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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/03/31

石の蔵ぎゃらりぃ はやし

 本日3月31日で営業を終えました。
石の蔵ぎゃらりぃ はやし 202.3.31
 この建物がある一画、北区北8条西1丁目はかねて再開発事業が計画されており、お聴きしたところ5月頃から解体工事が始まるそうです。

 建物は元質屋さんでした。腰折れ屋根の木造主屋は昭和初期、石造りの蔵は大正期の築と伝わります。質舗建築でこれだけの歳月を経た主屋と蔵が一緒に遺るのは、札幌では稀有です。たいがいは主屋のほうが新しくなっています。私が知る限り、本件より古い建物は知りません。本件も、一帯の火事で昭和初期に母屋が焼失して建て替えられたのですが、札幌軟石を用いた質蔵は焼け残ったと聞きます。

 1984(昭和59)年から建築家のKさんが事務所として再利用し、その後2002(平成14)年から林さんが主屋を喫茶店、石蔵をぎゃらりぃとして再生して使ってこられました。Kさんは札幌軟石などの歴史を生かした設計に携わってきた方です(2015.7.21ブログ参照)。建物はKさん、林さんと人に恵まれて第二、第三の生をはぐくみました。

 札幌建築鑑賞会で2000(平成12)年と2003(平成15)年に刊行した『さっぽろ再生建物案内』で紹介した本件建物です。
さっぽろ再生建物案内 初版2000年 北海道建築工房
ささっぽろ再生建物案内 第2版2003年 石の蔵ぎゃらりぃ はやし
 (上掲が初版2000年、下掲が第2版2003年 末注)

 林さんには、18年にわたりお店を続けてこられて、ありがとうございました。

 注:前掲書には石蔵の建築年を1930(昭和5)年と記したが、その後の聞取りなどにより伝大正期築とする。2008(平成10)年、札幌建築鑑賞会による札幌軟石物件調査「札幌軟石発掘大作戦」北区編で同会スタッフSさんにより、本件の大正期築を符合する史料も明らかになった。札幌市の「耐火構造分布図」都市計画北海道地方委員会1924(大正13)年調製で、本件石蔵所在地に耐火建物として彩色されている。
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2020/03/28

新型コロナウイルスの都道府県別「感染者率」をカルトグラムで表す

 新型コロナウイルスの国内における感染状況について、都道府県別の感染者率(対人口比)をカルトグラム(変形地図)で表現してみました。
カルトグラム 新型コロナウイルス感染者率(対人口比) 都道府県別 百万分比
 各都道府県の人口に対する感染者数の百万分比(ppm)です。人口、感染者数の数値は昨日ブログと同じデータに基づきます(感染者数はNHK特設サイト「新型コロナウイルス」掲載3月27日19時35分現在の記事、都道府県の人口は総務省ウエブサイト「人口推計(2018年10月1日)」ページ https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2018np/pdf/tables.pdf )。
 図上、一つのが1ppmに相当します。たとえば宮城県、福島県の1は、それぞれの実数値0.86、1.07(ppm)を小数点以下1位で四捨五入したものです。北海道は31.97ppmで、が32個になります。人口528万6千人に対し、感染者累計169人で、人口100万人当たり約32人ということです。

 このカルトグラムを試みた理由は、以下の3点によります。
  都道府県ごとの感染者数は、その絶対数の多寡だけでそれぞれの地域における影響を判断することはできない。感染者数が同じ100人でも、人口1千万人のうちの100人と、人口百万人のうちの100人とでは意味合いが異なる。母数となるそれぞれの人口に対する感染者数の割合―ひとまず「感染者率(対人口比)」と称する末注①―を知ることにより、各地域の感染状況をより公平に判断しうる(末注②)。
  都道府県ごとの数値を視覚的に理解するためには、日本地図上で表現することは地域的な関係性を探るうえで効果的である。しかしその際、正積図では受け止め方にバイアス(偏り)が生じる恐れがある。同じ数値でも、面積の大きい都道府県と小さい都道府県では、数値に対する印象が左右される(末注③)。
  各都道府県の数値をそれぞれの面積に反映させたカルトグラムにより、Ⅱの欠点の是正が期待される。

 などと、しこしこ作っている間にもどんどん数字が動いています。おそらく太平洋ベルトの都府県がもっと膨らんでいくことでしょう。

 注①:昨日ブログで私は同じ統計処理に「感染者密度」という表現を用いた。「密度」はたとえば「人口密度」の場合、面積に対する比率なので、区別して「感染者率」としておく。
 注②:私がこのことを考えるきっかけは、2月28日の北海道知事による「緊急事態宣言」である(3月3日ブログ参照)。その後、次のようなサイトにも当たった。
 ↓
札幌医科大学サイト「人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移(国別)」
https://web.sapmed.ac.jp/jp/news/press/jmjbbn000000p5j4.html
 「良く(ママ)報道されているような国別の感染者数は人口の大小に影響されるため、単純に比較することができません。人口100万人あたりの統計でみることで,初めて正確な比較をすることが可能となります」。
 
