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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/05/31

白一点

 市道北4条線のベニバナトチノキが、今を盛りと咲き誇っています。
北4条線 ベニバナトチノキ
 この通りは片側一車線の車道に比して歩道の幅が広く、街路樹帯もゆとりをもって設けられています。

 普通だったら車道を片側二車線、確保してもよさそうなくらいです。
北4条線 ベニバナトチノキ並木
 そうなっていないのはおそらく、街区の途中で道幅が細くなっているからでしょう。かつての市町界に由来します。
 
 上掲画像は西から東を望みました。札幌市側です。この反対側、つまり西側が旧円山町(その前は藻岩村大字円山村)で、道が狭くなります。片側一車線しか取れない幅です。街区の途中で車線数が変わるのはあんばい悪いので、一車線で通したのでしょう。その分、歩道幅が広くなり、街路樹帯も大きめになったという私の推理です。旧札幌市・旧円山町境界付近の道路幅員については気になることもあるのですが、おってあらためることとします(末注①)。

 別に気になったのは、樹のことです。
北4条線 トチノキ?
 ベニバナ色の花を咲かせていない樹があります。
 
 よく見ると、一房、花を付けているのですが、白い。
北4条線 トチノキ? 拡大
 おや、ベニバナトチノキでない樹もあるのかしらと、帰ってから造園家Rさんのブログを読み直しました(末注②)。
 ↓
http://blog.sapporo-ryu.com/?eid=1233
 なるほどと合点しました。

 庇を貸して母屋を取られる、みたいなことでしょうか。いや、もともとトチノキが母屋で、接木されたベニバナトチノキのほうが間借りの立場ですか。とすると、大家さんが店子を追い出したようなものか。
 Rさんには怒られるかもしれませんが、もともとの自然植生でもないのだし、これはこれでいいのかなと思ってしまう私です。

 注①:2017.9.15同9.16ブログ参照。旧札幌市・円山町境界をめぐる道路幅員については、昨年〈2019年)5月27日のUHBみんテレ「となりのレトロ」桑園編でも紹介
 注②:ベニバナトチノキについては2018.6.10ブログに関連事項記述
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2020/05/30

310.6人と7.0人。

 標題は、新型コロナウイルス感染症による死者の人口百万分比です。前者が米国、後者が日本(5月29日現在-末注①)。
 米国が体現している国際標準(昨日ブログ)とは、これですか。と、短絡するつもりはありません。しかしこのような事象を包含しているのが「米国という標準」であることも、このたびのウイルスが明らかにしてくれました。一方、日本は国際標準にヒケを取りながらも、「現時点で」という限定ではあれどパンデミックによる国内の死者が少ない。医療や福祉に関わる人々の献身懸命のおかげです。戦後日本が具現してきた憲法第25条のたまものでもあります。

 冒頭の数値差を一面強調するあまり、「ニッポン、すごい!」と肯んずる気にはなれません。わが国政府のこの間の対応には首を傾げたくなるからです。特別定額給付金(一人10万円)や「アベノマスク」。首を傾げるのは施策そのものの是非ではなく、あとづけの言い訳がましさです。当初の方針を変えて一律10万円にしたのは緊急事態宣言の対象を全国に変えたからだとか、政府が布マスクを2枚配ったことで国内マスク市場の需給関係が改善したとか(末注②)。苦し紛れというコトバを思い浮かべたくなります。テレビに映る安倍首相が毎度小さ目のガーゼマスクを装着しているのは、孤高を持したいのか、それとも意固地なのでしょうか。
 
 そう言いながら、実は私はガーゼマスクが嫌いではありません。例によって、周回遅れの性分のためです。同居する前の老母は、通院などの際よくガーゼマスクをしていました。たぶんに防寒用でもあったのでしょう。母は、取り換え用のゴムまで持ってました(今も)。その刷り込みのせいで、スタイリッシュ(?)な不織布マスクよりも愛着があるのです。
アベノマスク 2020.5.30拙宅に到着

 注①:死者数は米国101,617人、日本890人(北海道新聞2020年5月30日朝刊)。人口は米国3億2,716万7,434人、日本は1億2,652万9,100人(外務省サイト→ https://www.mofa.go.jp/mofaj/kids/ranking/jinko_o.html)。
 注②:北海道新聞2020年5月20日
  → https://www.hokkaido-np.co.jp/article/422621

2020/05/29

美国憧憬

 ウン十年前の高校時代、世界史の授業で聞いた話の切れ端が記憶に残っています。
 曰く、建築は国や時代を象徴している、と。例えに出たのは、古代エジプトのピラミッドと東京の郊外の公団住宅の団地でした。代表的、ランドマーク的な建築や景観を指したのでしょう。ピラミッドを含めて建築と言ったかどうか正確には忘れました。名古屋大学文学部で西洋史を専攻したという“本格派”の先生の薀蓄だったこともあり、なるほどなと思った覚えがあります。

 二十数年前の米国シカゴです。
シカゴ シアーズタワーからの眺め 1996年
 1996(平成8)年、超高層ビルからの眺めを撮りました。

 今は名前が変わったようですが、シアーズタワーからの眺めです。
シカゴ シアーズタワー 1996年
 地上110階建て・高さ443m(建物本体)で、当時は世界一高いビルでした(同タワーのリーフレットによる)。シアーズというのは、いわゆる通信販売を巨大ビジネスにした会社だったと思います。そのシアーズも近年、経営破綻したと聞きます。栄枯盛衰です。それはともかく、私は文字どおりお上りさんになって地上412mのところにある「スカイデッキ」まで上り、眺望を楽しみました。

