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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/12/31

2019年もお世話になりました。

 昨年12月31日に倣って、1年を顧みました。自分自身の多少なりとも社会的な活動を“入力・受信”と“出力・発信”とに分け、拙ブログ以外の媒体で出力・発信に関わったモノゴトを挙げます。

1月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第16回
7日:UHB「みんなのテレビ」となりのレトロ出演 円山公園界隈探訪
8日:HBC「今日ドキッ!」出演 旧石山郵便局を紹介
19-20日:南区まちナカアート展inチ・カ・ホ 札幌軟石建物のパネル展示
28日:UHB「みんなのテレビ」となりのレトロ出演 中島公園探訪
2月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第17回
6日:札幌建築鑑賞会通信「きーすとーん」第81号発行
18日:UHB「みんなのテレビ」となりのレトロ出演 菊水円形歩道橋探訪
19日-3月3日:「札幌軟石と北の石文化」展(札幌市資料館)開催
24日:第3回 篠路のまちづくりを考えるシンポジウム(篠路コミュニティセンター)にて、「篠路高見倉庫の歴史的価値について」報告
3月
3日:「創成東地区の水脈と開拓使の歴史をめぐるモニターツアー」案内役
4日:UHB「みんなのテレビ」となりのレトロ出演 創成側東地区探訪
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第18回
18日:UHB「みんなのテレビ」となりのレトロ出演 福住探訪
20日:さっぽろ下町づくり社『さっぽろ下町まちしるべガイドブック』発行 情報提供
4月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第19回
15日:月刊誌『O.tone』4月号(Vol.126)特集「ディープな札幌街歩き」取材協力
15日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 北大界隈探訪
16日:北海道新聞朝刊札幌圏版記事「百年記念塔解体 戸惑う学校」取材協力
17日:「LIFULL HOME'S PRESS」(ライフルホームズプレス)記事「札幌軟石。北海道の開拓と発展を支えた軟石の歴史と文化を辿る」取材協力
28日-5月19日:「北海道遺産&土木遺産認定記念 支笏湖でつながる二つの遺産展」(支笏湖ビジターセンター)札幌軟石パネル展示
5月
3日:北海道新聞朝刊札幌圏版連載「時を超える建物たち」情報提供
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第20回
5日:「ピロカフェ~しんさっぽろのおもいで」(カラオケピロス)解説
13日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 石山探訪
16日朝日新聞朝刊道内面コラム「木曜 カルチャー・考える」欄(外岡秀俊さん)「札幌軟石 魅力と可能性と」取材協力
27日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 桑園探訪
31日:ちえりあ学習ボランティア企画講座 「北海道遺産の魅力を探る」第3回 旧永山武四郎邸を案内
6月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第21回
5日:札幌建築鑑賞会通信「きーすとーん」第82号発行
10日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 篠路探訪
17-18日:大谷石研究会札幌視察 札幌を案内
23日:札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第64回開催 清華亭・偕楽園緑地
24日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 野幌探訪
7月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第22回
5日・7日:札幌建築鑑賞会「大人の遠足」南区石山探訪
8日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 東区ナナメ通り探訪
15日:UHB「みんテレ」となりのレトロ 総集編
20日:札幌市河川事業課「創成川・鴨々川 川めぐりウォーキングツアー」案内役
21日:札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第65回開催 桑園博士町
22日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 手稲区稲積公園界隈探訪
27日:札幌市都心まちづくり推進室「創成東地区まちあるき」案内役
8月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第23回
5日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 西区八軒探訪
6日:読売新聞朝刊道内面連載「新 北海道遺産を訪ねて」札幌軟石 取材協力
25日:札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第66回開催 島松
26日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 特別編 函館五稜郭探訪
9月
2日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 特別編 函館元町界隈探訪
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第24回
13日:札幌市河川事業課「サクシュ琴似川 プレウォーキングツアー」案内役
20日厚別区民歴史文化の会「厚別歴史散歩」上野幌編 案内役
20日:札幌建築鑑賞会通信「きーすとーん」第83号発行
22日:札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第67回開催 西岡水源池
23日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 環状通リンゴ並木探訪
10月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第25回
7日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 南区真駒内探訪
8日:札幌市厚別区「厚別高齢者教室 瑞穂大学」第17回「わが街の魅力再発見」お話
11日・13日:札幌建築鑑賞会「大人の遠足」東区ナナメ通り探訪
21日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 北広島市島松探訪
25日:北海道新聞朝刊札幌圏版記事「中央区のカフェ・店舗ラクラ れんが造りで築100年に」取材協力・情報提供
26日:芸術工学会2019年度秋季大会 エクスカーション(南区真駒内) 案内役
11月
1日:広報さっぽろ11月号 厚別区民のページ「ピカッと!きらり 厚別区を輝かせる人」「厚別区の歴史の奥深さを伝えたい」(p.3)掲載
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第26回
6日:厚別区役所広報ラジオ番組「厚別ふれあい・ほっと・ステーション」出演
25日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 新川通(北区・手稲区)探訪
28-30日:厚別区民歴史文化の会「厚別歴史写真パネル展」第10回開催 パネル出展
12月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第27回
9日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 つきさっぷ(白石区・豊平区)探訪
23日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 北星学園(中央区)探訪
26日:さっぽろまちづくり活動情報サポートサイト「まちさぽ」 札幌建築鑑賞会の紹介掲載 取材協力