 注③:たとえば、下掲画像はNHK特設サイト「新型コロナウイルス」に掲載された「都道府県別の感染者数」(3月28日閲覧のページ。「3月27日午前10時半までの情報を表示」と付記)である。
NHKサイト 都道府県別新型コロナウイルス感染者 図表
 感染者数によって各都道府県が色分けされていて、北海道、東京都、愛知県、大阪府、兵庫県はいずれも「100人~」の同じ色である。実際の人数は右の棒グラフに示されているとおり、もっとも多いのは東京都の259人で、次いで北海道が168人である。左の日本地図を見たとき、どのような印象を受けるであろうか。このサイトを観る前に自分でもまったく同じ図を作成して(昨日ブログ参照)実感したことである。

2020/03/27

新型コロナウイルスの感染と地域性

 3月12日ブログで、新型コロナウイルスの感染力について「地域による湿度の高低との相関関係はありやなしや?」と自問しました。コメントをお寄せいただき、遅ればせながらまことにありがとうございます。
 
 >乾燥していると生活空間(地面から1m~2m)のウイルスの絶対量が増えますのでウイルスに接触する機会も増えてしまいます。これは風邪の原因ウイルス(アデノやライノ、コロナ)の特徴でもあります。
 
 このたびの新型に限ったことではないのだなあと、素人ながらも思いました。さりとて普通の風邪やインフルエンザのように季節が変われば(たとえば梅雨どきになれば)収まるだろう、と軽々しく予断できないところが厄介です(末注)。

 都道府県別の感染者数を、日本地図に色分けしてみました。 
新型コロナウイルス 国内感染者数 2020.3.27現在
 感染者数はNHKのサイトから3月27日19時35分発表データに基づきます(元図は国土地理院サイトから白地図に着色)。国内の感染者数は1,463人(クルーズ船を除く)で、上掲図はさらに中国からのチャーター機帰国14人、空港の検疫で確認された人など33人を除く1,416人が母数です。

 なおNHKでも特設サイトで同様に色分けして載せています。
 ↓
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data/ (3月27日閲覧時、同日10時30分までの情報が掲載) 

 こうして見ると、三大都市圏と北海道が多いなという印象を受けます。3月3日ブログで私は、「広域性や面積を同等にして較べると、感染者数は明らかに内地のほうが多い」と記しました。前掲図を見ると、北海道は一面マッカッカです。いかにも感染者が多いように見える。しかし、北海道とほぼ同等の面積を三大都市圏に当てはめると、3月3日から較べても感染者数は三大都市圏のほうがはるかに上回っています。
 結局、私の前掲図やNHKサイトに載る正積の日本地図でこの種の統計を表現すると、印象操作というか、バイアスがかかるのではないでしょうか。たぶんカルトグラム(変形地図)を用いるのが妥当だと思います。私にはまだその余力がありませんので、できればNHKさんにはお願いしたいところです。
 
 もう一つ、「相変わらず」というと語弊がありますが、今もって日本海側の感染者が少ないとも窺えます。感染者0の5県のうち4県が日本海側です(山形、富山、鳥取、島根)。鳥取や島根などはそもそも人口が少ない県でもあるので、人口比で地図に色分けしてみました。
 同じく国土地理院サイトの白地図に加工したものです。
新型コロナウイルス 国内感染者密度(人口比)2020.3.27現在
 感染者数は前掲図と同じくNHK3月27日19時35分発表、都道府県の人口は総務省ウエブサイト「人口推計(2018年10月1日)」ページhttps://www.stat.go.jp/data/jinsui/2018np/pdf/tables.pdfによりました。単位は百万分比(ppm)です。

 相変わらず北海道は感染者密度が高いのですが、人口の多い(人口密度も高い)三大都市圏も高くなっています。日本海側でも、新潟や石川、福井のように高めのところもあることがわかりました。おおまかには、太平洋ベルトの密度が高いとはいえそうです。ヒト、モノ、カネの動きがもっとも活発であろう一帯。
 それにしても、正積図だとやはり、国土の1/5強を占める北海道は感染者密度も実態以上に大変高く映ってしまいます。そこで、もう少し細かく見てみました。

 感染者数を14の振興局・総合振興局(かつての支庁)管内ごとに色分けしました。
新型コロナウイルス感染者数 北海道支庁別色分け2020.3.26
 感染者数は北海道新聞3月27日朝刊記事掲載(3月26日15時現在)の168人の内訳に基づき、元図は地理院サイトの白地図です。市町村ごとに境界線が引かれていますが、色はあくまでも振興局管内ごとに塗り分けました。ただし、感染者数が多い札幌(74人)、北見(13人)、旭川(10人)の3市は、市単体で色分けしています。たとえば石狩管内は85人でうち74人が札幌市なので、札幌以外の石狩管内市町村のエリアは85-74=11人とみなして色分けしました。

