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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2021/01/31

北陸銀行の古い字体の銘鈑

 1月28日同29日ブログで、北陸銀行札幌支店に遺る古い字体の行名について伝えました。

 その折も折、古い字体で刻まれた銘鈑を、別のある支店で見かけました。
北陸銀行 銘鈑 古い字体の行名
 これは、古いモノを意図的にあえて遺したと想われます。支店名はとりあえず隠しました。

 札幌支店の名残物件と、字体をはっきり較べることができます。
北陸銀行札幌支店 現店舗 古い字体 拡大
 やはり、同じです。本件のほうは意図的ではなく、はからずも残っているかの気配を感じます。こういう物件も愛おしい。

 さて、冒頭の銘鈑が遺るのはどこの支店でしょうか。
北陸銀行 古い字体の行名が刻まれた銘鈑の遺る支店
 その支店の全景です。黄色の矢印を付けた先に銘鈑が貼られています。地名が特定できそうな固有名詞は隠しました。

 新しい建物ですが、1階の外壁は正面をぐるりと札幌軟石が用いられています。
北陸銀行 札幌軟石を用いた店舗
 建物本体だけではなく、外構も軟石です。景観上の配慮ということもあるのでしょうが、もしかしたらこの銀行の内部に軟石嗜癖分子が潜伏しているのかもしれません。建物を下手に擬古的なデザインであしらわず、現代的な外観というところにむしろ好感が持てます。

 行内の軟石分子を疑ったのは、別の支店でもやはりふんだんに使われているからです。
北陸銀行 支店 札幌軟石-1
 この店舗も新しそうですが、あちこちに札幌軟石が見られます。
北陸銀行 支店 札幌軟石-2
 軟石分子が潜んでいるなどといったら、まるで秘密結社みたいですが、もちろん最大級の賛辞です。秘密結社といえば、シャーロック・ホームズにフリーメーソンという名前がよく出てきます。依頼者と面談したホームズが、「彼はフリーメーソンの一員だよ。隠していてもすぐわかるさ」などと素性を見破る場面です。秘密結社というコトバが、幼心におどろおどろしく響きました。フリーメーソンというのは、石工さんの組合に由来するのですね。中世ヨーロッパで石造りの教会などを建てる職人さんmasonが、国をまたいで自由に行き来していたらしい。
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2021/01/30

北陸銀行札幌支店の場所には、何があったか?

 そういえば…と思い出したのが標題です。
 現在の北陸銀行札幌支店の場所にはたしか、あの建物があったな、と。昨日ブログでお伝えした郷土史研究家のYさんは驚くべきことに、その場所にあった建物も写真に撮ってました。
 
 その写真です。
服部紙店 1956年?
 「服部紙店」が写っています。正確にいうと、現在の札幌支店敷地の南半分に上掲の建物が建ってました。

 上掲古写真に近いアングルで撮った現在です。
北陸銀行札幌支店 南西角
 古写真に写る隅角塔は、市道西3丁目線(西2丁目と西3丁目を分かち南北に通じる通り)と仲通り(大通と南1条を分かち東西に通じる)が交わる南西角に面していました。