 シカゴは「建築のデパート」のような都市です(2014.9.19ブログ参照)。19世紀末から20世紀初頭にかけて、近代建築が百花繚乱と街に咲き誇りました。米国の発展や繁栄と軌を一にするかのように摩天楼群を築き、現代に至っています。その象徴がシアーズタワーでした。
 前掲写真をアルバムから取り出したのは、冒頭の箴言にかこつけて想いを巡らせる気持ちが湧いたからです。米国の摩天楼群は何を象徴しているのだろうか? “豊かな国” “自由” “夢を実現する機会”…。

 シアーズタワーのスカイデッキから、西の眺めです。 
シカゴ シアーズタワーからの眺め ウエストサイド
 中西部の大平原(プレーリー)に陽が沈みます。
 
 米国の主だった都市に対する私の印象は、というほど知ってはいないのですが、類型化されています。中心部のいわゆるダウンタウンに摩天楼群が聳え、その周囲にインナーシティや工場群を抱え、さらに郊外に上中流層の住宅街が広がる。
 シカゴも、ループ(高架鉄道)に囲まれたダウンタウンに超高層ビルが林立し、上掲の西方面はウエストサイドと呼ばれるインナーシティがかなりの広さで続いています。オークパーク(2019.5.19ブログ参照)のような高級住宅街はさらにその郊外です。
 
 私が訪ねた当時、東部ペンシルベニア州に住んでいた学生時代の友人に教えられたことには、治安のいい地域とそうでないところがものすごくハッキリしているのが米国の都市でもあります。面白半分でいわゆるスラムに足を踏み入れたりしては絶対にイケナイ。冗談ではなく、生きて帰ってこれなくなります。ダウンタウンは日中は人通りがあってさほど心配はないが、夜8時9時を過ぎたらいっきに人けがなくなるので要注意(ホワイトカラー層は地下鉄やバスを使わず、マイカーで郊外へ帰る-末注①)。ホテルに帰るのが夜になってしまったら、車道の真ん中を歩くこと。ビルの物陰から強盗に襲われたとき、歩道よりは逃げる時間を稼げる。
 シカゴでは、ダウンタウンから西郊のオークパークへ、高速鉄道と各駅停車の高架鉄道の二本が通じています。オークパークに行くのに、後者に乗ってはいけません。途中のアブナイ地域の駅に停車するからです。車内で襲われたら、なかなか助かりません。高速鉄道のほうは治安良好地域までノンストップなので、安心です。インフラが二種類、必要な社会ともいえます。

 前掲の摩天楼群とその眼下に広がるインナーシティは、米国社会の一面を象徴しているのかもしれません。一握りに集中する莫大な富。激しい格差。新型コロナウイルス感染症の死者は10万人を超え、黒人の死亡率は白人の2.4倍(末注②)。
 一方で、学術研究や産業(とりわけ情報技術)の水準は世界最先端です。ワクチン開発などほかならぬ感染症医療も先進を担っています。わが国で学校教育の9月スタートが(最近特に)喧伝されたり、英語学習がことさら重視されるのは、かような米国が「標準」であることに大きな一因がありましょう。
 しかし、その国際標準の行き着く先に、どのような具体像が描けるのだろうか。

 注①:あくまでも二十数年前の話である。いまはそれこそ在宅勤務とかが進んでいるのかもしれない。すると、中心部の高層ビル群の床面積を占めるオフィスはどうなるのだろう。
 注②:北海道新聞2020年5月29日朝刊記事「米死者10万人超す 人種間格差浮き彫りに」。トランプ大統領は「私が迅速に行動しなければ死者の数は25倍になっただろう」と嘯いた由。

2020/05/28

札幌扇状地平岸面のミッシングリンク ③ トイシカラメム

 5月26日ブログ末尾に「トイシカラメムについては私の前述は通説ではないようです」と記しました。これは、札幌扇状地平岸面の範囲に関わることです。

 札幌の地質の区分を示す地図でトイシカラメム(ツイシカリメム)の位置を確かめます。
① 札幌市埋蔵文化財センター展示 遺跡分布図
札幌市埋蔵文化財センター展示 遺跡分布図 トイシカラメム位置
 〈元図の凡例〉 橙色:札幌扇状地札幌面、薄紅色:扇状地
 〈加筆〉 トイシカラメムの位置:黄色ので囲った「菊水」と書かれたあたり。
 メムは現在の札幌東高校の付近です。元図の色分けによると橙色の北の端、すなわち札幌扇状地札幌面の扇端に当たります。一方、豊平区の豊平、美園、平岸から南区の澄川にかけては薄紅色です。これが扇状地平岸面と思われます。

② 国土地理院 土地条件図 1万5千分の1「札幌」1977年
土地条件図 札幌扇状地 トイシカラメムの位置
 〈元図の凡例〉 ドット付きの黄色地:札幌扇状地、ヨコ線入りの薄紅色:台地・段丘 低位面、青ヨコ線+赤斜線(画像上紫色に見える):低地一般面(谷底平野・氾濫平野)+人工地形 盛土地
 〈加筆〉 トイシカラメムの位置:赤い、白ヌキ実線:国道12号(北側)、国道36号(南側)
 扇状地平岸面に当たる一帯は「台地段丘 低位面」とされています。トイシカラメムの位置は「札幌扇状地」ですが、色分けはやはり平岸の一帯とは別です。