 当然のことながら、北海道全域が一様に真っ赤なのではなく、やはり分布に差異がみられます。しかし、これでもトリッキーです。たとえば胆振管内は感染者6人ですが、その6人は全員苫小牧市です。つまり同市周囲の他市町村(室蘭や伊達、白老など)は感染者がいません。本来なら苫小牧のみ色が塗られて、周辺の胆振市町村は白地とするのが実態に近い。同様に日高(2人)や十勝(1人)なども市町村ごとに色分けしたら、かなりの部分が真っ白になるはずです。

 注:しかるに北海道新聞3月24日特集版「新型コロナとは」で、ウイルス生態学者根路銘国昭氏は「中国の情報を見ると、3月には流行が終息期に入ったとみられます。日本も終焉期に入りつつあると私は判断しています。3月中旬をピークに、4月には新型コロナは消えていると予言しておきましょう」と語る。大胆。

2020/03/26

屋上屋を重ねた石蔵

 すすきのにある「魚のあんよ」という店が閉じました。
すすきの 魚のあんよ 閉店
 建物の突出し看板には「海鮮問屋」とありますが、海鮮料理の店です。

 閉店を伝える貼り紙には「建物解体のため」と書かれています。
魚のあんよ 閉店の貼り紙
 営業は2月末で終わりました。前掲画像のとおり、すでに足場が組まれています。

 この店は、外から一見したところはわからないのですが、中に石蔵がビルトインされていることで知られていました。
魚のあんよ 元夢蘭 蔵座敷 2階入り口
 立派な、いわゆる座敷蔵または蔵座敷です。札幌には珍しいと思います。もともと「夢蘭」(むうらん)という名前の料亭でした。「魚のあんよ」に変わったのは2012(平成24)年です。

 「夢蘭」閉店直前の様子を、ホッケン研のYさんが「札幌ノスタルジック散歩」に留めています。
 ↓
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=-mq6nbbFYFEJ&p=%E2%80%9D%E5%A4%A2%E8%98%AD%E2%80%9D++%E2%80%9D%E8%BB%9F%E7%9F%B3%E2%80%9D&u=www.sapporowalk.justhpbs.jp%2Fphototop.html
 「魚のあんよ」に変わって大衆化されたようですが、私が夢蘭に行ったのは自分がまだ羽振りの良かった頃です。私に羽振りが良い時代なんてあったか? 古い手帳を見返すと、2005(平成17)年の1月の新年会でした。

 当時のリーフレットです。 
夢蘭 リーフレット オモテ
夢蘭 リーフレット ウチ
 記念にとっておきました。2005年はちょうど、札幌建築鑑賞会で札幌軟石の物件調べ(札幌軟石発掘大作戦)をスタートした年です。新年会は鑑賞会とはまったく関係ない別の集まりで、私が幹事ではなかったのですが、これ幸いと堪能させていただきました。

 ところで、本件石蔵はビルトインされていると前述しましたが、それも札幌では珍しいと思います。屋上屋を重ねた、いわゆる内蔵(うちぐら)です。内蔵は内地に見られるようですが、札幌で私が知る限りでは現存は本件ともう1件、解体は2件です。などと稀少なことを知っているかにふるまいますが、私の知識はたいてい札幌建築鑑賞会の諸先達のご教示に由ります。
 内蔵といっても、“種類”があります。いえ、これは私が勝手に分類しただけです。
 ①本来的内蔵:もともと内蔵として座敷などを主屋の中に建てたもの
 ②結果的内蔵:別棟の文庫蔵などを、あとから主屋を増改築して中に取り込んだもの 
 札幌で私が知る他の例はいずれも、おそらく②だと(だったと)思います(2015.6.212015.2.6ブログ参照)。
 本件はどうでしょうか。私はてっきり①だと思ってきたのですが、建物の由来を聞くにつけ、自信がなくなりました。由来については、機会をあらためて記したいと思います。ああ、こうしてまた一つ、書き残しが増える。

 ところで、石蔵のビルトインについて「外から一見したところはわからないのですが」と前述しました。
元夢蘭 右側面 軟石
 向かって右側面、隣の建物との隙間からわずかに軟石がのぞいています(黄色の矢印の先)。いや、今となっては足場が組まれて近づけなくなったので、「のぞいていました」。

2020/03/24

人生、七ころな八起

 昨日ブログの続きです。
 北大メインストリートの風景を跡づけた後、附属図書館に寄りました。札幌市内の図書館や江別の道立図書館が閉まっている中で、ここも市公文書館と並んで稀少な知のオアシスです。
北大 中央ローンから附属図書館を望む
 土地柄からいうと、“知のメム”。