 服部紙店の建物も、昨日ブログに載せた北陸銀行札幌支店の旧店舗と同じく、煉瓦と白御影(たぶん)のツートンカラーです。否、旧店舗に“辰野式”の拍車をさらにかけたというべきでしょうか。小規模ですが、デコラティブを凝らしています。
 北陸銀行は、その建物を解体した跡地に上掲の新店舗を建てたことになります。古写真を眺めながら、あらためて私は想いました。「こんな建物の跡地だもの、“前時代の尻尾”(一昨日ブログ参照)を引きずりたくもなるよなあ」と。新店舗が建てられたのは1960年代半ばです。そのころの“時代の先端”を私の感覚で表すならば、鉄筋コンクリートならではの目いっぱいの開口部(横長ガラス窓の連なり)であり、装飾性の排除です。札幌で例を挙げるなら、「北海道ビルヂング」(1月24日ブログ参照)でしょうか。
 繰り返しますが、本件はしかしながら、前時代のお約束事を現代建築に踏襲したかのようです。組積造風の仕立て(煉瓦タイル貼り)に、装飾付きの縦長窓、辰野式を換骨奪胎したようなツートンカラー。私はこれを、旧店舗や跡地へのオマージュと受け止めました。「引きずった」というと否定的に聞こえますが、むしろ時代の産物への賛辞です。ちなみに辰野式といえば塔屋による隅角部の強調も、要素の一つかもしれません。とすると、現店舗の屋上隅角部に載っけた彫刻作品もまた、換骨奪胎に想えてきました。
 なお、前述の「北陸銀行は、この建物を解体した跡地に上掲の新店舗を建てたことになります」は、前掲Yさんの古写真でおおむね裏付けられます。後景にテレビ塔が写っているからです。よく見ると、テレビ塔はまだ建設途中のようです。足場も組まれています。ということは、前掲写真は1956(昭和31)年の撮影です(2020.10.23ブログ参照)。地理院空中写真に照らしても、前掲服部紙店は北陸銀行札幌支店の建築と入れ替わりに姿を消したとみてよいでしょう。

 服部紙店社屋の在りし日の写真も、なかなかお目にかかれません。Yさんご自身、次のようにメモされています(引用太字、原文ママ)。
 服部紙店は撮って置いてよかったと思います。ここに目を向けて撮った方はまずいないと自負しています。かなりの数の、札幌の古い書物や写真集等でも見た事はありません。
 Yさんには、三たび感服します。私は一冊のみ、ある文献で見たことがありますが、たしかに市公文書館などにも所蔵されていません。私がYさんに感服したのは、写真を撮られたこともさることながら、もう一つあります。長くなりましたのでおってまた。

2021/01/29

北陸銀行札幌支店を鑑みる ②

 昨日ブログで私は、北陸銀行札幌支店の現建物について「前時代の尻尾を受け継いでいるように想えます」と記しました。それは、現在の店舗になる前の旧店舗の印象からです。
 元の店舗は南1条通に面していました。といっても、私は写真で見た記憶しかありません。詳らかに較べてみたいと思って、あらためて探しました。しかし、全体をはっきり写したものが、なかなか見つかりません。南1条通を写した古写真や絵はがきは、たいていは町並みを俯瞰したものか百貨店です。札幌支店の旧店舗は、三越の隣にちらっと写っています。札幌市公文書館の所蔵資料で「北陸銀行」と検索したら、現在の建物のほかに、旧店舗の写真が一枚出てきました。やはり南1条通の風景の一部として写っているのですが、ナナメからでしかもやや遠方です。銀行そのものを近くで正面から撮ったものは意外にもというべきか、ない。

 当の札幌支店のロビーでモザイク絵(一昨日ブログ参照)の隣に、「昭和時代の札幌市内の様子」と題して古い写真が展示されています。
北陸銀行札幌支店 古写真の展示
 黄色の矢印を付けた先に貼られているのは、南1条通を写した絵はがきです。おおむね昭和戦前期と思われます。赤い付箋で「昔の北陸札幌の建物です」と示されているのですが、店舗はやはり部分的にしか見えません。

 「全体を写した写真がどこかに残ってないかな?」と探したら、見つかりました。
北陸銀行札幌支店 1960年
 札幌建築鑑賞会会員にして郷土史研究家のYさんが撮影したお宝写真です。

 Yさんは、1960(昭和35)年頃の札幌の町並みや建物を自身で数多く撮っておられました。札幌の町並みや建物の古写真というと、北大や前述の市公文書館所蔵のものがどうしても多くなりがちです。それはそれでもちろん貴重なのですが、二次的資料でこれらのクレジットを見ると、マニアとしては“使い回し”感が否めません。しかるにYさん撮影の中には、既出で見かけない新鮮な写真があります(2016.1.3ブログ)。上掲も、希少・稀覯の一枚です。