③ 治水地形分類図 更新版(2007-2019年)(国土地理院サイトから)
治水地形分類図更新版(2007-2019年)トイシカラメム
 〈元図の凡例〉 ドット付きの黄色地:低地 扇状地、橙色:台地・段丘 段丘面、萌黄色:低地 氾濫平野
 〈加筆〉 トイシカラメムの位置:赤い
 トイシカラメムは扇状地の扇端ですが、こちらも平岸面は別区分で「台地・段丘 段丘面」とされています。望月寒川以東の月寒台地と同じ色分けです。

④ 産総研シームレス地質図 20万分の1 V2(2006年)
産総研シームレス地質図1/20万 トイシカラメム
 〈元図の凡例〉 萌黄色:(形成年代)新生代第四紀後期更新世後期〜完新世 (岩相)扇状地・崖錐堆積物、水色:(形成年代)新生代第四紀完新世 (岩相)谷底平野・山間盆地・河川・海岸平野堆積物、桃色:(形成年代)新生代第四紀後期更新世中期 (岩相)デイサイト・流紋岩 大規模火砕流
 〈加筆〉 トイシカラメムの位置:赤い
 豊平川の右岸、左岸ともに同じ色で、「岩相」は扇状地・崖錐堆積物です。扇状地の札幌面、平岸面の区別はつきません。

 注目したいのは、というほど大げさなことでもありませんが、2点あります。
 まず、出典によっては札幌扇状地平岸面が「台地・段丘」に分類されていることです。図②③を見ると、札幌の中心部が新旧2回の扇状地で形成されているとは理解しづらい。昨日ブログで私は、扇状地としての平岸面は注目度が低いかのように述べました。責任転嫁めいて恐縮ながら、このような分類が一因にあるのかもしれません。
 もう一つは、平岸面を扇状地として識別するとしても、トイシカラメムがその範囲には含まれていないことです。扇状地札幌面の扇端に位置しています。
 
 平岸面のエリアを言葉で説明すると、次のとおりです。
 平岸面は地下鉄平岸駅を中心とした平岸街道が走る平坦面で、かつてはリンゴ園が広がり、牧歌的な景観が展開していたところである。この平坦面の頂点が真駒内川沿いの警察学校付近(標高九〇メートル)であり、末端部は北海学園大学付近(同三〇メートル)である。それより北では札幌面との境界は不明瞭になり、地形的には札幌面に併合されてしまう。『新札幌市史第1巻通史1』1989年、第1章第3節pp.9-11(太字)
 平岸面の扇頂部は、真駒内川の真駒内橋付近で、豊平区、平岸方面に広がり、国道36号線、豊平橋が扇端である。『さっぽろ文庫44 川の風景』1988年、第4章1豊平川p.159(太字)

 新しい扇状地の札幌面による古い平岸面の“上書き”は現豊平川の左岸のみならず、その下流域の右岸にも及んでいたようです。これらの地質図は前々から目にしていて、通説的に理解してはいました。にもかかわらず5月26日ブログで私は、トイシカラメムを「小泉川が扇状地平岸面を伏流し、国道12号あたりの扇端で湧き出た」と妄想したのです。

2020/05/27

札幌扇状地平岸面のミッシングリンク ②

 小泉川のことは郷土史の文献などに散見されます。しかし、これを扇状地平岸面と結び付けたり、ましてや下流部の小沼川や白石川、トイシカラメムとつなげたりした記述は管見寡聞にして知りません。そもそも札幌の扇状地、豊平川が作った扇状地というと、「札幌面」の注目度が高かったと思います。
 
 既出文献で札幌扇状地に言及している箇所を拾いました。
『新札幌市史第1巻通史1』1989年、第1章第3節「扇状地と河岸段丘」pp.9-11…平岸面と札幌面の形成を概説
同上 第4章第3節「扇状地堆積物」pp.79-83…札幌扇状地の特性を全般的に記述。メム、鴨々川。札幌ビール工場と北大医学部で掘削した地質柱状図の分析
『さっぽろ文庫44 川の風景』1988年、第1章「風景の変遷」
 「1 札幌扇状地・川の原風景」pp.12-30…札幌面の河道変遷、メム
同上 第4章「川に沿って」
 「1 豊平川」pp.158-162…扇状地形成の歴史、豊平川の流路
『さっぽろ文庫77 地形と地質』1996年、第1章「川の流れが運んだ台地」
 「1 扇状地とは」pp.32-40…扇状地地形について解説。札幌扇状地のメムを紹介 
 「2 札幌の扇状地」pp.40-49…平岸面、札幌面を説明
 「『メム』と人」pp.49-53…札幌面サクシュコトニ川のメムを詳述
 「琴似・山鼻集落での屯田兵」pp.54-57…札幌面、琴似発寒川扇状地上に形成された屯田兵村の歴史
 「3 豊平川扇状地と洪水の歴史」pp.57-68…「死んでしまった扇状地」平岸面、「生きている扇状地」札幌面。札幌面の地質断面図の分析
 「開拓使時代の札幌」pp.75-77…明治初期、札幌本府創建の歴史
 「4 扇状地と地下水」pp.77-87…札幌面の地下水位観測の分析
 「5 土地利用と地下水位」pp.87-96…同上
同上 第2章「高い丘・低い山」 「宅地化された平岸段丘」pp.140-144…「古い扇状地の削り残し」の段丘面としての平岸、開拓前後の歴史
『札幌の自然を歩く」2011年 
 「Ⅰ 札幌中心部から石狩湾へ」p.4…札幌扇状地湧水、サクシュコトニ川
 「Ⅱ 豊平川の上流へ」pp.23-24…精進河畔公園にみる平岸面の堆積物 
『豊平川と私たち-その生いたちと自然』2011年、第1章「母なる川-豊平川」pp.13-19…豊平川の流路の変遷、名称の由来、扇状地の形成、メム
『新版 歩こう! 札幌の地形と地質』2016年、第2章「街を流れる川」
 「札幌都心部(1)メムの流れを追う」pp.40-43…札幌面のメム、知事公館、植物園、偕楽園緑地、サクシュコトニ川
 「札幌都心部(2)扇状地に残る微地形」pp.44-47…南12条付近、電車事業所前、山鼻9条
 「精進川 札幌扇状地の成り立ちを探る」pp.48-51…精進河畔公園、平岸面の地層、特徴
同上 第3章「豊平川沿い」 
 「石山 札幌の街を造った石」p.83…真駒内、古豊平川による平岸面形成
札幌市博物館活動センター『ミューズレター』№66、2017.2「街の魅力、お散歩しながら体感しよう! -平岸は安全な段差の町?-」…かつての豊平川が削った「平岸高台公園」の崖、平岸面の痕跡、川跡の名残の道、軌道