 ここの「北方資料閲覧室」は、書籍がコンパクトに開架されています。
北大附属図書館 北方資料閲覧室
 右上の時計は止まったままです。閉館間際の午後5時に撮りましたが、5時を指してはいません。12時25分です。まさに、時が止まった空間。いいなあ。
 利用者の濃厚接触のリスクは低そうです。とブログで伝えたら、居場所に飢えた知的難民がどっと押し寄せかねません。などということは拙ブログの影響力からして、ありえないでしょう。 

 私の目当ては昨日ブログに記した北大のメインストリートの風景に関する資料でした。それには当たりませんでしたが、別の僥倖に邂逅しました。
 道新の元文化部長Mさんです。Mさん曰く「いま週に2回は、ここに(北大図書館)に来てます」と。黒澤映画『白痴』のことをお尋ねするにはうってつけの方にお会いできました。コロナ禍が取りもつ縁というものもあるのだなあ。
 おかげでMさんから豊平館と市公会堂の西側面を写した古写真を送っていただきました。豊平館も公会堂も正面の写真はよく見るのですが、隣り合って一緒に写った側面というのは意外と見当たりません。助かりました。

 図書館といえば、札幌市では休館が今月末まで延長されています。妻は飢餓状態です。「せめて貸出しだけでもしてくれたらいいんだけど」とぼやくのですが、なかなか難しいのでしょう。「ネットで予約した本のみ貸し出す」開館という方法もあるかもしれませんが、「ネットに接続できない人はどうする?」という苦情が出そうです。
 一連の事態で世の中には不眠不休で忙殺されたり、商売上がったりの人も多いと思います。そんなときに能天気なブログを開陳すると不謹慎の謗りも免れないかもしれません。時空逍遥は不要不急の極致です。感染拡大に手を貸さない限りで遊ばせてください。
 ちょっと気が早いのですが、今年の新語・流行語大賞はまちがいなくコロナ関係からノミネートされるでしょう。クラスターとかオーバーシュート、濃厚接触? 今年の漢字一文字は「感」か「染」ですか。 創作四文字熟語は…。武漢速熱。いま「ぶかんそくねつ」と打って変換したら、すぐ出ました。私としては「即熱」を想定したのですが。ネットで検索したら、世に出しているサイトがすでにあるのですねえ。地名にかこつけるのはよくないか。蔓延元年。これは週刊誌の見出しで目に入りました。感染厭気で観戦延期。
 

2020/03/23

69年前の札幌を跡づける

 新型コロナウイルスのあおりを食って、今月29日に予定していた札幌建築鑑賞会「札幌百科」第17回を中止することとしました。
 ↓
同会公式ブログ2020.3.21参照

 第17回「巨匠クロサワは札幌で何を観たか」(同会公式ブログ2020.2.26参照)の準備を仕切り直すべく、街に出かけました。といっても、札幌市内近郊の図書館はこれまたコロナ禍対策で休館しています。私が試みているのは、黒澤映画『白痴』でロケされた場所を、現在地に足を運んで“同定”することです。
 1951(昭和26)年に制作されたこの映画のことは、札幌建築鑑賞会ではすでに1994(平成6)年、映写会を催してます。そのとき、越野武先生(現北大名誉教授)におもだった建物などを解明していただきました。しかし、その後新たにわかったものや、いまもってまだ謎のシーンがあります。四半世紀を経て、私たちの眼もまた肥えてきた、というか、より蒐集癖が募ってきたのです。

 本日私が同定を試みたのは、このシーンです(静止画像は鑑賞会スタッフSさんから提供)。
白痴 ポプラ? 森雅之と久我美子
 右方にポプラの高木が数本、並んでいます。左方の大木はニレ(エルム)でしょうか。後姿の二人は森雅之(右)と久我美子(左)です。

 私はこれを、北大のメインストリートの北11条あたりとにらみ、現地を跡づけてきました。
北大 メインストリート 北11条あたり 南望
 この風景は、はたして前掲画像の69年後なりや、いなや?
 