 おかげで、北陸銀行札幌支店の新旧をつぶさに鑑みることができました。旧店舗は煉瓦を主体として、基礎や腰、窓周りなどの要所に白っぽい石材を施しています。石材は白御影でしょうか。1960年撮影という上掲古写真は白黒ですが、実物はたぶん赤茶色と白のツートンカラーだったと察します。札幌支店は昨年で開業110年とのことで、開業時からとすると本件建物は1910(明治43)年の建築です。辰野金吾が多く手がけた明治大正期の煉瓦造や銀行建築にありがちな雰囲気が伝わってきます。いわゆる“辰野式”の系譜というか影響です。

 現店舗を、もう一度眺めます。
北陸銀行札幌支店 全景 再掲
 煉瓦の茶色と窓周りなどの白とのツートンカラーが、旧店舗を下敷きにしたように想えてしまいました。

 前掲旧店舗の写真の一部を拡大します。
北陸銀行札幌支店 1960年 店名看板
 注目したのは、黄色ので囲った突出看板です。銀行名が古い字体で浮き彫りされています。

 昨日ブログに載せた現店舗に残る古い字体です。
北陸銀行札幌支店 現店舗 古い字体 拡大
 前掲旧店舗の看板はナナメで見づらいのですが、較べると同じ隷書体と窺えます。「銀」の字の旁(つくり)が特徴的に似ていますね。現店舗「通用口」の字体はかつてのロゴと同定しました。

 旧店舗の写真で気になるのはもう一か所、下掲の赤いで囲ったところです。
北陸銀行札幌支店 1960年 店名
 右から横書きで店名が刻まれています。「北陸」の二文字のところは、もともと別の文字だったのではないでしょうか。

 1928(昭和3)年の古地図(末注)に、この銀行の元の名前が書かれています。
最新調査札幌明細案内図 1928年 十二銀行
 「十二銀行札幌支店」です。
 前掲古写真の店名で、右から二つめの「陸」の字が「二」に見えてきませんか。右端の「北」も、「十」の痕跡が私には浮かび上がってきました。「十二」を「北陸」に変えたのではないだろうか。

 古写真一枚で、銀行支店建築の時空を逍遥できました。Yさん、ありがとうございます。

 注:「最新調査札幌明細案内図」1928年

2021/01/28

北陸銀行札幌支店を鑑みる

 昨日ブログに載せたモザイク絵の建物です。
北陸銀行札幌支店 全景
 2024年の春にはここに新しい建物が完成する予定と報じられました(末注①)。

 入口のフード室に傘立て?が置かれています。
北陸銀行札幌支店 入口 傘立て
 その背後の矢印を付けた先です。

 銘鈑が貼られています。
北陸銀行札幌支店 銘鈑
 「起工 昭和40年7月 竣工 昭和41年8月」です。

 この建物が建てられた1960年代後半の大通公園界隈を想像します。まだ様式建築がそこそこ見られた頃でしょうか。石造りや煉瓦の組積造の建物も遺っていた時代です。本件はその名残をひきずった、と言ったら表現が悪いかもしれませんが、モダニズムの過渡的一派生の気配を感じます。とみるべきか、むしろポストモダンの走りか。建築評論家の鑑定を伺いたいところです。
 私は前時代の尻尾を受け継いでいるように想えます。窓周りや建物全体の白い枠組みと煉瓦タイル貼りのコントラスト、組積造を思わせる縦長窓や開口部の小ささなどから、です。

 入口の脇に架けられた彫金?が飾られています。
北陸銀行札幌支店 入口 オブジェ
 屋上の角に目立つのは山内壮夫の「鶴の舞」だそうですが(末注②)、この小品も同じ作者かしら。山内というと、この近くの別作品などから、もう少し具象というイメージがあります。しかし山内の作風は、彫金という素材のせいばかりではなく、そうともいいきれないようです。それにしても、本件は何をモチーフにしているのでしょうか。やはり鳥ですかね。

 本件建物に煉瓦タイルが貼られていることでは、気になることがもう一つ、あります。
大通西2丁目 陶管ビル
 すぐ隣が野幌ゆかりの「陶管ビル」であることです。関係がある(あった)のだろうか。