 冒頭で「『札幌面』の注目度が高かった」と前述したのは、私自身の不勉強を棚に上げての、いわば固定観念です。札幌扇状地-メム-水の恵み-古代、アイヌ文化期の拠りどころ-草創期札幌の産業基盤という刷り込みで、札幌面に目を向けがちでした。ただ、前掲先行諸文献をざっと俯瞰する限りでも、扇状地の新旧形成→新しい札幌面の特徴の考察、が主流に見えます(末注)。古い平岸面については、札幌面との文字どおり差を見せつけている段丘面の言及が中心です。これは平岸面が「死んでしまった扇状地」(前掲『さっぽろ文庫77 地形と地質』「3 豊平川扇状地と洪水の歴史」)で、札幌面に比べて実証的・科学的に分析しづらいのかもしれません。また、市民向けには(精進河畔の段丘面、“へり”は別として)特徴が目立たないきらいもあります。私自身、新旧両面面の段差あたりで思考停止していました。平岸リンゴについても、「古い扇状地面で水はけが良く傾斜地だったので、果樹に向いていた」程度の理解です。

 例によって、学術的な研究が及びづらい分野は、いいかえれば妄想をはびこらせやすい世界です。  

注:つい最近刊行された札幌市文化財課編『札幌市文化財保存活用計画』2020年3月では、札幌市の「地形・地質」の「中央部、扇状地」の項を端的に、以下のとおり記述している(p.13、太字)。
 札幌中央部は、南西部産地と南東部丘陵地・台地の間を北部低湿地へと流れる豊平川が作った扇状地です。豊平川は、およそ4万年前以降に真駒内・平岸方面に流れて旧豊平川扇状地(平岸面)を形成し、氷期の明けたおよそ1万年前以降に流路を変えて現在の豊平川扇状地(札幌面)をつくったと考えられています。
 豊平川扇状地の扇頂は真駒内付近の標高約100m、扇端部の北海道大学、札幌駅付近は標高15~18mです。扇端部では、かつて地上に湧き出た伏流水が池や流れを作っていましたが、その痕跡は、現在も北海道大学附属植物園(以下「北大植物園」という。)などで見ることができます。

 限られた文字数で最大公約数的・簡潔明瞭に札幌扇状地を説明するとなると、こうなるのだろう。

2020/05/26

札幌扇状地平岸面のミッシングリンク

 5月17日ブログに記したとおり、明治時代の古地図に小泉川が描かれていることを私が知ったのはつい最近です。これまで、現在の南区澄川あたりにミナモトを発し、豊平区平岸、美園、豊平くらいまで流れていた川という程度の認識でした。その後、1万年以上前にできたという札幌扇状地の古い面(平岸面)を作った古豊平川をあとづけた川かもしれないという理解、というか想像に至ります(2019.3.23同10.4ブログ参照)。明治7年札幌郡各村地図などを見て、想いをさらに深めました。

 色別標高図で札幌扇状地平岸面を俯瞰します。
色別標高図 札幌扇状地平岸面 10m未満から3mごと46m以上まで14色段彩
 標高10m未満から3mごと46m以上まで14色段彩で作りました。

 同じエリアを1948(昭和23)年空中写真で観ます。
空中写真1948年米軍 札幌扇状地平岸面 小泉川?
 小泉川とおぼしき流路と、下流部で現在の豊平川に近いあたりの自然河川とみられるそれを水色でなぞりました。下流部というのは現在の国道12号、白石区菊水、菊水上町のあたりです。上流と下流の水色の間が、私には読影できません。いわばミッシングリンクです。
 これに、明治時代の古地図を照らします。なお地形図は前掲各地図に描かれている以上の情報が(私には)読み取れないので、割愛しました。

