FC2ブログ

札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/12/31

2020年もお世話になりました。

 昨年一昨年に引き続き、一年の諸活動のうち拙ブログ以外で出力・発信してきた営みを時系列で並べます。
1月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第28回
6日:UHB(8ch)みんテレ「となりのレトロ」コーナー出演(手稲神社・手稲山)
26日:北海道新聞日曜版特集記事「時を訪ねて 黒沢明監督の『白痴』ロケ」取材協力
28日:札幌建築クラブ新年交礼会 講演「札幌時空逍遥~街を歩き、街を楽しみ、街を知る」

2月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第29回
10日:UHB(8ch)みんテレ「となりのレトロ」コーナー出演(定山渓温泉)
20日:札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第84号発行(同会公式ブログ2月25日参照)

3月
2日:UHB(8ch)みんテレ「となりのレトロ」コーナー出演(白石本通)
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第30回
16日:UHB(8ch)みんテレ「となりのレトロ」コーナー出演(清田)
29日:札幌建築鑑賞会「札幌百科」第17回「巨匠クロサワは札幌で何を観たか?」中止(感染症流行のため)

4月
1日:一財)北海道建築指導センター『センターリポート』VOL.50№1春号(通巻212号)寄稿「北海道遺産に選ばれた『札幌軟石』」
https://www.hokkaido-ksc.or.jp/assets/files/01_outline/report/REPORT212.pdf
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第31回

5月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第32回
23日:北海道新聞朝刊(札幌版)記事「札幌軟石の部材再活用 北8西1再開発 築100年の石蔵解体へ」取材協力(5月21日同月23日ブログ参照)

6月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第33回
20日:札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第85号発行(同会公式ブログ6月29日参照)

7月
3日:NHK(3ch)「「ひるまえナマら!北海道」出演・北海道遺産「札幌・苗穂地区の工場・記念館群」を紹介
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第34回
11日:札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第68回開催(旧北部軍司令官官邸)(7月11日ブログ参照)

8月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第35回(終)
30日:札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第69回(北海道知事公館)雨天のため中止

9月
26日:札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第70回開催(新琴似屯田中隊本部)(同会公式ブログ9月27日参照)
29日:北海道新聞朝刊(札幌版)記事「明治のバッタ大発生伝える塚」取材協力(10月2日ブログ参照)
30日:札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第86号発行(同会公式ブログ10月7日参照)

10月
2日:北海道新聞電子版動画出演「蝗害の歴史伝える『バッタ塚』」(10月2日ブログ参照)
https://www.hokkaido-np.co.jp/movies/detail/6196709871001
7日:STV(5ch)どさんこワイド179「札幌の歴史を歩いて探訪! てくてく洋二」コーナー出演(札幌駅北口)
https://www.stv.jp/tv/dosanko_eve/tokushu/u3f86t0000090re6.html
16日・18日:札幌建築鑑賞会「大人の遠足」秋の編開催(10月13日ブログ同会公式ブログ10月7日参照)
21日:『つきさっぷ郷土資料館だより』第42号寄稿「私の街角歴史探訪 月寒公民館」(10月31日ブログ参照)
26日:STVラジオ「まるごと!エンタメ~ション」出演「しろっぷのArt of Autumn中継!」(11月1日ブログ参照)
https://www.stv.jp/radio/entamation/u3f86t0000094p7f.html
27日:北海道ヘリテージナイトセミナー 講演「街を歩き、街を知り、街を楽しむ~北海道遺産の楽しみ方~」(10月16日ブログ参照)
28日:STV(5ch)どさんこワイド179「札幌の歴史を歩いて探訪! てくてく洋二」コーナー出演(藻岩山麓)
https://www.stv.jp/tv/dosanko_eve/tokushu/u3f86t0000096niq.html
30日:北海道新聞夕刊記事「北海道、日本遺産の魅力紹介」ヘリテージナイトセミナー(27日)の報道