 入力と出力、受信と発信の線引きは、もとより大まかです。一見入力・受信に見えて実は出力・発信、ということも(その逆も)、ありえます。相互作用もありましょう。出力・発信をともにご尽力してくださった皆様、受け取ってくださった皆様、拙ブログをご覧くださった皆様に御礼申し上げます。
 昨年に比べてモノゴトの量が増えました。問題は中身、というか質ですが、受け手の方のご判断に委ねます。個人的には、出力・発信の機会をいただくことで入力・受信のモチベーションが上がりました。充実感(それを自己満足という)を与えてくださったことにも感謝申し上げます。

 恒例の母の花器です(本年1月1日ブログ参照)。
2020新年飾花
 皆様、良いお年をお迎えください。
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2019/12/30

一年逍遥納め

 日々の時空逍遥で長年背負ってきたリュックサックがボロボロになってきました。
長年背負ってきたリュックっサック お役御免
 「なってきました」ではなく、すでにボロボロです。7、8年使ったでしょうか。年末を機に、買い替えることにしました。

 私がリュックサックを肩にかけて街中を歩くようになったのは、思えば20代の頃からです。時代としては、たぶん早い方だったと思います。ほどなくして、世間が「オタク」と呼ぶ風体に自分が当てはまると、うっすら気づきました。自覚するのが遅い性質でもあり、時すでに遅し、です。私がリュックサックだと思っている間に、バックパックとかデイパックなどともいわれるようになりました。違いはよくわかりません。しかし、かように使い古しているリュックは、いかにもオタク感を醸しますね。いや、別にオタクをことさら装いたいのではありません。自ずとそうなってしまうのです。
 リュックの中には、何が入っているのでしょうか。“時間”だと私は思います。ドラえもんのポケット、には到底及ばないまでも、たぶんあれが理想形でしょう。時間を背負って、空間を歩く。とまれ、長いこと馴染んできた時間の入れ物に惜別します。

2019/12/29

宇都宮で時空逍遥 ⑭ 雷都レールトランシット

 宇都宮市役所の副市長室応接テーブルに置かれているLRT(路面電車)の紙細工模型です。
宇都宮市役所 副市長室 LRT 紙細工模型
 札幌市南区長の表敬訪問に同行させてもらったとき(12月13日ブログ参照)に撮らせていただきました。
 宇都宮では現在、路面電車の敷設が進められています。開業は2022年だそうです。南区長は前に都市計画の部局で市電のループ化にも携わっていたので、その情報交換も兼ねての訪問でした。画像手前の黄色い模型が、宇都宮で走ることになる車両です。