5月17日ブログにも載せた明治7年札幌郡各村地図です。
明治7年札幌郡各村地図 豊平村
 
 その1年前の明治6年札幌郡西部図
明治6年札幌郡西部図 小泉川?
 これまでも旧河道などを逍遥するのにお世話になってきました。
 
 明治初期の白石村あたりを描いた略地図(大村耕太郎資料5月18日ブログ参照)
大村耕太郎資料 白石村略地図 再々掲
 1時半の向きがおおむね北と察せられます。

 1948年空中写真を重ねた色別標高図に、河道のミッシングリンクを想像してなぞりました。
色別標高図×1948年空中写真 小泉川?
 白ヌキの破線です。

 小泉川というのはあくまでも上流での呼称ですが、これが扇状地平岸面を作った古豊平川をあとづけたと仮定し、標高図による現在の等高線も考慮しながら下流部の自然河川に結び付けました。これは、そう考えると扇状地平岸面の成り立ちを説明しやすいという、いわば仮説です。なお、本件は扇状地札幌面を網流した古豊平川よりもさらに時代が古いので、古々豊平川というべきかもしれません。
 下流部にはかつて湧泉があったと伝えられます。トイシカラメム(ツイシカリメム)です(2019.3.2同3.6同3.7ブログ参照)。小泉川が扇状地平岸面を伏流し、国道12号あたりの扇端で湧き出た。と考えると自然に想えます。ただし、小泉川が下流で実際に消えたのは用水開削による水量減や農地化によるのでしょう。

 下流部には今も、川が流れています。
河川網図 小沼川 白石川 小泉川の記憶?
 小沼川、白石川(北)、白石川(南)です(札幌市河川網図に朱傍線)。といっても、白石川(南)以外は暗渠ですが。

 2015.9.8ブログに載せた1928(昭和3)年地形図を再掲します。
昭和3年地形図 白石川周辺 抜粋
 白石川とその下流で合流する小沼川の原形を水色でなぞりました。地形図には「小川」と書かれています。

 先日、小泉川と小沼川に名前の類縁性を指摘されたコメントをいただきました。泉と沼。コトニ(凹んだところ)が扇状地札幌面の扇端に近い地名であったように、小泉、小沼も、扇状地を彷彿させます。もっとも小泉川は扇央部を流れていました。

 トイシカラメムについては私の前述は通説ではないようですので、もう少し逍遥したいと思います。

2020/05/25

連合用水の実物

 「四箇村連合用水路」のことはこれまでたびたび記してきました(2016.3.8ブログほか)。最近も白石区・豊平区境界特異点に絡めて言及しましたが、私はこの用水路の実物をまだ見たことはありません。見ているのは、いわば痕跡です。暗渠の表面の道路とか、それとおぼしきマンホール蓋、怪しげな地割や隙間など。

 このたび初めて、実物を視認しました。
1号用水(豊平)暗渠 望月寒川合流地点
 水面を湛えているのがそれではありません。水が流れているのは、看板が示すとおり望月寒川です。用水路の実物は黄色の矢印の先にあります。

 暗渠の吐口です。
1号用水(豊平)暗渠 望月寒川合流地点-2
 暗渠なので、明治時代に開削された当時のものではありません。しかし、この暗渠は今も「1号用水(豊平)」という名前を戴いています。札幌市の河川網図(昨日ブログ末尾に画像掲載)に照らして、その吐口とみて間違いないでしょう。よって、私は用水の実物を視認した、ことにしたい。

 結構迫力のある吐口です。
1号用水(豊平)暗渠 望月寒川合流地点 拡大
 その割には、水はほとんど流れていません。いや、草が垂れ下がって、コンクリート護岸がわずかに湿っているので、少しは流れているのでしょう。下水管の場合はこんにち、浄水処理されてから川に放流されますが、本件はあくまでも河川という位置づけです。

 どこにも1号用水とは示されていませんが、河川管理者が河川網図にその名をとどめていることに感謝します。開拓時代の札幌を支えた、つまりは人々のいのちをつないだ土木遺産です。

2020/05/24

白石区と豊平区の区境をめぐる地理的特異点 ⑩

 このテーマの、今度こそ本当に最後です。豊平区美園の特異点をぐるり廻って締めくくります。

 下掲図の番号の順に現地を歩きました。
美園 地理的特異点 色別標高図
 色別標高図は標高24m未満から1mごと29m以上まで7色段彩で作製し、加筆した凡例は5月22日ブログに載せた図と同じです。 

① 東北通と横丁通の交差点
美園 地理的特異点①
 東北通を白ベタで、横丁通を水色でなぞりました。正面に写る街区が美園の面的特異点です。
 
② 横丁通から旧東北通へ
美園 地理的特異点②
 手前の左右に通じるのが横丁通、正面手前から奥へ通じるのが東北通です。赤ベタで豊平区と白石区の区界をなぞりました。右方のLの鋭角内が豊平区美園です。奥に向かって、心もち上り勾配になっているように感じられます。
 横丁通に沿って連合用水の第2号が流れていました。手前に写っているマンホール蓋が、その名残かもしれません。古くからお住まいのTさんは「今でも(道の)下を流れてるんでないかな」とおっしゃってましたが(5月22日ブログ参照)、現在札幌市の管理河川にはなっていません。ただし、横丁通の市道名は「2号用水線」といいます。道路名に用水路が記憶されていました。なお、都市計画道路名は「米里・行啓通」で、横丁通はあくまでも通称です。

③ 旧東北通を南東へ
美園 地理的特異点③
 旧東北通は正面で突き当たります。赤ベタでなぞった区界線は右へ折れ、の鋭角内が豊平区美園です。

④ 旧東北通の突き当り
美園 地理的特異点④
 旧東北通は、アパートなどに突き当たって途切れています。黄色の矢印を付けた先に立っている看板は、「東札幌1条町内会」です。ここは美園の特異点の外側(白石区側)ですが、別の特異点が派生していますので後述します。

⑤ 現在の東北通から特異点を北望
美園 地理的特異点⑤
 白ベタでなぞった左右に通じる道が現在の東北通です。赤い矢印と黄色の矢印を付けた先に街区表示板が貼られています。