11月
7日:札幌建築鑑賞会「札幌百科」第17回「巨匠クロサワは札幌で何を観たか?」開催(11月8日ブログ参照)
24日:「あつべつ歴史散歩マップ」発行(同日ブログ参照)
http://www.city.sapporo.jp/atsubetsu/machi/soshiki/soshiki_event.html#map2020
25日:地域FM「RADIOワンダーストレージFMドラマシティ」厚別区広報番組「厚別ふれあい・ほっと・ステーション」出演、「あつべつ歴史散歩マップ」を紹介
http://www.city.sapporo.jp/atsubetsu/joho/radio/index.html

12月
1日:『広報さっぽろ』12月号厚別区版記事「あつべつ歴史散歩マップ」紹介
http://www.city.sapporo.jp/somu/koho-shi/202012/documents/202012atsuall.pdf
5日:れきぶんボランティアガイド講習会2020 講演「ストーリーで学ぶ札幌の歴史」(入門編・応用編)(10月30日ブログ参照、オンラインで実施)
https://www.city.sapporo.jp/shimin/bunkazai/rekishibunkanomatidukurisuishin.html
7日:札幌市東区「東区ウォーキングノートコラム集」寄稿「はじめにナナメありき-東区の古道探訪-」
http://www.city.sapporo.jp/higashi/health/koramusyu.html
11日:北海道新聞朝刊(札幌版)記事「あつべつ歴史散歩マップ」紹介
25日:週刊まんまる新聞記事「あつべつ歴史散歩マップ」紹介
https://manmaru-sinbun.com/epaper/201225/html5.html#page=4

 昨年と比べると、明らかに時期的なばらつきがあります。先に記したように(11月1日ブログ)、世の中の動きに呼応するかのように秋口から再活性化しました。しかし、軌を一にしてコロナの感染も三たび激化しています。発信のカタチも、人が群れ集うことを避けながらとなりました。
 さまざまな営みの機会を与えてくださった皆様、支えてくださった皆様、ともに関わってくださった皆様に感謝申し上げます。また、拙ブログを応援してくださった皆様、ありがとうございました。とりわけコメントを寄せてくださった皆様には、そのつどの返信を怠って申し訳ございません。まとめてお礼申し上げます。
 新しい年が良いお年になるようお祈り申し上げます。
謹賀新年2021
スポンサーサイト



2020/12/30

知らざるを知る

 2020年も残り僅かとなりました。今年1年のブログを振り返ってみると、“積み残し”が少なくありません。気が付いた限りで以下、拾いました。
 ① 千歳市の地名に関する疑問(11月22日
 ② 最古の札幌軟石はどこで採られたか?(11月21日
 ③ 石狩市における札幌軟石と小樽軟石のせめぎあい(10月29日
 ④ 石狩市八幡のコンクリート製サイロの“土地柄”(10月25日
 ⑤ ROGA(北区)店内に飾られている空中写真の撮影年(10月23日
 ⑥ 『マンガ史 白石ものがたり』評(10月17日
 ⑦ 南区澄川の本願寺道路跡(8月31日
 ⑧ 手稲山口になぜ、アメダス観測所が設けられたか?(8月19日
 ⑨ 自衛隊真駒内駐屯地に遺るカマボコ(クォンセットハット)の由来(7月31日
 ⑩ 札幌扇状地平岸面、札幌面ツイシカリメムに関する異論(6月10日
 ⑪ 何が「大排水」と「新琴似川」(北区)を分けるか?(5月14日
 ⑫ 新川の上流はなぜ琴似川と呼ばれるか?(5月10日
 ⑬ 豊水すすきの駅近くのお寺に立つ馬頭観世音碑の由来(4月14日
 ⑭ すすきのの屋上屋を重ねた石蔵の由来(3月26日
 ⑮ 黒澤映画『白痴』に写された風景(3月23日
 ⑯ 札幌の地名と内地の地名(3月19日
 ⑰ 旧道における“この種のホテル”立地の相関性(3月16日
 ⑱ 白石区本通7丁目、水源地通の傍らに立つオブジェの由来(3月6日
 ⑲ 電柱「中沼幹」(中央区)の謎(2月26日
 ⑳ 定山渓温泉の食堂に残る一升徳利に書かれた歌詞の由来(2月11日
 ㉑ 定山渓温泉はなぜ、湧いたか?(2月9日
 ㉒ 札幌市西区と手稲区の境目(1月22日
 ㉓ 三等三角点「怪物路」(岩見沢市北村)の由来(1月10日
 ㉔ “まゆだま”の分布(1月2日