 上掲は、メインストリートを北から南に向かって眺めたものです。しかし、本来であれば通りの右側に聳えていたポプラの樹が、ご覧のとおり今はありません。記憶が定かでないのですが、2004(平成16)年の18号台風で倒れたか、危険が極まって伐採されたかしました(末注)。北大構内にはこの二十年のうちにも幾度か足を運んでいるのに、記憶はおぼつかないものです。

 とまれ、これでは較べるのが難しい。『写真集 北大百年 1876-1976』1976年に、この場所とおぼしき写真が載っています(p.309)。キャプションに「昭和14年」とあるので、くだんの映画の12年前です。ポプラは前掲映画のシーンと同じくらいに高く聳えています。しかし、残念ながら通り全体を見渡していたものではなく、加えて樹形が黒くつぶれているため、これまた同定しづらい。映画のワンシーンとピンポイントで同じアングル、というのはなかなか見当たりません。

 「自分で撮ってなかったかなあ?」と古いアルバムを見直してみました。
北大 メインストリート ポプラ 1982年2月-2
北大 メインストリート ポプラ 1982年2月-1
 1982(昭和57)年に撮ってました。いまはなき風景を紙焼き写真に収めていたことに、自己満足を覚えます。

 しかし、冒頭画像と較べるに当たっては、向きが逆です。メインストリートを南から北を眺めています。かろうじて、通りの全体が写っているのが救いです。撮影したのは2月なので、映画のロケと同じ月の雪景色でもあります。さて、どうか。
 冒頭のシーンと空間的に同じだとすれば、時間的には31年の隔たりです。ちなみに、冒頭画像がもし北大のメインストリートだとすると、左方のエルム?の大木の後景に黒っぽく写るのは、位置的には低温科学研究所の旧屋に当たります。

 注:手元の新聞記事スクラップによると、農場にある有名なポプラ並木の51本のうち27本が2014年台風18号で倒れたか傾いた(2004年10月23日北海道新聞記事「北大ポプラ並木の再生にかける平井卓郎さん」ほか、同年9月9日、14日記事)。メインストリートのポプラのことは確認できず。さかのぼる2001(平成13)年、大学は樹木医の調査により「有名なポプラ並木とはちがうが、樹齢60年近いポプラ並木もあわせて伐採の対象」になり、「危険木」として伐採を決めた(小野有五『たたかう地理学』2013年、p.192、初出は「市民のための市民の科学を」岩波書店『科学』Vol.71、№4、№5、2001年)。ここでいうポプラ並木がメインストリートのそれを指すか、さだかではない。「樹齢60年近い」というと、映画撮影の1951年にはまだ幼木だったことになる。メインストリートにあったポプラの樹齢はもっと老いていたように想う。後述の『北大百年』に「昭和14年」撮影として写るポプラは、その時点でかなり成木となっている。

2020/03/20

河川標識を味わう

 新川に架かる西陵橋です。
西野屯田通 西陵橋
 「新川に架かる」と記しましたが、この橋は正確には新川と琴似川と琴似発寒川に架かっています。

 下掲現在図の赤いを付けたところが西陵橋です。
現在図 琴似川~新川 第一新川橋-西陵橋
 右下(南東)から左上(北西)へ直線的に流れる川において、この橋の上流(南東)が琴似川、下流(北西)が新川になります。さらに、ここへ南から蛇行して合流しているのが琴似発寒川です。冒頭画像は、向かって右側が琴似川、すなわち上流に当たり、左側が新川、すなわち下流に当たります。

 冒頭画像の黄色の矢印を付けた先に立っている標識です。
河川標識 琴似川
 上流側で、「琴似川」と書かれています。

 一方、赤い矢印を付けた下流側は「新川」です。
河川標識 新川
 この川沿いの道路を通過すると、この橋を境に川の名前が変わります。直線的な流路なので、「いきなり」感を抱きます。しかも川沿いの道路は上流も下流も「新川通」という都市計画道路名であり、その名前の標識が付いているので、なおのことです。

 いや、実は本日のブログで綴りたかったのはそのことではありません。
 河川管理者の北海道が設置した上掲の標識のことです。河川名の下に「川の名の由来」が書かれています。ありがたいことですが、その中身に立ち入るのでもありません。それは別にあらためるとしましょう。

 新川の下流で見かけた標識です。
河川標識 新川 第一新川橋
 前掲地図の橙色のを付けた「第一新川橋」のたもとにあります。下流の小樽市との境界に当たります。 

 気になったのは英語表記です。西陵橋ではShinkawa river、第一新川橋ではShin RIV.。しかも西陵橋の「琴似川」のほうは英語表記がありません。コトの本質にかかわらない、かように些末な細部が好きです。
 日本の地名の英語表記の決まりごとでは、○○山はMt.○○、△△川は△△Riverとします。しかし、「山」や「川」が固有名詞的に一体化している場合は例外的にMt.○○yamaとか、△△kawa Riverとするようです。富士山はMt.Fuji、鳥取県の大山(だいせん)はたぶん、Mt.Daisenでしょう。木曽の御嶽山は、Mt.Ontakesan か、Mt.Ontakeか、Mt.On か? では、円山は? 豊平川はToyohira River、創成川はSosei River。
 では新川は? 原則にのっとるか、例外を適用するか。前掲2標識には、心の揺らぎというか、大袈裟に言えば葛藤が滲みでています。人間味が感じられるのです。拙ブログ読者の方はお察しいただけると思いますが、「統一されていないのはオカシイ」などとイチャモンをつけるつもりでは毛頭ありません。
 ところで川のRIV.という略記は、英語で一般的なのでしょうか。山のMt.はよく目にするのですが。手元にある米国の出版物をみると、多くは省略せずRiverです。R.という略記は見ました。

