成10)年です。像のタイプは札幌市東区苗穂町の乳業会社内のそれ(2020.1.20ブログ参照)と似ています。ただし背負っている柴は簡略気味です。読んでいる書は何でしょうか。本像は隣の碑も含め、一隅が盛り土されています。盛り土に上がらないと確かめられません。農協の職員さんにお断りして、上がりました。
JA千歳支店 二宮金次郎像 読んでいる書面
 「一家仁、一国興仁…」、『大学』の一節です。行書体で刻まれています。 

 注①:2016.4.222020.1.11ブログに関連事項記述
 注②:東区といえば大友堀とタマネギがともすればいっしょくたに語られる(2019.11.15ブログ参照)。幕末の大友亀太郎による御手作場開墾や用水堀の開削と明治になってからの札幌村の成り立ちやタマネギ主産地形成、専門農協の活動はどうつながるのか。尊徳翁門下たりし大友の報徳思想とタマネギ農家指導者の協同組合思想が通底していると私は仮説立てている。しかし私の中ではまだ、仮説の域にとどまっている。

2021/03/27

札幌市資料館に使われている硬石は、南区硬石山産か?

 3月24日ブログで私は、札幌市資料館(旧札幌控訴院)の建築上の価値について「軟石と硬石の使い分けの妙」を加えました。
 当時の組積造の建物で石材を使い分けていること自体は珍しくはありません(末注①)。煉瓦造で要所に石を用いている建物も北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)をはじめ、ポピュラーです。最近取り上げた旧名古屋控訴院も辰野式(末注②)以来の煉瓦と御影石(花崗岩)の組み合わせに人造石を加えています(注③)。
 珍しくない=貴重ではない、とはいえません(否定形の繰り返しですみません)。建築史の専門家もどきに評論をお許しいただくなら、組積造建築における時代性として注目できましょう。そもそも現存する同時代の建物が数少なくなっています。しかも本件旧控訴院は、札幌軟石と硬石という地場産=地域性を特筆すべきです。ただし、硬石については同日ブログで産地を保留しましたので補足します。

 まず、当の札幌市資料館の展示パネルの説明です。 
「札幌市資料館の石」説明パネル
 「札幌市資料館の石」として、支笏溶結凝灰岩(札幌軟石)に加え、登別溶結凝灰岩(登別中硬石)、デイサイトが図示されています。

 これによると、デイサイトが用いられているのは外壁や外構の一部(窓台、玄関車寄せの礎石、門柱、柵)などです(下掲赤い矢印の先)。
「札幌市資料館の石」説明パネル デイサイト
 デイサイトには「札幌市南区硬石山」と書き添えられています。

 問題は、このデイサイトを南区硬石山産と断じてよいか、です。建築当時の史料(末注④)をあらためて鑑みます。
大正15年度札幌控訴院会計記録 表門新築工事費予算内訳書
 『大正十五年度札幌控訴院 会計記録 札幌控訴院庁舎新営工事ニ関スル』(札幌市公文書館蔵)から抜粋しました。「札幌控訴院表門新築工事費予算内訳書」の一葉です。
 黄色の□で囲ったところ書かれている「門柱 根石」「同 柱石」「同 笠石」が、前掲展示パネルで図示された門柱に当たります。
「表門」です。それぞれ下段に「硬石(二俣又ハ大沼)」と書かれています。

 ■推理の着眼点その1 「硬石(二俣又は大沼)」は南区硬石山産か?
 どうも違うのではないか。その根拠は同じ時期の下掲資料です。
大正13年度 建築書類 札幌控訴院庁舎及附属舎並ニ倉庫新営工事其他ニ関スルモノ 第二期工事内訳書 窓台石ほか
 『大正13年度 建築書類 札幌控訴院庁舎及附属舎並ニ倉庫新営工事其他ニ関スルモノ 』(同上蔵)から「札幌控訴院新営第二期工事費内訳書」の1葉を抜粋しました。
 黄色の□で囲ったところに「各所窓台石」「各所笠石」「正面文字象眼石」とあり、それぞれ「二俣硬石」「〃」「札幌硬石」と書かれています。硬石でも、「二俣」と「札幌」が書き分けられている。後者は硬石山産と思われますが、この書き分け方だと「二俣」はそれとは別の産と窺わせます。ちなみに、下段には「単価」が書かれていて、二俣硬石は2円80銭、札幌硬石は3円です。札幌硬石の左隣は「札幌軟石」で、単価60銭。前掲の表門の硬石の単価は2円20銭です。