 “積み残し”というのは、謎解きなどが中途半端で終わっているものです。その後の進展や解明がありつつ書き残したものもありますが、未解決のままなのも多々あります。注意欠陥多動性障害さながら、衝動のおもむくまま時空を逍遥するブログのこととて、お許しください。かような逍遥におつきあいくださっている皆様に感謝申し上げます。

2020/12/28

年末に吉報

 数日前、嬉しい知らせを耳にしました。
旧北海道林業試験場庁舎 再掲
 旧北海道林業試験場(林木育種場)庁舎(江別市)です。

 昭和初期に建てられ、現在江別市が所有しているこの建物(末注①)が有効活用されることになりました。民間事業者等による保存・活用の募集がこのほどあり、公開プレゼンテーションの結果、事業者が決まったそうです。札幌で歴史的建物を活かして飲食店を営むⅠさんから、選ばれたとの連絡をいただきました。江別市の公式ウエブサイト(末注②)にはまだ載ってませんのでとりあえず具体名は伏せますが、いずれ発表されるでしょう。
 私は今夏、Ⅰさんが現地を視察されるのに同行させていただきました。Ⅰさんによると、現在札幌市内にある珈琲の焙煎工房を近い将来、ここに移したいとのことです。併せて、喫茶スペースも設け、地域の交流空間にしたいと構想を語っておられました。“宝の持ち腐れ”状態だった建物が日の目を見ることを慶び、併せて応援していきたいと思います。今、私は「“宝の持ち腐れ”状態だった」と記しました。20年近くにわたって建物を維持管理してきた江別市にも敬意を表します。ともすれば、有効活用されなければ(税金を使って)保存する意味がないという風当りも強かったことでしょう。

 この建物をⅠさんが活用することには因縁めいたものを感じます。
旧北海道林業試験場庁舎 正面車寄せ イチイ老木
 なぜか。
 正式に発表されたらわかるでしょう。

注①:2017.9.3ブログ参照
注②:同市サイト「『北海道林木育種場旧庁舎』保存・活用応募事業者によるプレゼンテーションの実施」ページ

2020/12/26

すすきのの歩道舗装(承前)

 12月20日ブログですすきのの歩道舗装のことを伝えました。デザインのモチーフは何だろうか?です。
ロマネット すすきの-4
 この半円形が気になりました。

 私が想い浮かべたのは、この建物です。
絵はがき 開道五十年記念北海道博覧会 音楽堂
 1918(大正7)年、中島公園に設けられました。開道五十年記念北海道博覧会の音楽堂です(札幌市公文書館所蔵絵はがき)。

 あらためて、較べます。
すすきの 歩道舗装デザイン ドーム型?
 どうでしょうか。

 前掲の絵はがきには彩色版もあります(同上)。
絵はがき 開道五十年記念北海道博覧会 音楽堂 彩色
 余談ながら、前掲のモノクロ版に色を付けたのかなと思いましたが、よくみると違ってました。

 古代ギリシアのオーダーをアレンジしたような柱を立ち上げて、ドーム型の屋根が支えられています。ドーム型といっても、裾が反っていて(フレアドルーフ?)、古典的というよりは世紀末的な匂いです。

 柱の上の水平部分(エンタブレチュア)に、メダイオンぽいものが付けられています(黄色の矢印の先)。
絵はがき 開道五十年記念北海道博覧会 音楽堂 部分
 古い弦楽器をあしらっているかのようです。

 一方、歩道のほうには、ドームの下に茶色のタイルがアクセントを付けています。
すすきの 歩道舗装デザイン ドーム型? 茶色のタイルのアクセント
 私にはもう、音楽堂にしか見えなくなりました。

 くだんの音楽堂が置かれた場所を現在図に示します。
現在図 駅前通 すすきの ロマネット歩道 
 中島公園の菖蒲池のほとり、赤いを付けたところです(末注)。

 一方、駅前通のすすきの地区で“ロマネット”の舗装が施されている歩道に太い赤実線をなぞりました。歩道を南へ歩いて行くと、音楽堂の場所にほぼ達します。このデザインのモチーフと決めつけてしまいましょう。