 「北陸銀行」の古い字体が遺っています。
北陸銀行札幌支店 古い字体
 現在のロゴは前掲画像の看板に見られるとおりゴシック体です。隷書体のこのタイプは、市内の他支店も含め、もうここしかないかもしれません。本件が建て替えられたら、これも姿を消すことでしょう。
 
 注①:北海道新聞2020年12月12日記事「北陸銀行札幌支店建て替え」
 注②:『札幌散策 野外彫刻を楽しむ小さな旅』2010年、pp.8-9、p.80

2021/01/27

惜別の写真

 「自分たちで撮った写真」が貼り合せられて、展示されています。
モザイクアート 部分
 その数5,280枚のモザイク画です(上掲はそのうちの二百数十枚、画像はぼかし処理)。 

 少し離れて全体を眺めると、こう見えます。
モザイクアート 全体
 このモザイク画が展示されている建物の外観です。 

 建物に貼られた掲示によると、建て替えのためこの建物での営業は4月で終えます。モザイク画は、従業員さんが2か月かけて完成させたそうです。皆さんの愛着が伝わってきました。

2021/01/26

名古屋駅舎の30年今昔

 昨日一昨日と「ビルヂング」を逍遥しています。  
 その動機は、大名古屋ビルヂングが位置する名古屋駅前です。さらに遡れば、駅前の地上景観に対する私の印象が希薄だったことであり、地上が希薄だったのは幼少期の私の原体験に因ります。名古屋で著しく発達した地下街を移動することが多かったことです。そもそも名古屋地下街の原体験がよみがえったきっかけは、札幌の地下街をテレビ局のロケで鑑みたことにあります。間を取り持ったのは、地下街の左側通行現象です。
 左側通行の原因を私は、全国に共通する公共交通機関に求めました(1月15日同月16日同月17日ブログ参照)。軌道交通の左側通行との連動、影響です。ただ、気になることは残っています。札幌のポールタウンなどは左側通行がかなり明らかです。拙ブログではこれまで、名古屋などでも左側通行が見られると述べてきました。しかし実際に、名古屋も札幌並みにはっきりしているのだろうか。この間の拙ブログに、東京や名古屋の地下街(の通行)はもっとごちゃごちゃだったというコメントをいただきました。ありがとうございます。今さら言うのは何ですが、実は私も名古屋は札幌ほど左側通行が顕著ではないのではないかと想ったりもしています。たとえば下記名古屋市観光情報サイトの関連ページに写る地下街の様子を見ても、一見明らかに左側通行ばかりとは断じれません。↓
https://www.nagoya-info.jp/feature/detail/6/
 名古屋が札幌ほどではないとする根拠は、これまた自説の交通機関連動説に依ります。前に記したように、名古屋の地下街は込み入っていて、複雑怪奇です(1月18日ブログ参照)。地下街が札幌ほど単純には地下鉄などと連動していません。交通機関の左側通行が地下街に影響する度合いが低いのではないか。これはもう少し“検証”する必要があります。名古屋へ行き来するのはしばらくは難しいので隔靴掻痒ですが、いつの日か現地を直接自分の目で確かめることとしましょう。

 さて、本題のほうは宿題にしたままで、寄り道に逸れます。
JR名古屋駅 東口(桜通口) 2019年
 2019年に撮ったJR名古屋駅の東口(桜通口)です。札幌でいうと南口に当たります。表玄関です(1月23日同月24日ブログに載せた西口(太閤通口)は昔の“駅裏”、札幌でいえば北口)。

 近くから撮ったので、天高くそびえるツインタワーの全景(下の方)が収まりきれません。この駅ビルは1999(平成11)年に開業しました。先にこういうのを脳裏に焼き付けられると、この後札幌にできたJRタワーなどを見ても、なかなか感興が湧きません。もっとも私の場合、半世紀前に“花の東京”見物でお上りさんをしたときの霞が関ビルで洗礼を受けました(2016.1.6同5.3ブログ参照)。なので、名古屋の本件もまた、“初物”の衝撃にはかないません。もとより個人的感慨に過ぎませんが、この先札幌に建てられていくであろう超高層ビルに対しても、たぶん同じ印象を抱いてしまうのでしょう。