 さらに脱線します。前述のShin RIV.の標識が立つ「第一新川橋」です。「第二」とか「第三」はあるのでしょうか。

2020/03/19

札幌の地名と内地の地名 一考察②

 昨日ブログの続きです。
 私が今住んでいる札幌市厚別区と郷里の愛知県稲沢市の地名を較べています。較べるための指標として、“地名密度”という概念を考えてみました。単位面積あたり行政地名の数がどれだけあるか、という数値です。

 昨日記したとおり、私が育った稲沢市梅須賀町には23の字(あざ)があります。通称地名ではなく、戸籍や住民基本台帳、不動産登記などに記載される公的な地名です。ひとまず行政地名と括ります。梅須賀町には23の字のほか1丁目~9丁目という行政地名もありますが、除くこととします。梅須賀町の面積は0.86㎢です。
 一方、札幌市厚別区には町名が18あります。ここでいう町名は行政地名のうち、普通名詞的表記を除いた固有名詞的部分とします。「厚別中央1条1丁目」であれば、「1条1丁目」を除いた「厚別中央」です。「もみじ台西」「もみじ台東」や「厚別北」「厚別南」などの「東西南北」は普通名詞的であり、純粋に固有名詞的部分は「もみじ台」「厚別」だけとも解されます。とすると厚別区の町名はさらに少なくなりますが、ひとまず「もみじ台西」「もみじ台東」などはそれぞれ固有名詞化しているととらえます。厚別区の面積は24.38㎢です。
 そこで“地名密度”=行政地名の数/単位面積を算出すると、稲沢市梅須賀町は23/0.86㎢≒26.74、厚別区は18/24.38≒0.73となります。1㎢あたりの地名が、梅須賀町は26強、厚別区は1弱です。梅須賀町は厚別区に比べて二十数倍、地名の密度が濃いことを示します。
 
 前述したとおり、私は行政地名を固有名詞的部分と普通名詞的部分に分けて解釈しました。普通名詞的部分も含めて固有の地名と広く解釈するならば、厚別区の地名の数はもう少し増えます。一例を厚別区の中で見てみます。
 厚別区の現在図です。
現在図 札幌市厚別区厚別中央1-2~1-7、2-2~2-6 範囲
 赤色でべた塗りした区域の町名は、以下のとおりです(太字)。
 厚別中央1条2丁目、厚別中央1条3丁目、厚別中央1条4丁目、厚別中央1条5丁目、厚別中央1条6丁目、厚別中央1条7丁目、厚別中央2条2丁目、厚別中央2条3丁目、厚別中央2条4丁目、厚別中央2条5丁目、厚別中央2条6丁目
 地名の数は、狭義にとらえて「厚別中央」だけとすると1ですが、広義に「○条○丁目」まで含めると11となります。このべた塗りのエリアの面積は1.07㎢です(末注①)。地名を広義にとらえた数で前述の地名密度を算出すると、厚別中央地区(厚別中央1条2-7丁目、2条2-6丁目)は11/1.07㎢≒10.28となります。

 この厚別中央地区の地名密度を稲沢市梅須賀町と比べるに当たっては、梅須賀町の地名密度を算出し直します。前述のとおり同町には字23のほかに1~9丁目の地名がありますが、先の算出では1~9丁目は地名の数から除きました。厚別中央地区で〇条○丁目を地名として数えた以上、梅須賀町でも〇丁目を加えるのが妥当と考えます。すると地名数は32となり、梅須賀町の広義の地名密度は32/0.86≒37.21となります。
 稲沢市梅須賀町の地名密度は、厚別中央地区の広義の地名と比べても3.6倍の濃さです。

 現在図で愛知県稲沢市梅須賀町の区域を示します。
現在図 愛知県稲沢市梅須賀町 範囲
 同じく赤いでべた塗りしました。前掲の厚別区厚別中央の一帯と較べて、土地利用の違いがお察しいただけるかと思います。
 梅須賀町は周囲に水田や畑が広がる集村で、その形態はたぶん近世から基本的には変わってません。昨日ブログに記したとおり人口は747人です。一方、厚別区厚別中央1条2-7丁目、2条2-6丁目の人口は10,245人。
 地名一つあたりの人口という尺度で測ってみます。厚別中央10,245/11≒931.4人、梅須賀町747/32≒23.3人となります。一地名当たりの人口が、前者は平均931.4人、後者は23.3人です。梅須賀町の一地名あたりの人口は厚別中央に比べて、約40分の1しかありません。逆数で考えると、梅須賀町は一人あたりの地名の密度が厚別中央の40倍濃い、といえます。