 注:「開道五十年記念北海道博覧会第一会場之図道順案内」(『さっぽろ文庫・別冊 札幌歴史地図』1980年、pp.12-13)参照

2020/12/24

追悼・俵浩三先生

 俵浩三先生(専修大学北海道短期大学名誉教授・北海道自然保護協会元会長)が、11月30日に亡くなられました(90歳)。ご逝去を伝える記事から先生の経歴を引用します(末注①)。
 1953年、日本で初めて旧厚生省の国立公園レンジャーとなり、支笏・洞爺国立公園などに勤務。94年から2004年まで同会(引用者注:北海道自然保護協会)会長を務めた。在任中には士幌高原道(道道士幌然別湖線)の建設計画に反対の立場から、運動を展開。道の「時のアセスメント」で計画中止が決まった。
 先生の学究上の功績については造園家のRさんがブログで(すでに同じタイトルで)紹介されていますので、そちらをご参照ください。
 ↓
http://blog.sapporo-ryu.com/?eid=3189

 個人的ながら先生にお世話になったことを思い起して、故人を偲びます。といっても、先生ご自身は私に「お世話した」というご記憶はお持ちでないでしょう。また、先生の専門的業績からして、門外漢の私が「お世話になった」というのはおこがましくもあります。それでもあえて記させてください。29年前に札幌建築鑑賞会を発足させるきっかけを与えてくださったお一人が俵先生だからです。
 
 会を始めるにあたり、「函館の人々からいろいろお知恵を授かった」ことは前に記しました(2016.6.12ブログ末注参照)。
函館・元町公園 1990年
 教えを乞うたのは1990(平成2)年の秋、「函館の歴史的風土を守る会」の方々です(画像は函館・元町公園、同年10月撮影)。その「れきふう会」の存在を教えてくださったのが、ほかならぬ俵先生でした。

 俵先生と「れきふう会」のつながりは、道立自然公園たる野幌森林公園です。先生は1977(昭和52)年から北海道野幌森林公園事務所長を務めました。公園の一角に「北海道開拓の村」が造られていた時期です。ちょうどそのとき、函館では「旧渡島支庁舎」(旧北海道庁函館支庁舎)の開拓の村への移築が持ち上がっていました。元町公園の整備と併せ、懸案となっていたのが老朽化した旧庁舎です。現地で残すのは、地元の函館市にとって荷が重かったのでしょう。歴史的建物を「博物館 明治村」方式で集めて、「開道百年」にふさわしい施設で保存しようとしていた北海道と思惑が一致したといえます。ところが、これに当の地元の一主婦が異を唱えました。「現在地にあって修復の上、今日の用に供されてこそ、初めて函館を象徴する一つの顔となり、かつ建物としての本来の存在意義も生まれるのではないか」と(末注②)。いまでこそ“ごくあたりまえ”の考え方ですが、当時としてはコペルニクス的転換の発想だったと思います。地元市民からの抗議に対して、北海道側で矢面に立ったのが俵さんでした。先生の回想談から私が察するに、北海道にしてみたら思わぬしっぺ返しだったことでしょう。地元で保存するのが大変な文化財をいわば恩恵的に救済しようというのに、感謝されてこそよかろうものを、よもや文句を言われるとは。
 先生にとっては苦い経験だったにもかかわらず、だからこそでしょうか、学ぶべき“お手本”として示唆してくださいました。

 注①:北海道新聞12月8日記事
 注②:田尻聡子「なぜ開拓村に移す 旧渡島支庁舎 現在地で修復を」北海道新聞1977(昭和52)年9月28日「読者の声」。れきふう会『函館のまちなみ』1989年、p.168収録

2020/12/20

すすきのの歩道舗装

 すすきので歩道の路面を気にすることはあまりないかもしれません。
ロマネット すすきの-1
 カラーブロックの舗装は「札幌都心部ロマネット計画」(末注①)で1990(平成2)年前後に整備されたものと想われます。 