 では1999年の前、つまり古い駅舎の風景はどうだったか、これまた古いアルバムを見返したのですが、1月20日ブログで述べたようにやはりほとんど写真に撮ってません。かろうじて、一枚でした。
名古屋駅 旧駅舎 1989年
 これまで載せてきた大名古屋ビルヂングと同じく、1989(平成元)年に撮ったものです。

 1937(昭和12)年に竣工した「東洋一」の駅舎でした。名古屋の近代建築といえば愛知県庁や名古屋市役所の帝冠様式が知られます。あるいは煉瓦造の古典的な旧名古屋控訴院でしょうか。それらに較べると、実にすっきりしたモダニズムです。

 百万人都市の顔として誕生した名古屋駅の竣工式は、二月三日、自慢の中央コンコースにおいて盛大に挙行された。穏やかな冬空に高々とアドバルーンが上がり、屋上には誇らしげに鉄道旗がひるがえり、コンコースには紅白の幕と金屏風が飾られたという。
 式典には、伍堂鉄道相代理工務課長古川淳三、伊東第三師団長、篠原愛知県知事、立石控訴院長、大岩名古屋市長、青木商工会議所会頭、その他地方有力者及び鉄道関係者等約四千名が参列し、松坂屋ブラスバンドの奏楽が祝賀気分を盛り立てた。
(末注)

 意識していなかったのですが、前掲の2019年の画像は上掲1989年と同じような位置・アングルで撮ってました。ただ、30年前のほうは、実は駅舎自体が目的ではありませんでした。撮りたかったのは、手前の彫刻とその傍らにおじさんが横たわっている光景です。1月22日ブログに載せた大名古屋ビルヂングの夜景と同じく、コントラストの妙に惹かれたのです。

注:名古屋市『なごや発掘発信マガジン Nagoya発』№12、1990年6月、p.10「東洋一のモダンステーション

2021/01/25

大名古屋ビルヂング 賛 ②

 大名古屋ビルヂングの建替えにはさまざまな思い入れが受け継がれたようです(末注①)。この思い入れは別として、三菱地所が「ビルヂング」を使ったのはせいぜい昭和30-40年代までかと思ってました。1992年に出された“あるある”本で「おかしな表記」「やっぱり名古屋は田舎」と揶揄された(昨日ブログ参照)くらいですから。しかし、必ずしもそうではないことを私はあらためて知りました。

 ほかならぬ札幌で、比較的最近建てられた建物に命名されています。
新北海道ビルヂング 銘鈑
 「新北海道ビルヂング」です。2018(平成30)年にこの銘鈑を撮ったときは「ああ、ビルヂングだなあ」と思ったくらいですが、あらためて鑑みました。「事業者」に三菱地所の名前と、右下に小さくて見づらいのですが「平成4年11月竣工」と記されています。「大名古屋」が揶揄されたその年の新築です。このビルは建て替えではありません。「つい」28年前でも、ビルヂングです。さすが天下の三菱、というべきか。

 ただ、三菱がとことん「ビルヂング」にこだわっているかというと、これまた必ずしもそうではありません。
 東京駅の真ん前、三菱の総本山に建つ「丸ビル」です(2016年撮影)。
丸ビル 2016年
 このビルは「ビルヂング」だと思っていました。ところが調べてみたら、2002(平成14)年に建て替えられたとき、「ビルディング」に変わったようです(末注②)。 

 建替え前の古い「丸ビル」です。
丸ノ内ビルヂング 1996年
 1996(平成8)年に撮りました。この当時は「ビルヂング」です。

 私は、大名古屋ビルヂングの本家本元はこれだと思っていました。超高層へ建替えに当たって、低層部はやはり旧ビルを“イメージ保存”しています。その手法もさることながら、1923(大正12)年に建てられた元の丸ビル自体、「大名古屋」のお手本だったのではないかと想えるのです。