 ■推理の着眼点その2 では「二俣」とはどこか?
 松田義章「建材としての溶結凝灰岩およびその他の北海道の石材」(末注⑤)によると、「二股石」(新第三紀の凝灰岩)があります。産地は「山越郡長万部町二股」。ラジウム温泉で知られていますね。さらに「大沼石」(第四紀更新世の角閃石安山岩)が「七飯町軍川および大沼付近」にあるそうです。前者は凝灰岩のカテゴリーに入れられていますが、前掲史料で「二俣又ハ大沼」とされているところが気になります。長万部と七飯なら、比較的近い。ひとまずは措きます。

 ■推理の着眼点その3 実際に「二俣又ハ大沼」産が使われたか?
 前述紹介の史料は「予算内訳書」です。「二俣」が札幌硬石でないとしても、実際の工事では札幌産が調達された可能性もあります。3月24日ブログ末尾で「『札幌』ではない、という否定もできません」と奥歯にモノのはさまった締めくくり方をしたのはそのせいです。もう少し史料を繰ってみます。

 前掲『大正十五年度札幌控訴院 会計記録』に綴られている「札幌控訴院門柵掲示場通路排水其他土木工事仕様書」の一葉です。
大正15年度札幌控訴院会計記録 門柵…土木工事仕様書 表門ノ部
 「表門ノ部」の赤傍線を引いた箇所に「一、柱根石二俣硬石又ハ大沼硬石巾二尺六寸方二本次厚一尺一寸見へ掛リ上小叩キ上端面取リ…」云々と細かく指示されています。

 さらに興味深い書類を見ました。
大正15年度札幌控訴院会計記録 延期願
 「延期願 一、札幌控訴院門柵掲示場通路排水其他土工事(ママ)」と題されています(画像左側)。請負業者から願い出された書類です。以下引用します(太字)。
 私儀請負仕リ候右工事進捗方ニ付テハ鋭意努力致シ契約早々特殊機料ノ注文及諸職工ノ手配等致置候處硬石二俣産ハ山元ニテ採堀(ママ)遅延致候ニ付再三再四督促シ尚実地現場ニ出張シ種々調査シタルニ注文石ノ大ナルモノハ採堀(ママ)困難ノ状態ニテ採取中不用機多ク続出シ所要ノ寸法ノモノ搬出ニ多大ノ困難ヲ来シ遂ニ予定ノ期日内ニ入場不可能ト相成リ最早本工事竣功期日到来セルモ未タ一部分硬石不揃ノ状況ニシテ

 「二俣」の産地で適当な石材の採掘に困難を極めていること、それが原因で所定の竣功期日に間に合わないので延期してほしいことが述べられています。これによると、業者はあくまでも「二俣」での採石を追求しているようです。「二俣」ではふさわしい石材が採れないので札幌産に代えてもいいか、といったことは書かれてません。なお、この書類は「工事遅延の事由ハ正當ト認メ難シ」とする控訴院の起案決裁文書に添えられたものです。遅延一日につき請負金額の千分の一相当を違約金として支払うように命じられています。同じく綴られている契約書によると請負金は13,500円です。業者は遅延10日分135円を支払いました。余談ながら書類を読む限りは、業者にいささか同情を禁じ得ません。
 3月24日ブログで保留した表門の硬石産地について、現時点の私の結論は「二俣」産です。そして「二俣」は南区硬石山ではないと鑑みました。

 注①:2015.3.212015.6.202018.9.29各ブログ参照
 注②:1月29日ブログに関連事項記述
 注③:3月20日ブログ参照
 注④:2015.10.9ブログに関連事項記述
 注⑤:北海道大学総合博物館企画展示図録『わが街の文化遺産 札幌軟石-支笏火山の恵み-』2011年所収pp.28-30