 デザインは大通地区の「シンボルロード事業」(末注②)同様、組積造の建物をモチーフとしているようです。
ロマネット すすきの-2
ロマネット すすきの-3
 具体的なモデルがあったのでしょうか。

 すすきのという土地柄を意識しているのだろうか。
ロマネット すすきの-4
 上掲のドーム型?が暗示しているかもしれない。

 注①:12月12日13日14日各ブログ参照
 注②:12月16日ブログ参照

2020/12/19

駅前通大通以南 四半世紀のビフォア・アフター

 12月16日ブログで、1994年(平成6)年に撮った風景を現在と較べて何が変わったか問いかけました。
 この風景です。
大通西3丁目から駅前通南望 1994年
 コメントを寄せてくださった方、ありがとうございました。

 私が気がついたものを以下、挙げます。
 ・地下鉄の出入口
 ・信号機の仕様(電球部分の形、「大通西3」の標識、支柱の色)
 ・明治生命大通ビル(現明治安田生命札幌大通ビル)
 ・西4丁目、駅前通に面するビルの屋外広告物

 屋外広告物について、画像を拡大してつぶさに観ます。
駅前通大通以南 1994年 屋外広告
    
駅前通大通以南 2020年 屋外広告
 上が1994年、下が現在(2020年)です。
 
 まず、画像左方の明治安田生命のビル(大通西3丁目)から突出広告がなくなっています。右方では、日之出ビル(南1条西4丁目)で自家用広告(突出)と屋上の「カルビー」がありません。テナントの突出広告は見られます。

 現在の風景を接近して、較べます。
駅前通 西4丁目 屋外広告物
 以下のとおりです。

・4丁目プラザ(南1条西4丁目) : (屋上)住友カード→龍角散、(壁面)雪印→雪印メグミルク
・ピヴォ(南2条西4丁目) : (屋上)手前の樹に隠れて不明→PIVOT
・コスモデパート(南2条西4丁目) : (壁面)水野メガネ→同、(屋上)TDK→なし
・アルシュ(南3条西4丁目) : (屋上)佐藤製薬(サトちゃん)→同(ユンケル黄帝液) 

 1994年から現在までの間に何があったか。
 1998(平成10)年:札幌市都市景観条例制定、札幌市都市景観基本計画策定
 2004(平成16)年:景観法施行
 2007(平成19)年:札幌市都市景観条例全部改正(2016年「札幌市景観条例」に名称変更)、札幌市景観計画策定

 大通西3丁目の明治安田生命札幌大通ビルは、これらの法令の適用を受けて建てられました。このビルが建つ場所は景観法及び札幌市景観条例に基づく「大通地区景観計画重点区域」に含まれています(末注)。この区域で屋外広告物の設置が制限され、認められるのは原則として自家用に供するもののみです。新しいビルから突出広告が消えたのはこの事情に由ると思われます。

 注:札幌市地域計画課『景観計画重点区域』参照。大通地区景観計画重点区域は大通の道路境界から外側へ30mまでが指定されているので、明治安田生命札幌大通ビルが区域内に含まれる。

2020/12/18

川沿10条1丁目のモニュメント ⑧(終)