 日本最初の純アメリカ式のオフィスビルであること、オフィスビルなのに一階に商店街が初めて作られたこと、超高層ビルの登場までは最大の体積を誇り、大きな量を測るのに“丸ビル何杯分”とか言われたこと、などなどよく知られている。(中略)
 丸ビル以前は、オフィスビルというのは名のとおりオフィス専門の施設で、中に商店街を入れるなんて発想はなかった。なのになぜ、丸ビルはそんな大胆なことをしたのか。丸ビル以後、この傾向は一般化し、今日では商店街や飲食街のない大型ビルは考えられないほどだ。(末注③)

 丸ビルに関するこの記述は、「日本最初」を「名古屋」に置き換えたらそのまま「大名古屋ビルヂング」に当てはまるような錯覚を覚えます。建物そのものだけではありません。
 地理的な位置関係です。
現在図 丸ビル 位置
 丸ビル(赤いベタ塗り)は東京駅前の、駅を背にして左手に立地しています。“千代田のお城”の文字どおり丸の内です。

 大名古屋ビルヂング(赤いベタ塗り)も名古屋駅前の同じく左手に位置します。
現在図 大名古屋ビルヂング 位置
 名古屋城の丸の内ではありませんが、駅-ビル-お城の位置関係がにおう。

 丸ビルは1923年2月に建てられ、その年の9月に関東大震災に遭いました。外壁は大破したそうですが(末注④)、乗り越えました。一方、大名古屋ビルヂング建設のきっかけは、1959(昭和34)年の伊勢湾台風からの復興です(末注⑤)。前者は明治以降、最大の死者・不明者を出した地震であり、後者は同じく最大の死者・不明者を出した台風です。
 本家の丸ビルが衣替えした「ビルヂング」を、引き続き名乗っている「大名古屋」にますます敬意を表します。なお、大名古屋ビルヂングの名前には、もう一つ触れざるをえません。ほかでもない「大名古屋」の「大」ですが、長くなるので先送りします。

 注①:「大名古屋ビルヂング」ウエブサイト下記ページ参照
 → https://dainagoyabuilding.com/about/
 注②:三菱地所オフィス情報サイト下記ページ参照↓ 
 https://office.mec.co.jp/search/detail/011401/
 注③:藤森照信『建築探偵日記 東京物語』1993年、pp.192-198「謎を秘めた丸ビル」
 注④:前掲注③『建築探偵日記 東京物語』p.193参照
 注⑤:前掲注①サイト参照

2021/01/24

大名古屋ビルヂング 賛

 昨日ブログは、実は別に本題があったのですが、寄り道に逸れてばかりで進みませんでした。本題は名古屋駅から見えた大名古屋ビルヂングです。一昨年(2019年)に撮った画像では、駅西口からは隠れていました。

 同じく2019年の別のアングルからの画像です。
名古屋駅西口から大名古屋ビルヂング 2019年
 新しい大名古屋ビルヂングのてっぺんがわずかに顔を出しています。1月20日ブログでお見せしたようにこのビルも超高層化されましたが、それでもほとんど手前のJRのビルの陰です。ちなみに手前の工事は、リニア新幹線のホームを作っているらしい。

 名古屋駅からの大名古屋ビルヂングの眺めを本題にしたのは、以下の記述がきっかけです(末注①、引用太字)。
 昭和37年、名古屋駅前に新築されたのが大ナゴヤビルである。ところが、この屋上に「大ナゴヤビルヂング」というネオンサインが、「ナゴヤではないで。大(でやあ)ナゴヤだで!」といわんばかりに鎮座ましましている。これがまた、駅のホームから異常なほど目立って見えるため、夜など、新幹線が名古屋に停車すると、いやおうなくそれが目に入ってくる。そして、大方の乗客が「おかしな表記だな。大ナゴヤビルディングにすればいいのに……。やっぱり名古屋は田舎なんだ」という印象を抱くのである。