2021/03/26

北2条西4丁目 南西の角地

 画像に収めたかったのは後景に写るホテルではありません。
北2西4 郵政局の角地
 標題のとおり、手前の中央区北2条西4丁目の南西角地です。北海道郵政局のビルが建ちます。と打って、確かめたらいまは「日本郵政グループ札幌ビル」というそうです。

 建物本体はセットバックして、オープンスペースになっています。
北2西4 北海道郵政局の角地-2
 市道西5丁目線をはさんで道庁赤れんが庁舎のお隣さんです。北3条広場の整備(末注①)と一体化させてか、煉瓦と硬石をモチーフにして修景されています。いわゆる都心の一等地ですから、土地=カネという考えに立てば、このオープンスペースは無駄遣いです。しかし短絡的な換金計算では表わせない価値もあります。都心の一等地だからこそ、ゆとりのある空間は貴重です。事業者もそう考えただろうし、社会的にも評価されたのだと思います(末注②。

 なぜ冒頭の画像をこのたび撮ったかというと、きっかけは27年前の新聞記事のスクラップです。
道新1993年7月6日記事
 北海道新聞1993(平成5)年7月6日の記事で「郵政省vs札幌市 広告塔新設で景観論争」と報じられています。リード文を以下、引用します(太字)。

 郵政省が札幌市中央区道郵政局敷地内に設置工事を進めている広告塔に対し、札幌市が「都市景観上、好ましくない」と着工前に指摘していたことが分かった。しかし、同省は「すでに発注済み。景観には最大限配慮する」と間もなく完工の構え。景観をめぐる国と自治体の食い違いに市民論議が高まりそうだ。

 広告塔は見出しにもあるように、高さ14mの電光掲示板です。「はて、現地にそんな広告塔があったかな」と記憶がさだかでなく、確かめに行きました。新聞記事に載っている写真と同じアングルで撮ったのが冒頭の画像です。記事では足場が組まれてシートがかかった物件が写っていますが、現在はありません。
 グーグルストリートビューを繰ると、2010年当時は立ってました。このビルに入っている関連会社のサイトを見たら、その広告塔が写る画像が載ってます(末注③)。つまり、いったんは立てられたものの、いつのころか撤去されたということです。取り除かれたのはたぶん、赤れんがテラスや北3条広場ができたときでしょう。しかし、私は気づきませんでした。前述引用の新聞記事には「市民論議が高まりそうだ」とありますが、悲しいかな「論議が高ま」ったという記憶もありません。私が知らなかっただけかもしれませんが、現実にあったモノがなくなったということは、世間ではともかく関係者の中ではきっと論議されたことでしょう。
 広告というのは、端的には“目立ってナンボ”です。人によっては「ケバいなあ」と眉をひそめる広告であってもそれが存立しうるのは、おそらく得られる収益が否定的評価を上回るからでしょう。前述の「土地=カネ」に通じる原理です。都市景観や屋外広告物の条例で規制誘導する所以でもあります。
 一方で景観というのは文字どおり解釈するならば目に見える景色ですが、ことほどさように視れども見えずです。いや、自分を基準にしてモノをいう不遜をお許しください。いま自分が見ている“当たり前の風景”も、自分の見えないところでのせめぎあいの産物だということをあらためて知りました。モノを新たにつくるのを“足し算”とするならば、本件のような撤去は“引き算”といえます。これも自分がそうだから言うことになりかねませんが、ともすれば引き算の効果は見過ごしがちです。風景のそういう移り変わりも、できるだけ網膜に焼き付けるようにしたい。

 注①:2020.12.13ブログに関連事項記述
 注②:グッドデザイン賞サイト「都市再生事業 [札幌市北2西4地区]」ページ参照↓
 http://www.g-mark.org/award/describe/43046
 注③:「日本郵政スタッフ」サイト「札幌支社」ページ↓
 https://www.jp-staff.jp/company/office/sapporo.html