 左方の赤矢印は「豊平区美園1条2丁目」。
美園 地理的特異点⑤ 街区表示板 美園1条2丁目

 右方の黄色矢印のほうは「白石区東札幌1条4丁目」です。
美園 地理的特異点⑤ 街区表示板 東札幌1条4丁目
 前者はこの間ずっとテーマにしてきた特異点ですが、後者ももう一つの特異点だなとの思いを深めました。

 冒頭の現在図×色別標高図でこの部分を拡大して観ます。
現在図×標高図 白石区東札幌側 もう一つの特異点
 ④の地点で旧東北通が途切れていることは前述しました。白ヌキ実線の現東北通まで、街区(いわゆる民地)が連坦しています。その結果というべきか、赤い実線でなぞった区界線も道路に沿い、現在の東北通に移っているのです。もしここに旧東北通が残っていたら、区界線は赤い破線でなぞったように分かたれたことでしょう。実際、かつての村(町)界線はそのように分かたれていました(5月7日5月15日各ブログ参照)。

 旧東北通が途切れたことで、ここでは白ヌキの現在の東北通をもって区界が分かたれました。東北通による区界を“本来の”姿とみれば、特異ではありません。しかし、区界線はここでも、いわばフラクタル(全体と部分が相似関係をなす現象)的に小さくカクンと折れてしましました。その意味でもう一つの特異点、いわば線的特異点のフラクタル的派生と観たのです。なんだか、あえてヤヤコシク表現してすみません。
 このフラクタル的折れ線区界によって、美園の面的特異点が際立ちました。区界が破線で分かたれていれば、美園の特異点は_| ̄ ̄ ̄というカタチですみます。しかし、現在の美園は_| ̄|_と飛び出て、突出感が強調されることになりました。反転的に、白石区東札幌側も字形に飛び出ています。

⑥ 東北通と1号用水の交差点
美園 地理的特異点⑥ 東北通×1号用水暗渠
 手前から奥へ白ベタで折れているのが東北通、左右に青ベタでなぞったのが1号用水路です。1号用水は5月22日ブログでお伝えしたとおり、Tさんが「豊園小学校の前の道」に沿って川が流れていたと回想してくださいました。

 空中写真で往時を俯瞰します。
空中写真1948年 美園特異点②⑥ 旧東北通
空中写真1961年 美園特異点②④⑥ 旧東北通
 上掲が1948(昭和23)年、下掲が1961(昭和36)年、エリアは冒頭に載せた現在図×色別標高図と同じです。
 ②と⑥の地点で、南西から北東へ通じるそれぞれの道に沿って、用水路とおぼしき影が写っています。1948年空中写真では②から⑥へ、旧東北通がくっきり写っていますが、1961年になると細くなりました。前述した④のところでの途切れが生じて、道が現在と同じく鉤の手に折れています。

⑦ 旧東北通の跡
美園 地理的特異点⑦ 東札幌1条4丁目
 駐車場や家屋で塞がれています。上掲1961年空中写真を見ると、人家が少しずつ建てられていったようです。奥に向かって段差が生じて、低くなっています。冒頭色別標高図で見るとおり、下り勾配です。高低差から、かつては水田だったことに想いを馳せました。

⑧ 1号用水暗渠 
東札幌2条4丁目 1号用水暗渠
 ここも道路名に用水の記憶を留めているかと調べましたが、市道名は「東札幌5条線」です。都市計画道路にはなっていません。

 実は、ここは現役の河川です。
札幌市河川網図 1号用水(豊平) 
 前掲⑧の地点を、札幌市の河川網図に赤いで示しました。「1号用水(豊平)」という名前で、普通河川として載っています。ただし暗渠です。

 全景⑧地点の画像で、手前に写る車道上のマンホール蓋が1号用水の暗渠かもしれません。「河川」という文字は刻まれていませんが、「下水」や「汚水」の表示もありません。時計台やサケの絵があしらわれているご当地柄です。ちなみに歩道上の蓋は札幌市の徽章で、ご当地柄ではありません。クルマの往来が激しい車道上が派手?なご当地柄で、人の目につきやすい歩道上が地味な柄というのも、少し不思議に思いました。
 冒頭色別標高図で明らかなように、1号用水はこのあたりで尾根筋の、あたかも一番高いところを流れているように見えます。一段高いところから、水を田んぼに流したのではないでしょうか。前述⑦の地点で高低差に水田の記憶を嗅ぎ取ったのは、かくなる所以です。この暗渠が通じている通りは地形に合わせたせいか、並行するほかの道路と平行してはいません。都市計画道路になってないのはそれが影響したのせいかもしれません。用水由来の道ならでは、でしょうか。 
 1号用水は暗渠河川の現役ながら(それゆえか?)市道名には付いていない一方、前述②の2号用水は暗渠河川ではないが市道名に名を遺しています。粋な計らいといえなくもない。