川沿10条1丁目 「藻南通 ウエルカムゲート」再掲
 藻南通「ウエルカムゲート」とは、何だったか。締めくくります。
 
 ひとことでいうと“バブルの遺産”です。それを証し立てるためにあちこち寄り道してきました。伝えたかったのは、1980年代後半の空気が社会の文字どおりもっとも基盤もいえる道路にも投影されたことです。いささか過剰とも思えるストリートファニチャー類が体現していました。その理念を文章化した近過去書類は、“21世紀都市サッポロ”をバラ色に描いています。冗長で力みのある記述は、街角に施された装身具類と表裏一体をなしているかのようです。
 四半世紀の経年変化を閲すると、北3条通といい(12月13日ブログ参照)、美術館周辺といい(12月14日ブログ参照)、当初の姿からの“軌道修正”がそこはかとなく窺われます。“時代の産物”のゆえんともいえましょう。
 藻南通が完成したであろう1990(平成2)年は、すでにバブルがはじけ出していた年です。日経平均が史上最高値を付けたのはその前年の大納会でした。本件モニュメントが札幌における好景気の残照のごとく見えてきます。
 このように記してくると、本件も含む当時の諸作品は“負の遺産”と総括できそうです。その側面は否めません(末注①)。ならばこれらは消去され、上書きされてしかるべきか。拙ブログをこれまでお読みくださっている方にはお察しいただけましょうが、私はなかなかそのように思えません。特に本件は、設置以来30年にして私は初めて「札幌軟石によって造られた倉庫群の屋根の形をモチーフとしたもの」であることを知りました(末注②)。30年前に札幌軟石を顕彰した先人に親近の情を覚えます。その特殊事情を抜きにして、仮に負の遺産であっても、時代を積み重ねた証しはできるだけ留めてほしいと願うものです。ロマネットなるへんちくりんな、もとい不思議な表記も、今となっては郷愁を抱きます。
 実は、本件モニュメントはいずれ消去されるかもしれません。本件の存在を知ったのも、それがきっかけです。モニュメントの背後はもともと自衛隊の官舎が並んでいましたが(その記憶も私は忘却していました)、上掲画像のとおり現在空き地となっています。土地の有効活用を検討するあたり本件が障害物になり、「これはいったい何なのか?」と話題になったのです。行く末を注目しましょう。

 注①:“負”ではない肯定的側面も、もちろんある。別途あらためて綴りたい。
 注②:12月10日ブログ参照。現地の説明板で「かって(ママ)、この地で採堀(ママ)された札幌軟石によって造られた倉庫群の屋根の形をモチーフとしたもの」と記された「この地」というのは藻南通の豊平川対岸(右岸側)である。本件モニュメントが立つ豊平川左岸側では札幌軟石は採掘されていない。説明文は剥げかかっていてほとんど目に留めづらいが、やや紛らわしい記述ではある。

2020/12/17

川沿10条1丁目のモニュメント ⑦

 「川沿10条1丁目のモニュメント」と銘打ちつつ、札幌の街中のことにかなり寄り道しています。

 12月12日ブログで、『札幌の道路』という冊子を引用しました。この冊子には下掲の地図が付けられています。
第10次道路整備5ヶ年計画概要図-1 1987年
第10次道路整備5ヶ年計画概要図-2 1987年
 「21世紀都市サッポロをめざして 第10次道路整備5ヶ年計画概要図 昭和63~67年度」という標題です。

 この地図の赤い矢印を付けた先に「藻南橋(架橋)」と記されています。凡例によると「幹線道路整備箇所」です。私は、この橋を含む「藻南通」が整備されたのは1990(平成2)年頃と私は推測しました(12月11日ブログ)参照)。「昭和63~68年度」(1988~1992年度)を事業年度とするこの計画に位置付けられたのでしょう。これまでお伝えしてきた「都心部ロマネット計画」や「シンボルロード事業」も同じです。

 「5ヶ年計画概要図」には「21世紀都市サッポロをめざす道づくり」と題された文章も添えられています。
第10次道路整備5ヶ年計画概要図-3 1987年
 思い入れの強い文章です。

 中味を抜きにして、文体がそれを示しています。文末を「のです」で終えている文が、かなり多い「のです」。数えてみると文は長短入り混ぜて全部で29あります。そのうち「のです」で終わる文は7文です。ほかに「のでしょう」「のではないでしょうか」で終わる一文も含めると9文になります(末注①)。細かく見ると次のとおりです。
 リード文:6文中「のです」が2文(「のでしょう」を含めると3文)。6文中1文は体言止め
 第1パラグラフ:9文中3文
 第2パラグラフ:8文中0(ただし「のではないでしょうか」が1文)
 第3パラグラフ:8文中2文。8文中3文は体言止め

 第1パラグラフと第3パラグラフではそれぞれの末尾に「のです」が2文続けて使われている「のです」。
 ある国語学者は、作文上「のである」「のだ」の多用を戒めています(末注②、引用太字)。
 ノデアルは、ノダとかノデアリマスとも使います。普通、強い断定と思われています。しかし考えてみると、単に強い断定であるのではなく、相手に教える場合によく使う。(中略)
 話のときにノデアリマスを使うのは、話に区切りをつけて教示・説明をまとめていく役目があります。しかし文章ならば、読者は分かりにくいときには、前に戻って読み直すこともできる。それを一つ一つノデアルと使うと、書き手の思い入れの強調になってくる。何となく著者の高い姿勢を示すようにも見える。
 私はある時期、「ノデアル」を消せと自分に言い聞かせて、書き上げた原稿のノデアルをすべて消したことがあります。かえって文章がすっきりして強くなる。