2021/03/25

千歳市高台の軟石建物

 JR千歳線の車窓から目に入っていて、気になっていました。
千歳ワイナリー 軟石建物
 ハスカップワインの工房・店舗として使われています。
 
 何も知識を持たずにお尋ねしました。ここでの創業は1988(昭和63)年からとのことです。そんな前からとは想わなかった。建物の気配から農協の倉庫だった(今も?)と窺えます。それもそのはず、山梨のワイナリーが千歳の農協からハスカップによるワイン醸造を依頼されて始めたそうです。
 元倉庫は手前に軟石製が2棟、奥にセラミック煉瓦の1棟が建ちます。ワイナリーでは軟石の2棟を借りていて、手前の1棟が工房兼店舗です。「元倉庫」と記しましたが、奥のセラミック煉瓦も含め2棟は今も倉庫として使われています。建てられたのはいつか。

 軟石の2棟は切妻屋根にコンクリートの臥梁と柱が入っていて、軟石の表面はチェーンソーの跡が残っています。
千歳市高台 元農協倉庫 軟石チェーンソー跡
 1960年代前半(昭和30年代後半)とみました。札幌軟石(現南区石山産)でしょう。札幌寄りの北広島や恵庭では島松産と聞きますが、チェーンソー仕上げからすると以遠ではありますが札幌から運んだとみられます(末注②)。

 奥のセラミック煉瓦のほうは?
千歳市高台 軟石、セラミック煉瓦の倉庫
 セラミック煉瓦にカマボコ屋根。ほかの農協倉庫の例からすると、1960年代後半(昭和40年代前半)から70年代前半(同後半)か(末注①)。セラミックは下方5段とそれより上で色が異なっています。下段の濃いのは、高めに焼いたものか。見てくれ的な使い分けもさることながら、より硬質で吸水性が低い(撥水性が高い)ものを下段に積んだように想えます。

 はっきりした建築年はワイナリーの方からは聞けなかったので(末注③)、農協に出向きました。実はセラミック煉瓦の入口に農協の連絡先が書かれていたので電話しようかとも思ったのですが、地図を見るとJAの支店がわりと近くにあります。近いのみならず別の目当てもあって、足を延ばしました。別の目当ては、おってまた。

 注①:元篠路農協倉庫など(2018.2.5ブログ参照)
 注②:『郷土誌さっぽろ 石山百年の歩み』1975年によると、南区石山での軟石の「切り出しの方法は、手掘りから現在のチェーンソー式に代ったのが昭和三七年である。この時は昭和三六年にテストを始め、一年の実験期間を経て翌年から十五台のチェーンソー式に切り換えた」(p.36)。『北広島市内の島松軟石を用いた建造物の調査』2012年によると、同市内に現存する島松軟石建物を見る限り、建築年代の比較的新しい(昭和30年代以降)も含め手掘り仕上げ(ツルメなど)である。そもそも、島松ではチェーンソーが使われたか?
 注③:帰ってきてから本件ワイナリーのサイトを見たら(スマホを持ってない悲しさで、現地で確かめられない)、「昭和36年に建てられた札幌軟石の穀物庫」とある。チェーンソー導入時期からすると(注②参照)、昭和36年は微妙か。

2021/03/24

札幌市資料館 硬軟織り交ぜの妙

 札幌市資料館(旧札幌控訴院)が昨年12月に国の重要文化財に指定されたことで、「ほぉ」と思ったことがあります。 
札幌市資料館 全景 表門
 表門が「附(つけたり)指定」されたことです。2月23日に開催された「さっぽろれきぶんフェス2021」(末注①)で拝聴した角幸博先生(北大名誉教授)の「旧札幌控訴院(札幌市資料館)の歴史と魅力」で知りました。それで、門も写っている画像を上掲に引っぱってきました(2015年撮影)。

 札幌市サイトの当該ページ(末注②)にも門の附指定のことは載っています。具体的には言及されてませんが、建物本体とあいまってモダニズムの気配を表わしていることが評価されたのでしょう。
 私が蛇足したいのは、本件表門がいわゆる硬石で立てられていることです。安山岩またはデイサイトとみられます。資料館というと外観の大半を占める札幌軟石の印象が強く、「札幌の近代を代表する建材である札幌軟石の建物として現存最大級」です(末注③)。このたびの重文指定の理由の「意匠と構造の近代化を体現する」というのも、主には札幌軟石と煉瓦、鉄筋コンクリートの混構造=近代化と受け取れます。さらには「左官技術の傑作」も注目すべきことを、先般教わりました(末注④)。私はこれに、硬石も使い分けられていることを強調したいと思います。硬石を用いた表門が附指定されたことは、その象徴であるかのようです。
 ここまで私は「硬石」と記してきました。札幌で硬石というと「札幌硬石」です。ただ、本件表門が札幌硬石かというと、ひとまず保留します。前に関係史料をひもといて、札幌硬石とは別の名前を見たからです(末注⑤)。ただ、「札幌」ではない、という否定もできません。煮え切らない記述で申し訳ないのですが、いずれにせよ現物を目視するかぎり安山岩系です。道内産であることも間違いないでしょう。軟石と硬石の使い分けの妙もまた、資料館の建築的価値といえます。