 注①:国土地理院サイトにより計測
 注②:札幌市サイト「住民基本台帳人口」ページ 「町名・条丁目別世帯数及び人口」による。→ http://www.city.sapporo.jp/toukei/jinko/juuki/juuki.html#jou-choume

2020/03/18

札幌の地名と内地の地名 一考察

 お知らせからです。
 UHB(8ch)みんテレ(15:50-)「となりのレトロ」の“総集編”が3月20日(金)、放送されます。CM込みで1時間の予定です。これまで訪ね歩いたあちこちから、幾つかプレイバックされます。ご笑覧ください。
 
 これまでも記してきたように、私が育った愛知県稲沢市は中世や近世の面影がところどころに感じられる町です。
 稲沢市教委編『近世村絵図 解説図』1982年で、私が住んでいたムラを見ると、「今も江戸時代と変わっていないな~」と思います。地割、道、水路、集落の配置など、ムラの骨格がほぼそのまま今日に引き継がれている。2015.1.9ブログ

 小中高時代を過ごしたのは稲沢市梅須賀町といいます(2015.6.7ブログ参照)。現在の人口を調べてみたら、747人です(末注①)。梅須賀町を含む21町が「千代田地区」という地区に属しています。これはいわば中学校区で、面積は10.72㎢、地区の人口は8,126人です(末注②)。もともとは昭和30年代に町村合併する前の「村」に当たります。私が現在住んでいる札幌市厚別区は面積24.38㎢、人口は125,792人です。郷里の旧「千代田村」と較べると、厚別区は面積で2倍強、人口で15倍強になります。(末注③)。

 なぜ、このような比較をするかというと、本題は「地名」です。
 私の郷里である愛知県稲沢市の千代田地区の21の町名を以下、列挙します(太字、末注④)。
 福島町、堀之内町、千代町、千代、梅須賀町、附島町、牛踏町、大矢町、大矢、込野町、北麻績町、南麻績町、目比町、氷室町、坂田町、今村町、西溝口町、板葺町、井堀、野崎町、田代

 一方、札幌市厚別区の町名は以下のとおりです(太字、注⑤)。
 青葉町、もみじ台東、もみじ台西、もみじ台南、もみじ台北、厚別西、厚別町山本、厚別町上野幌、厚別町下野幌、厚別町小野幌、厚別南、厚別中央、厚別東、厚別北、上野幌、大谷地東、大谷地西、下野幌テクノパーク 

 数えると18あります。厳密には青葉町は1丁目から16丁目まであり、厚別中央は1条から5条まであるので、町名としてはもっと多いといえましょう。厚別中央は〇丁目も含めるとさらに多くなります。
 私が注目したいのは、文字の種類です。これも数えてみると、稲沢市千代田地区は39の異なる漢字が町名に使われています。一方厚別区はというと、漢字、ひらがな、カタカナで31です。31といっても、「もみじ」とか「テクノパーク」という仮名も一文字ずつ数えてのことですから、実質的にはもっと少ないとみてよいかもしれません。
 
 これはどういうことか。
 面積が2倍強で人口は15倍強の厚別区のほうが、稲沢市千代田地区に比べて、行政地名として使われている数が少ない。厚別区のほうがシンプルというか、地名が‘記号化’しつつあるといえます。30の文字のうち、東西南北とか上下といった普通名詞が多用されていることからも窺えます。その極致は○条○丁目です。「厚別」とか「野幌」というアイヌ語由来への当て字に起因する読みづらさ(末注⑥)の一方で、「青葉町」とか「もみじ台」といった読みやすさも特徴です。

 我が稲沢市千代田地区の町名は、知らない人が「正しく」読むのは至難です。正しくをカッコ付けしたのは、何をもって正しいとするか疑問の余地もあるからですが、措きます。私が10年余暮らした「梅須賀町」は「うめすかちょう」ではなく「めすかちょう」です。「うめ」ではなく「め」。千代田地区は「ちよだ」ですが、「千代町」は「せんだいちょう」。「麻積」は「おうみ」、「目比」は「むくい」と読みます。「福島」は「ふくじま」と濁り、「附島」は「つけしま」と濁りません。