 以上、思いのほか楽しめた白石区と豊平区の区界逍遥でした。

2020/05/23

石の蔵のしるし

 4か月ほど前、なのでもう古い話ですが、「札幌建築クラブ」という会合で「講演」をする機会をいただきました。いわゆるゼネコンや設計・コンサルの会社、道や国の建築部門などに属する人たちの勉強会です。「専門家を前に、素人の私が恐れ多いことで」と躊躇ったのですが、「新年交礼会の前段ですので、肩の凝らない話をしていただければ結構ですから」と請われました。まあ前座の余興と心得て、小一時間ほど演者を務めたしだいです。「札幌時空逍遥~街を歩き、街を楽しみ、街を知る」というテーマで、つまりは拙ブログで遊んでいる世界をかいつまんで披露しました。1月の末、この種の会合がまだ封印されていなかったときです。 
 勉強会と聞いていたので、若手や中堅どころがメンバーなのかと思いきや、驚きました。札幌のⅠ組土建の社長をはじめ地元のゼネコンの役員、大手の札幌支店長や各社の幹部といったお歴々です。札幌(のみならず道内、全国)のまちづくりを牽引する要職にある方々といってもいいでしょう。そういう面々を前に拙ブログで綴っている話をすることになろうとは、世の中も変わったものです。
 後段の交礼会で、皆さんとても楽しそうに聴いてくださった感触が伝わってきました。超高層のビルを建てるといった再開発事業など、参加者がふだん関わっている世界は、拙ブログの価値観(というものがあるか?)とはベクトルがともすれば相反するかもしれません。という先入観を私は抱いてもいたのですが、根底では相通じる思いがあるなあと感じました。
 例えば、JR苗穂駅周辺の話題です(2020.1.242014.12.28ブログほか参照)。新駅周辺のプロジェクトにも参画しているⅠ建設の部長さんが、「うちの会社の近くで、社員も通勤に使っているのですが、そんな話があったとは知りませんでした」と興味深そうに聴いてくれました。手前味噌ながら、「みんな、実は好きなんだよなあ」と確信したものです。これを機に、時空逍遥思想を土木建設業界にも蔓延させることとしましょう。

 本日(5月23日)北海道新聞朝刊(札幌圏)に「札幌軟石の部材 再利用」という記事が載りました。
 ↓
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/423471?rct=l_sapporo
 北区北8条西1丁目、札幌駅北口にある石蔵のことです(3月31日ブログ参照)。この街区では再開発事業で、超高層ビルの建設が計画されてきました。例によってというべきか、こぼれ話を記します。
 リード文によると「施工業者は当初、蔵を解体して撤去する計画だったが、専門家や市民からの保存・活用を求める声を受け、今春、札幌軟石の部材を再利用できるように取り出し、再開発事業のビルの内装や外構に生かすことを決めた」そうです。本文には「当初の方針を転換」したともあります。
 「保存・活用を求める声」の一つは、札幌市の「都市景観審議会」の「景観アドバイス部会」(本年1月23日開催)でしょう。
 ↓
http://www.city.sapporo.jp/keikaku/keikan/singikai/keikan_advice/documents/r01_no5_kouhyoushiryou.pdf
 前後して、本件再開発事業に携わる当事者も方策に腐心されていたようです。記事にも登場する「軟石や」のOさんやNPO法人れきけんがアシストしたと聞きます。
 3月5日の道新「読者の声」に、「『歴史の証』 残す道探って」という投稿が載りました。札幌に「転勤をきっかけに住み始めた」という会社員の方です。「石の蔵」へ寄せる思いがしたためられていました。

 本件石蔵の建つ地域で再開発事業が構想されたのはかなり前からで、準備組合が設立されたのは2009(平成21)年です(注①)。2012(平成24)年には、再開発事業にともなう「環境影響評価方法書」への意見を札幌市が募りました。平たく言えば、環境に影響のある大規模な事業に際しての市民参加の手続きです。
 せっかくの機会なので、このとき私は次のような意見を出しました(太字)。
 対象事業の区域内に「石の蔵ぎゃらりぃはやし」と「居酒屋燔(ばん)」という古い建物があります。アセスメントでこれらの建物に係る環境保全上、なかんづく景観上の意義を十分評価されるよう要望します。

 これに対する札幌市の見解は以下のとおりでした(太字)。
 事業者は、「石のぎゃらりぃはやし」および「居酒屋燔」の保存、活用は難しいと考えていますが、例えば施設建築物の共用スペースの一部に札幌軟石を使用するなど、地域の歴史と文化を伝える景観資源の継承について検討していく考えでおります。
 札幌市としても事業者の意見を尊重しつつ、その継承方法について、事業者とともに検討を進めたいと考えております。
  

 この結果が反映されたのか、2014(平成26)年の札幌市の環境影響評価審議会の答申書や札幌市長の意見に以下の文言が盛り込まれました(太字、末注②)。
 「石の蔵ギャラリー」について
 当該事業予定地に存在する「石の蔵ギャラリー」については、景観法に基づく景観重要建築物には指定されていないが、札幌軟石を使用するなど、当時の札幌の地域の歴史を残すものであり、上記2の景観形成方針には「文化のかおりたかく」との記述もある。
 したがって事業予定地に建設する建築物において何らかの活用方法を検討すること。


 私の要望は「建物を保存してください」ではありません。アセスメントで「評価してください」です。「高く」評価してくれ、でもありません。評価の対象にしてほしい、という趣旨です。民間施行の事業に対して、直接的な利害関係を持たない一市民がモノ申すとしたらこの程度かと私は思っていました。
 その意見を出してから、すでに8年。ここ最近の動向は、私は正直言って傍観していただけでした。いや、傍観すらしていたかどうか、心もとない。建物解体のぎりぎりの局面でも水面下にあって、さまざまな模索、尽力があったことを知りました。今後、実際に札幌軟石がどのように生かされていくか、判りません。もし建物に軟石が使われていたら、その一つにもさまざまな人の思いが詰まっているのだなあと鑑みたいと思います。

  以下、蛇足を二三。
  前述の本日道新記事で、私が「戦前からの母屋が残るのは市内で唯一」というのは、「質屋さんの建物で、戦前築の主屋と蔵が一緒に遺る(っていた)のは」という意味です。質屋さん建築以外でしたら、秋野総本店薬局とか、ほかにもあります。
 「築50年を超す札幌軟石の建物は市内に約300棟あるが、大正以前の建物は35棟という」。これは、「わかっている限りでは」です。