 注①:3月8日ブログに関連事項記述
 注②:https://www.city.sapporo.jp/shimin/bunka/sapporoshishiryokan/shiryokan.html
 注③:同上
 注④:3月6日ブログ参照
 注⑤:2015.10.9ブログ参照

2021/03/23

市道下野幌線の坂

 市道下野幌線に架かるJRの架道橋の名前について、昨日ブログ末尾に載せた地元町内会の会報記事を読んで手がかりを得ました。

 本件架道橋の所在地を現在図(色別標高図)で示します。
色別標高図 市道下野幌線 JR千歳線の架道橋
 を付けた先です(標高は15m未満から3mごと30m以上まで7色段彩)。

 手がかりになった記事の箇所を以下、引用します(引用太字、末注①)。
 今も名残ある青葉町十一丁目から南郷通に出る手前を左に折れてJRガード下をくぐり、青葉町4丁目に登る急な坂道(通称渕野さんの坂)が街に出る下野幌住民の主要道路でした。

 この記述をアタマに入れて昨日もう一度現地に足を運び、本件橋名板を鑑みてきました。
下野幌線 JR架道橋 東側 再掲
 撮影の位置と向きは前掲図の矢印と一致します。手前側の画像を撮っている地点が青葉町11丁目、架道橋の奥が青葉町4丁目です。手前の坂下と奥の坂上では、15mほどの高低差があります。
 市道下野幌線は、野津幌川が削った谷の崖面を切り通して造られたようです。標高図に照らすと、JR千歳線の土手はほぼ自然地形とみられます。1972(昭和47)年に鉄路を敷設(末注③)したとき多少は盛り土したかもしれませんが、道をさらに切り土して立体交差させたのでしょう。

 橋名板は、ズームアップしつつアングルを変えて撮った2点を載せます。
下野幌線 JR架道橋 橋名板 再掲-1

下野幌線 JR架道橋 橋名板 再掲-2 
 架道橋名の固有名詞は黄色の傍線を引いた箇所の3文字です。現地では双眼鏡でも視認しました。

 「渕野坂」。地元町内会役員のOさん(末注②)から、「このあたりはもともと地主の渕野さんの土地だった」とお聞きしてはいました。町内会報の記事で坂道の通称名を読んで、合点がいったものです。さらに、町内会報と古びた橋名板が結びついた偶然に感謝します。呼び慣わしを相互に裏づけることができました。
 2月22日ブログでも記したとおり私は厚別区に住んで30年余になりますが、この坂道をはっきりと知ったのは今年になってからです。そこから、渕野坂という呼び慣わしを知り、公的な施設の名前に使われた(今も)ことまで一足飛びに至りました。あたかも漉いた紙に墨が浸み渡るがごとく、知識は吸収されるものです。本件坂道の現地をうろうろしていたとき、たまたま坂の上のお宅から住人の方が出てこられたので、訊いてみました。「この坂道は、名前が付いていますか?」に対し、「付いてない」と。薄れつつあるようです。
 管理者が定められている道路や河川と違って、坂道の名前は一般的には通称(呼び慣わし)の域にとどまるでしょう。もっとも、行政地名に転化した坂道名は、東京などでみられます。しかし札幌ではどうでしょうか。関秀志編『札幌の地名がわかる本』2018年の巻末索引と付録「地図に見る札幌の地名一覧」を大急ぎで斜め読みしましたが、ただちには見つけられません(末注④)。こういうところにも札幌の地勢や土地の成り立ちが窺えるかもしれません。
 行政地名に至らずとも、札幌市内でバス停名などになっている「○○坂」はあるでしょうか。ただちには思い当たりません。呼び慣わしの域なら南区や豊平区にありますが(末注⑤)、厚別区内ではどうか。ほとんど聞いたことがありません(末注⑥)。かように想いを馳せると、鉄道という公共施設の名前で認知・オーソライズされている本件渕野坂に稀少感が弥増してきました。鉄道は、踏切名でも人名を冠したものが札幌市内にあります(末注⑦)。拙ブログでたびたび言及するとおり、名残物件は踏切をはじめ、歩道橋、バス停、電柱銘との親和性が高いのですが、ともすれば消失の可能性が高い媒体です。JR北海道も苦境にあります。千歳線が廃止されることは想像できないとはいえ、坂道だけに本件渕野坂架道橋のイヤサカ(弥栄)を願ってやみません。

