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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/02/28

朴沢家古写真から遺構に想いを寄せる

 昨日ブログの末尾に、古写真を載せました。「朴沢家資料」の1枚です。この写真には「豊平川鉄橋工事」という標題が付いています。写っているのは、函館本線の豊平川橋梁を架ける工事風景でしょう。

 私が気になったのは、この部分です。
朴沢家寄贈古写真 豊平川鉄橋工事 橋脚 拡大
 橋脚。
 煉瓦を主体として積み、隅角部に石材を廻しています。 

 これを観て、前に拙ブログで記した風景を思い出しました。
苗穂⑥
 2014年12月21日ブログに載せた画像です。「イギリス積み、焼き過ぎ煉瓦ですね。一部、花崗岩のような石が組み込まれています」と私は記しました。

 この煉瓦と石の遺物は豊平川左岸、JR豊平川橋梁の下流側たもとで見かけたものです。
 豊平川左岸 JR豊平川橋梁下流側たもと 遺構
 赤い矢印を付けた先に写ります(画像は2015年9月撮影)。

 豊平川橋梁のことは2014年12月25日ブログで続報しました。現橋梁の先代が1908(明治41)年、広井勇の設計により架けられたことなどです。古い写真も載せましたが、あまり鮮明ではありません。一方、このたびの古写真はかなり鮮明です。

 朴沢雄治は1900(明治32)年、伊藤亀太郎に招かれて来道し、旭川の第七師団の建築に携わりました。1905(明治35)年に建てられた偕行社(現旭川市彫刻美術館)の棟札に朴沢の名前が「大工」として載ります。その後、札幌を中心に名だたる建物を手がけていきました(末注)。朴沢家寄贈の冒頭古写真の撮影年代は記されていません。が、前述した先代国鉄豊平川橋梁の架橋年1908(明治41)年というのは、朴沢の活躍した時期と合います。古写真は、広井勇設計の1908年架橋を朴沢すなわち彼が属していた伊藤組が施工したことを物語っているように思えてきました。

 さて、そして前掲の煉瓦の残骸です。冒頭古写真と見較べると、私にはこれも1908年架橋の遺構に見えてきました。

 注:栃内和男「郷土史料小解」『「新札幌市史」機関誌 札幌の歴史』創刊号1981年、p.54、『伊藤組百年史』1998年、p.104、p.110
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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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