 元「石の蔵ぎゃらりぃ」の蔵の正面妻壁です。
旧金田質店 蔵の正面妻壁
 5月21日ブログで私は、印のところが鉄板で蓋されていることを記しました。背面のほうは「○タ」と刻まれているのを先日初めて知り、正面は二代目の持ち主が隠したのかなと想像したのです。
 鉄板の蓋の部分の画像を拡大すると、何となく文字が浮き出ているようにも見えます。○であるのは間違いないと思いますが、こちらもやはり「○タ」なのだろうか。それとも別の字かしら。

 注①:北海道新聞2014年2月20日記事「札幌・北区『北8西1』 再開発事業 遅れも」
 注②:札幌市サイト「北8西1地区第一種市街地再開発事業」ページ参照
 ↓ 
 http://www.city.sapporo.jp/kankyo/assessment/itiran/jourei05/index.html
 文中「上記2の景観形成方針」とは、「札幌市景観計画」の「札幌駅北口地区景観計画重点区域」におけるそれを指す。札幌市サイト「札幌市景観計画」ページ参照
 ↓
http://www.city.sapporo.jp/keikaku/keikan/keikankeikaku/keikaku.html#naiyou

2020/05/22

白石区と豊平区の区境をめぐる地理的特異点 ⑨

 5月19日ブログを私は「実際に古くからお住まいの方の心境を伺いたいものです」と締めくくりました。昨日ブログの札幌軟石建物の解体地めぐりの帰途、豊平区・白石区境の地理的特異点に足を延ばしたところ、幸運にもその機会に恵まれました。特異点に古くからお住まいの方への聞取りをお伝えします。

 まずは、おさらいからです。本件地理的特異点を色別標高図で俯瞰します。
色別標高図 豊平区・白石区境特異点 用水路、小泉川加筆
 元図は標高20m未満から1mごと32m以上まで14色段彩で作りました。
 
 赤い実線でなぞったのが豊平区と白石区の区界です。真ん中のアミ掛けしたところでクランク状に折れています。このクランクは、いわば線的な特異点です。区界は、アミ掛けしたところ以外では白ヌキ実線の東北通と重なっています。つまり東北通を境にして、北東側が白石区、南西側が豊平区です。しかし、アミ掛けしたところだけは、東北通の北東側ながら豊平区に属しています。区界線がアミ掛けのさらに北東側に通じているからです。アミ掛けの南西側を東北通が後になって短絡したため、結果として豊平区が例外的に東北通の北東側に生じました。これは、面的な特異点といえます(線的な…点とか、面的な…点というのも変ですが)。
 この特異点をはさむようにして、かつて農業用水が二本、通じていました。濃い青と水色の実線でなぞったのがその流路跡で、明治時代に掘られた連合用水の第1号と第2号です。さらに、この付近には自然河川も流れていました。たぶん小泉川(5月17日ブログ参照)とその支川です。その河道跡を推測して水色の破線でなぞりました。これは、次なるテーマへの伏流水ならぬ伏線です。
 
 さて、アミ掛けした面的特異点の中に、私は初めて足を踏み入れました。
 アミ掛けの区域は、町名でいうと東北通をまたいで豊平区美園1条1丁目、1条2丁目です。たまたま家の外に男性が出ておられました。戸建のお宅です。これはもしやと、思い切って「つかぬことですが」とお尋ねしました。お会いしたTさんは1950(昭和25)年にこの場所で生まれ、育ったそうです。そのTさんとのやりとりを以下、記します。
 私:(地図を見せながら)東北通のこちら側(北東側)は、ほかでは全部白石区東札幌ですが、この場所だけ豊平区の美園ですよね。
 Tさん:ここはそうだね。
 私:それが不思議だったんですが、何か事情があったんでしょうか?
 Tさん:うーん。たしかに、ここだけ違うんだけども…。
 私:ここだけ東北通を豊平区がまたいでいるということで、何かご不便とかはなかったですか?
 Tさん:いやあ、特にないねえ。
 私:ほかが(白石区の)東札幌だから、ここも白石区に入れてほしいといったご要望もなかったですか?
 T:自分が知る限りでは、なかったねえ。

 私:古い空中写真を見ると、昭和30年代くらいまでは田んぼが広がっていたみたいですが。
 Tさん:(東の方を指して)ずっと田んぼだったね。
 私:川は流れてませんでしたか?
 Tさん:(横丁通を指して)そこに流れてたよ。今でも(道の)下を流れてるんでないかな。あと、むこうの豊園小学校の前の道も。子どもの頃、よく魚を捕ったな。
 私:水が溢れたというようなことはなかったですか?
 Tさん:(北側を指して)生まれて70年の間に冠水したのは1回か2回ぐらいかな。大雨でね。

 5月19日ブログに載せた1948(昭和23)年空中写真で、特異点をあらためて眺めます。
空中写真 1948年 白石村・豊平町・札幌市境界 市町村名加筆
 特異点は豊平町の白石村との境界、のてっぺんのあたりです。
 この写真を観ると、特異点の一帯に人家らしきはごくわずかしか写ってません。前述のTさんが生まれた1950(昭和25)年はこの写真の2年後ですので、Tさんはたぶん、この土地を古くから知る数少ない一人と察します。住民感情の総意をTさんお一人の“証言”だけで判断はできませんが、その一端を窺い知ることができました。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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