 同行したSさんが「車体が黄色なのは、どんなモチーフですか?」と尋ねました。
宇都宮 LRT パンフレット(画像は市発行のパンフレットpp14-15)
 職員の方曰く、「雷です」と。宇都宮は雷の発生がとても多い土地と、これもこちらに来て初めて知りました。「“らいと”ですから」と言われたとき、はじめはよくわからなかったのですが、「雷の都」。雷都宇都宮のLRTは、雷の光のLightで もあるか。なるほど、軽い。

 『宇都宮市史』第一巻1979年の「宇都宮の気候」の節には、「栃木県はわが国有数の雷雨多発地域」とたしかに書かれています(p.51)。特に夏の雷が多いそうです。
 宇都宮の雷は、一般に発雷する場所の名を取り日光雷と呼ばれ、栃木県の北西山地から古賀志、宇都宮市街を経て芳賀方面へと移動する。
 この日光雷は、夏の高温によって発生する熱雷で、旱天続きの後の雷雨は植物にとって大切な恵みの雨となる。
(同上)
 もしかして、「日光」も雷に由来するのだろうか。 ではなぜ、宇都宮で雷が多いのか。
 市史のくだんの節を通読しても、私にはよくわかりません。否、そもそも私は雷が発生する仕組み自体を知らないので、説明が悪いわけではないのです。 天気予報で「大気の状態が不安定」になると、雷が起きやすいと聞きます。「大気の状態が不安定」とはどいういうことか。これも私にはよくわかっていません。なんとなく、で思うには、地表と上空の温度差が激しい、とか。特に地表の温度が高く、気流が急激に上昇する、とか。では、それだとなぜ、雷が起きるのか。そもそも雷とは、何か。電気? いや、電気そのものは光らないだろう。子どもの頃テレビで観た「鉄人28号」で、正太郎君が鉄人の操縦器を操作すると、それこそ雷のような光線がピカピカ出ました。あれで私は、電波とは光るものだと刷り込まれました。そうでないことを知ったのは、恥をさらしますがなんと高校生になってからです。それを教えてくれた同級生のK君は今、大学で生命科学の先生をしていますが、かたや私の理系音痴は死ぬまで治りません。
 閑話休題。
 宇都宮に夏の雷が多いのは、関東平野の北の端という場所柄によるのではないだろうか。関東平野の北の端だとなぜ、多いか。
 

2019/12/28

宇都宮で時空逍遥 ⑬ ところ変われば電柱銘のしきたりも変わる

 宇都宮の市中心部、JR駅から田川を渡ったあたりで見かけました。
宇都宮 電柱 松屋製粉引込
 黄色の矢印を付けた先に「松屋製粉引込」とあります。これは共用NTTの標識です。その下の手書きで「大町」というほうはたぶん東京電力でしょう。さらにその下に、東電の古いマークが付いています。
 NTTの標識が地名などで大区分されているのは札幌と同じですが、宇都宮では電力会社のほうにも数字以外の名詞が用いられているようです。札幌では、北電のほうは算用数字で記号化されています(2015.5.13ブログ参照)。

 やはり市中心部で観た電柱銘です。
宇都宮電柱 江野町幹 銀杏
 上方のNTTには「江野町幹」、下の東電とおぼしきほうには「銀杏」と書かれています。その下の赤いステッカーには、やはりミッキーマウスみたいな東電のマークです。

 この「銀杏」は、この近くにそびえるイチョウの老大木、またはそれにちなんだ「いちょう通り」という道路名に由来するのでしょう。市中心部の大半が焦土と化した宇都宮空襲(12月22日ブログ参照)を生き抜いたイチョウです。

https://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/kids/nazenani/1008386.html
 