 注①:「青葉の歴史と下野幌会館の歩み(その四)」『下野幌町内会だより』第5号2007年1月10日、p.4
 注②:2月17日ブログに関連事項記述
 注③:新千歳線の開通は1973(昭和48)年だが、本件橋名板によると架道橋は1972年12月に竣功した。
 注④:現在の南区澄川に「清水川坂ノ上」という旧地名があったらしい(同書p.132)。地名に坂が付く唯一?か。アイヌ語地名の由来までは当たってないが、川や沢に拠ることが多い特性からして考えづらい。
 注⑤:豊平区西岡の「油沢の坂」(とよひら“ふるさと再発見”マップ1991年)、南区簾舞の「銀座の坂」(簾舞こみちMAP2017年)
 注⑥:厚別区民歴史文化の会の会合で「半兵衛坂」というのを聞いたことがあるが、追跡していない(2016.3.29ブログ参照)。
 注⑦:西区発寒のJR函館本線に「小屋敷踏切」(2017.3.12ブログ参照)。

2021/03/22

市道下野幌線に架かるJRの架道橋

 昨日ブログ末尾で、「新さっぽろに残る下野幌」について「気になる関連物件がまだある」と結びました。
 
 気になっていたのは、地下鉄新さっぽろ駅コンコースの出口標識です。
地下鉄新さっぽろ駅コンコース 4番出口標識
 2年前(2019年)の5月に見かけました。

 赤い矢印を付けた先に「市営下野幌H団地」とあります。
新さっぽろ駅コンコース 4番出口標識「下野幌H団地」
 この画像を撮ったときには、H団地はすでに「新さっぽろ団地」になっていました。これを見て「おぉ、下野幌の名残がここに」と感じ入ったものです。今日もう一度確かめたら、まだ“健在”でした。

 この出口の地上にある案内地図です。
地下鉄新さっぽろ駅4番出口地上 案内地図
 この地図上にも、「下野幌H団地」のほか「G団地」「Ⅰ団地」が残っています。跡地の再開発とともに、ゆくゆく更新されていくことでしょう。

 本日取り上げたかった本題は、実は別にあります。
市道下野幌線 JR架道橋 西側
 2月22日ブログでお伝えした青葉町の坂道です。ここにもJR千歳線の架道橋が架かっています(画像は本年2月に撮影)。  

 この架道橋にも、やはり橋名板が貼られています。
下野幌線 JR架道橋 東側
 東側橋桁の赤い矢印を付けた先です。

 その橋名板も先月、撮ってました。
下野幌線 JR架道橋 橋名板
 ズームアップして撮ったのですが、距離が遠いため文字がぼやけています。気になってはいたのですが、やり過ごしていました。

 このたび「下野幌1号架道橋」の“再発見”にともない、あらためて気になりました。浮彫りされている漢字6文字の後半は「架道橋」として、前半3文字は何と読めるか。
 答えの手がかりを、先日別のところで見つけました。なぜ見つけたかというと、この架道橋の下を通る市道下野幌線が厚別・下野幌の古道だからです(2月24日ブログ参照)。

 手がかりは地元町内会の会報です。
下野幌町内会だより第5号2007年1月
 札幌市公文書館で閲覧しました。「青葉の歴史と下野幌会館の歩み」と題して、地元の古老が語っています。手がかりはその文中にありました。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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