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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/03/10

白石本通周辺の食品工場 ②

 3月4日ブログの末尾を私は次のように締めくくりました(太字)。
 横山製粉工場のあたりにはかつて、水脈が通じていました。「だから、何なのだ?」ということまで、まだ至りません。
 その「だから、何なのだ?」に移ります。
 同社が1964(昭和39)年、この場所に立地したのは“水の利”を求めてのことではないか。あるいは実際の操業において、水に恵まれているのではないか。この場所というのは白石区本通5丁目、平和通5丁目あたりを指します。

 結論的にいうと、未確認です。そもそも製粉業において水がどのように使われるか、不勉強で把握してません(末注①)。3月2日のUHBみんテレ「となりのレトロ」白石編のとき、そこまで私は踏み込めませんでした。今後の宿題とさせてください。
 
 という前提で、周辺部分を巡ることとします。
 3月4日ブログに記したとおり、横山さんがこの地に工場を設けたのは、もともと創業者の水田や畑があったからです。では創業者はなぜ、この地に土地を持っていたか。
 1897(明治30)年、創業者の祖父が福井県からこの地に移り住みました。もともとは明治の初めに仙台藩白石領からの移民が入植した土地です。「白石藩から渡道した人々のなかには土地を売って他に転住した者も多く、祖父が入植したのは、それらの人々が手放した開墾途上の土地でした。そのため、祖父をはじめ父母たちは開拓農家特有の、寸暇を惜しむ重労働の毎日を強いられ、非常な困難と闘いながら、畑2町5反、水田1町歩を造りあげました」(末注②)。
 明治初めの仙台藩白石領からの入植は「土地区割は地形と無関係に雪の上に画一的に区分され、土地割りあてはくじ引きで行なったため、湿地や浸食谷の場所を得た入植者は開拓に苦心し、結局離村する結果となった」(末注③)。「湿地や浸食谷」というのは、おもに望月寒川に近い一帯を指します。「明治5年春、融雪水にともなう浸水で居住が不可能となり」「移転することとなった」(末注④)。士族移民の離村と併せて、明治20~30年代にかけて北陸などから農民の入植が進み、開拓が本格化します。
 
 3月4日ブログに載せた北海道地下資源調査所の地質図1956年です。
北海道地下資源調査所 地質図幅 白石本通周辺
 横山製粉の工場(赤いの大)は、「支笏火山噴出物 月寒火山灰層」の火山灰粘土が「現河川堆積物」に接する縁に位置しています。
 横山家の入植の具体的な経緯は判りませんが、士族離村と農民の入植という時系列と符合し、場所も「浸食谷」を窺わせる土地です。

 工場の南隣にお屋敷があります(画像は2011年撮影)。
白石区平和通 横山製粉工場のお隣
 このお庭の池が気になっていました。

 注①:横山製粉株式会社創立50周年記念誌『一歩いっぽ』1996年「小麦粉ができるまで」によると、原料の小麦を「挽砕」するまでの途中の「調質」「精選」の工程で、微量の水を加えるという(p.259)。
 注②:同上書p.1、p.4。文中「白石藩」は、仙台藩(伊達家)の支藩白石領(片倉家)のこと。「祖父」「父母」とは、創業者横山保からみてのこと。
 注③:札幌地理サークル編『北緯43度 札幌というまち…』1980年、p.120
 注④:同上書p.121 
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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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