 私が1989(平成元)年に撮った名古屋駅ホームからの眺め(昨日ブログ参照)を観ると、たしかに目に入ってました。大名古屋ビルヂングはやはり名古屋駅前のランドマーク(だった)と再認識したしだいです。
 「屈辱の?『大ナゴヤビルヂング』」(「ヂ」に傍点付き)と題されたくだんの記述は次のとおり続きます(引用太字)。
 たしかに、ワープロで「ビルヂング」と入力しても、変換してくれない。ビルディングのほうは一発で変換される。だから、標準語としては「ビルディング」が正しいのだろう。
 「ビルヂング」と表記したのは、新仮名づかいになる前、つまり昭和21年以前のことである。英語のdiは、siと区別して、「ジ」ではなく「ヂ」と表記されていたのだ。名古屋だけでなく、日本全国これは同じだった。その名残であることは容易に想像できるのだが、せめてデザイン博のときにでも直してほしかった。
 
 
 これは浅薄な考察です。歴史的な事実として、そもそも誤っています。「ビルヂング」の表記は「昭和21年」の後も「大名古屋」に限らず続けられました。
 札幌で知られたところでは、この建物が「ビルヂング」です。
北海道ビルヂング 
 中央区北2条西4丁目の「北海道ビルヂング」。
北海道ビルヂング 銘鈑
 1962(昭和37)年に建てられました。「昭和21年以前のこと」ではありません。
 巷間言われるのは、三菱地所の関係する建物は戦後も「ビルヂング」と表記してきたことです。大名古屋ビルヂングと北海道ビルヂングは、ともに三菱地所により設計されました。本件大名古屋ビルヂングが例外的な「名残」ともいえず、全国的に併用されていたとみるべきでしょう。
 さらに「そもそも」ですが、「ビルヂング」から「ビルディング」への書き換えは「新仮名づかい」(末注②)とは直接関係はありません。外来語の表記までは定めておらず、ビルディングが定着したのは原音に近い表記が広まったからだと思います。ちなみに、「英語のdiは、siと区別して、「ジ」ではなく「ヂ」と表記されていたのだ」とありますが、区別したのは「si」ではなく「zi」でしょう。また「標準語としては『ビルディング』が正しいのだろう」ともいいますが、「標準語」なる概念は必ずしも定着しておらず、正しいとか正しくないという「標準」にはなりますまい(末注③)。さらにまた「ちなみに」ですが、私の今のパソコンでは「びるぢんぐ」と入力したら「ビルヂング」に変換されます。「ビルディング」の表記が主流になったとしても、少数派とはいえ「ビルヂング」も今になって認知されてきたのかもしれません。 

 以上は事実の真偽に関わる問題です。以下は考え方とか価値観の範疇になります。同書を編んだ「大ナゴヤ人元気会」は名古屋出身者のみならず名古屋にゆかりのある人が加わっているそうです。逆説的にいえば、なんでもかんでも自虐ネタにすればよいというものではないことを教えてくれます。この本が出されたのは1992(平成4)年です。「大方の乗客が『おかしな表記だな。大ナゴヤビルディングにすればいいのに……。やっぱり名古屋は田舎なんだ』という印象を抱くのである」という“ネタ”が、どこまで当時の実態を反映していたか、真面目に問うつもりはありません。言いたいのは、仮にそうであったとしても30年近くを経て、「大方の」価値観は変わってきているのではないか、です。極論すれば「やっぱり名古屋は田舎なんだ」が、ただちに否定的評価にはならない。

 旧・大名古屋ビルヂングビルの屋上に付けられていたロゴです。
旧・大名古屋ビルヂング 1989年 ロゴ
 「駅のホームから異常なほど目立って見え」たといいます(前述引用書)。

 2015(平成27)年に建て替えられた新しい大名古屋ビルヂングです。
新・大名古屋ビルディング ロゴ
 ロゴは、「せめてデザイン博のときにでも直して」(前述引用書)どころか、二十数年後の新しいビルでもそのまま引き継がれました。上述した私の価値観はあながち私だけの独善ともいいきれず、当のビルの施主もまた同じように考えたかに映ります。