 ただし「もちろん、ノデアル・ノダが有効に使われている例もあります」として、ある文章を一例に挙げています。その文章では全部で20文中「のである」「のだ」で終わるのは2文のみです。
 「だ」「である」体における「のだ」「のである」を使うのと「です」「ます」体で「のです」を用いるのは単純に比べられないかもしれません。前掲画像に載せた文章も筆者のクセといってしまえばそれまでですが、私にはやはり強調や力みと受け取れます。強調や力みが過ぎると、押しつけがましく感じられる「のです」。最近の(?)表現でいうと、“上から目線”というやつでしょうか。 
 12月12日ブログに続き、また文章論になってしまいました。これがまた、本題につながると想えてならない「のです」。

 と、本日ブログの文章で私は「のです」をところどころ用いました(文末にカギカッコで示した箇所)。これは意識的にですが、これまで無意識のうちにも頻用していないだろうか。ためしに昨日ブログを数えてみると、21文中「のです」は0でした。一昨日ブログでも40文中0、12月14日ブログでは座談会の記録の箇所を除く25文中1文。少なければいいというものでもありませんが、ひとまずほっとしました。

 注①:ここでいう「のでしょう」「のではないでしょうか」は、次のように用いられている。
 ・もちろん、計画的な都市の成長も道路整備が行われてこそ可能なのでしょう
 ・このような条件の中でより快適でゆとりのあるくらしを実現したいと思うのは、札幌市民すべての願いなのではないでしょうか
 これは「…可能でしょう」「…願いではないでしょうか」をそれぞれ強調する表現であり、「のです」の用法に近いと考えられる。
 注②:大野晋『日本語練習帳』1999年、pp.94-95

2020/12/16

川沿10条1丁目のモニュメント ⑥

 「札幌都心部ロマネット計画」と同時期に並行して進められたのが「シンボルロード事業」です。内容は「ロマネット」とほとんど変わりません(と私には思えます)。端的にいえば歩道の整備です。
 
 下掲はやはり1994(平成6)年に撮りました。
大通シンボルロード-1 1994年
大通シンボルロード-2 1994年
 大通の北側の歩道部分です。参考までにいうと、大通公園も都市計画道路の「大通」に含まれます。上掲画像はそのうちの市道「大通北線」の歩道です。

 案内標識や街燈、植樹枡、ブロック舗装などが統一的にデザインされました。併せて進められたのが電線の地下埋設、ロードヒーティングです。ロードヒーティングの設備も「景観に配慮して」ということか、それらしく蔽われています。冒頭で私は「歩道の整備」と記しましたが、言い方を変えれば「お金をかけた」でしょうか。

 下掲は現在の風景です。
大通シンボルロード 2020年
 ところで、植樹枡やブロック舗装のデザインは何をモチーフにしているのでしょうか。

 大通西13丁目に現存するこの建物か。
旧札幌控訴院 正面中央部
 かつて大通に面して連なって建っていた郵便局や電話局か。いずれにせよ、石造りの建物でしょう。

 冒頭に載せた1994年画像と同じ場所の現在です。
大通シンボルロード-2 2020年
 毎度のことながら、別のことが気になりました。

 背後の風景です。
大通西3丁目から駅前通南望 2020年

 1994年当時と較べました。
大通西3丁目から駅前通南望 1994年
 間違い探しではありませんが、四半世紀余りで何が変わったでしょうか。

ホーム

HomeNext ≫

 

プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

カレンダー

11 | 2020/12 | 01
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最新記事

最新コメント

カテゴリ

閲覧者数(2015.9.4からカウント)

検索フォーム

ランキング

↑ クリックすると、ランキングが見れます。

月別アーカイブ

管理画面

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

最新トラックバック