 さらに、です。
 私の梅須賀町は「字」に細分化されています。その「字」は以下のとおりです(太字、注⑦)。
 阿古根、井島、江崎、江向、御宮田、北鈴置、北天日記、北廻間、石竜、下棒田、須ケ越、田之端、唐人、中切、西北切、西南切、東切、姫苅、午新田、南鈴置、南天日記、南廻間、山之畑、1丁目、2丁目、3丁目、4丁目、5丁目、6丁目、7丁目、8丁目、9丁目
 固有名詞の地名が23、○丁目が9あります。梅須賀町の面積は0.86㎢(末注⑧)、人口は冒頭に述べたように747人です。厚別区と較べると、面積にして約1/28、人口にしてわずか6/1,000しかありません。その中に、23もの行政地名(○丁目は除く)があります。その名前がまた、字面を眺めてお察しいただけるように、なかなか一筋縄ではいきません。「天日記」をなぜ「てんりき」と読むのか。「唐人」(とうじん)は、どんな由来で付けられたのか。「姫苅」(ひめかり)は? 「鈴置」(すずおき)は?「石竜」(こくりゅう)は? アタマがくらくらしてきそうです。

 注①:稲沢市ウエブサイト「人口と世帯数」ページ「最新町別人口調査表」(2020.3.1現在)による。→http://www.city.inazawa.aichi.jp/shiseijoho/toke/jinko/index.html
 注②:千代田地区の面積は同上サイト「統計・人口」ページ「地区別人口・世帯数・面積」による。同人口は最新の注①の「最新町別人口調査表」から算出した。「地区別人口・世帯数・面積」による千代田地区の人口は7,782名(2015年現在)である。→ http://www.city.inazawa.aichi.jp/shiseijoho/toke/toke/1002689.html
 注③:札幌市サイト「札幌市統計書」ページ「札幌市統計書(平成30年版)-土地及び気象」第1章「位置及び広がり」による。→ http://www.city.sapporo.jp/toukei/tokeisyo/01land30.html 人口は2020年2月1日現在(「広報さっぽろ」厚別区版2020年3月号記載)による。
 注④:注①「最新町別人口調査表」による。
 注⑤:札幌市サイト「住民基本台帳人口」ページ 「町名・条丁目別世帯数及び人口」による。→ http://www.city.sapporo.jp/toukei/jinko/juuki/juuki.html#jou-choume
 注⑥:「厚別」は、知らない人が音訓を意識して読んだら「コウベツ」となりかねない(2018.8.25ブログ参照)。
 注⑦:YAHOO!JAPAN地図サイト「愛知県稲沢市梅須賀町」ページによる。→ https://map.yahoo.co.jp/address?ac=23220&az=276
 注⑧:国土地理院サイトで概略計測

2020/03/17

清田1条3丁目の小祠 再々掲

 2016年8月6日ブログに、清田の旧道沿いの祠のことを記しました。郷土史家R先生から由来をうかがった小祠です。
清田1条3丁目 小祠 再々掲
 R先生が2018(平成30)年に上梓されたご著書で、あらためて縁起を知りました(末注)。

 ・1873(明治6)年、長岡家初代の重治が小祠を祀る(場所は現在の清田幼稚園の入口付近との伝)。
 ・旧道の南側(清田小学校側)、現在のバス停の近くのオンコの木のあたりに移される(1947年以前)。「稲荷神社」
 ・2000(平成12)年、現在地(旧道の北側)に移設される。「かなり傷みがはげしいため、祠を一新」した。1889(平成11)年、「鳥居を設置し、京都伏見稲荷神社より分身された御柱と共に祀らる事となった」。

 村の鎮守の厚別神社とは別に、長岡家の氏神様として祀られたものでした。どちらも祭神は「宇迦御魂神」「倉稲魂神」(うがのみたまのかみ)だそうです。学校側の旧敷地は60坪ありましたが、長岡さん(武夫さん)から札幌市に寄付され、今は小学校の一角となりました。上掲の現在地は札幌市の「清田緑地」から連なっている樹林帯ですが、長岡家の私有地に属します。ほとんど境目がわからず、私は一瞬、清田緑地の一部かと思いました。政教分離ですから、それはありえないですね。たぶん清田緑地も(隣接する清田第二緑地保全地区も)、自然環境と景観を守るため、札幌市が長岡さんから購入したか寄贈を受けたのでしょう。
 
 私は2016年7月12日ブログで、「さらに想像をたくましくするならば、前掲の祠は土地を鎮める意味も込められたのかもしれない」と記しました。深読みでしたね。もっとも、お稲荷さんは「衣食住を司る神・稲の精霊であり、穀物の神として崇敬され」てきたといいます(R先生著書)。田んぼの豊饒も祈願されたのでしょう。2016年7月12日及び8月6日ブログにいただいた情報コメントに感謝申し上げます。
 長岡家4代目の長岡武夫さんは昨年11月7日、鬼籍に入られました(93歳)。今をさる30年余り前、市会議員として札幌の歴史的な建物の保存に熱意を抱いておられたことが偲ばれます。羊ヶ丘の農業試験場旧庁舎を保存活用したいと願っておられました。合掌。

 注:了寛紀明『札幌本道と厚別(あしりべつ)地域の歴史~古文書を辿っての『清田発掘』~』2018年、pp.371-373

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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