 注①:大ナゴヤ人元気会編『ニッポン不思議発見!名古屋の謎だぎゃあ』1992年、pp.83-84。なお、本書では「大ナゴヤビルヂング」と表記されているが、実際の建物の表記は「大名古屋ビルヂング」である。また、建物が「新築された」のを「昭和37年」としているが、同年は第一期工事の竣工で、全体の完成は1965(昭和40)年である。1月20日ブログ末注①参照
 注②:1946(昭和21)年内閣訓令・告示の「現代かなづかい」をいうのであろうが、「表記に関する通則」第3に「と書く」とあるものの、「ヂ」を「ディ」とすることは示していない。文化庁サイト国語審議会「現代かなづかい(答申)」ページ参照↓
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/syusen/tosin01/index.html
 注③:広辞苑第5版によれば「標準語」は「一国の規範となる言語として、公用文や学校・放送・新聞などで広く用いられるもの。日本語ではおおむね東京の中流階級の使う東京方言に基づくものとされている」。文化庁の訓令・告示「外来語の表記」1991年は「外来語や外国の地名・人名を書き表すのに一般的に用いる仮名」として「ディ」を定め、「ヂ」はない。しかしあくまでも「よりどころ」であり、例外を否定してはいない。「標準語」を定義づけてはおらず、ましてや正しい、正しくないを決める目安はない。文化庁サイト内閣告示・内閣訓令「外来語の表記」ページ参照↓
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/gairai/index.html

2021/01/23

名古屋駅前 30年今昔 ②

 1989(平成元)年3月に撮ったJR名古屋駅ホームからの風景です。
名古屋駅 新幹線ホームから 1989年
 先日来1989年の写真を何枚か、載せています(1月20日及び昨日ブログ参照)。この年は3月、9月、11月に帰省していました。中学、高校時代の友人の結婚式が重なったのと、世界デザイン博覧会を“視察”したりしたためです。上掲画像は、関西から横浜へ行く途中に名古屋に立ち寄り、新幹線のホームから撮りました。東向きです。

 黄色の矢印を付けた先に「大名古屋ビルヂング」がのぞいています。土星型の屋上広告も見えます。余談ながら、手前の濃緑と橙色の車体も懐かしい。今はもうないのでないでしょうか。私の国鉄カラーの原風景は、この色です。東京に行ったら、山手線や京浜東北線は黄緑や青の1色でしたが、「湘南電車」がこのツートンカラーでした。

 閑話休題、ほぼ同じあたりの風景の30年後です。
名古屋駅西口からJRセントラルタワーズ
 2019年9月に撮りました。ただし名古屋駅のホームではなく、西口(太閤通口)からです。

 松坂屋のビルがなくなっています。もう、私は浦島太郎状態です。JRの超高層ビルがそびえて、大名古屋ビルヂングは隠れています。名古屋人以外の読者のために申し添えると、写っているツインタワーはJRセントラルタワーズといいます。また余談ながら、ここらを運行するJRは「JR東海」ですが、英語では「JRセントラル」というそうです。JR東日本や西日本がイースト、ウエストを名乗るのは直訳的だし、JR北海道はそのまま英語化されていますが、「東海」だけは意訳されています。市内で「名古屋セントラル病院」というのを見かけましたが、昔の鉄道病院だったのですね。こんなところにも名古屋中華思想が垣間見えます。見えないか。

2021/01/22

“白い街”名古屋の1989年

 名古屋駅前の大名古屋ビルヂングの在りし日を一昨日ブログで取り上げました。屋上の土星型広告を複数枚載せましたが、もともとそれを目当てに撮ったのではありません。

 このビルの外観全体の夜景を撮りました。
大名古屋ビルヂング夜景1989年-1
 レインボーカラーでライトアップされています。「世界デザイン博覧会」(1月18日ブログ参照)の開催に合わせて電飾されたようです。

大名古屋ビルヂング夜景1989年-2
 手前の屋台に惹かれて、もう一枚撮りました。惹かれたのは、デザインとかおしゃれ、スタイリッシュ(を目ざした)という空気とのコントラストです。名古屋市がくだんの博覧会を企図した動機との落差といってもよいかもしれません。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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