 かくして、宇都宮では電柱を2倍楽しめます。冒頭画像の「大町」は旧地名ですが措くこととして、とりあえずはNTTの「松屋製粉」です。「さては、この地の名物というギョーザの原料か?」と私はまず、思い込みました。しかし、どうやら違います。そば粉です。

https://www.matsuyaseifun.co.jp/
 この製粉会社の所在地は郊外ですが、もともと街中にあったことを電柱が教えてくれました。大谷石研究会Nさんによると、宇都宮は蕎麦も有名だそうです。これまた初めて知りました。ステレオタイプに早とちりしてはいけませんなあ。ちなみに古い地図を見ると、宇都宮駅前には日清製粉の工場もありました。 

2019/12/27

宇都宮で時空逍遥 ⑫ 大谷石の採掘現場

 「石のまち宇都宮シンポジウム」二日目のエクスカーションでご案内いただきました。 
宇都宮 大谷石の露天採掘場 カネホン高橋さん
 見学させていただいたカネホンさんは、大谷石を現在採掘している7社のうちの1社です(末注)。有料で採掘場を公開しています。

http://www.kanehon.jp/tour.html#tour

 採石の現場の迫力は、実体験しないと味わえません。その迫力は、危険と隣り合わせゆえでもあります。見学の態勢を整えてくださっているのは、大変ありがたいことです。
 上掲画像のほぼ中央、赤い矢印を付けた先に、人が二人立っています。その小ささから、採掘した地底の深さをお察しください。写真を撮った位置から掘り下げていったものです。水が溜まっているところまで、1974(昭和49)年から2003(平成15)年までの約30年間、採石したと社長さんにお聞きしました。今は、手前の黄色い重機があるところで掘っています。

 拙ブログで前に、札幌軟石の露天掘りのことを越前福井の笏谷石と較べて記しました(2015.10.7ブログ参照)。明治の初めに坑道掘りから始まり、のちに露天掘りに変わったことです。笏谷石は、露天掘りから坑道掘りに変わっていきました。大谷石も同様だったと、このたび知りました。大谷石で露天掘りをしているのは現在、このカネホンさん一社とのことです。
 露天掘りと坑道掘りは、私は岩質の違いによるくらいにしか想ってませんでした。札幌軟石は柔らかくて崩れやすいから、坑道掘りが難しくて、露天掘りに移ったのだろうと。では大谷石はなぜ、逆に露天掘りから坑道掘りが主流になったのか。それもこのたび、教えてもらいました。

 注:安森亮雄「大谷石の産業・建築・地域から日本の『石のまち』の文化へ」『石のまち宇都宮シンポジウム』予稿集2019年12月4日p.6

2019/12/26

宇都宮で時空逍遥 ⑪ 祭政一致?

 宇都宮の鎌倉街道を巨視的に俯瞰します。
陰影起伏図 宇都宮 広域 
 陰影起伏図に以下、着色加筆しました。
 緑色の実線:旧鎌倉街道
 赤い矢印の先:二荒山神社(12月16日ブログ参照)
 黄色の矢印の先:宇都宮城址
 青色の実線:田川
 水色の実線:釜川

 二荒山神社は、田川と釜川で削られた舌状台地の先っぽ(南端)に位置しています。その南に宇都宮城が築かれました。神社と城を結ぶ南北線が城下町の基軸になったのでしょう。

 舌状台地の先っぽ(南端)を、南から北へ拝みました。
二荒山神社 参道 再掲
 いかにも聖地と崇められそうな起伏です。そういえば、名古屋の熱田神宮もこんな立地だったような気がします(本年9月14日ブログ参照)。熱田台地の先っぽ(南端)で、往時は海上からも望めたことでしょう。

 反対に、舌状台地の先っぽから南方、宇都宮城址のほうを眺めました。
二荒山神社から南望
 鳥居の奥の東西(画像上、左右)に通じる道が現在、中心市街地の軸線となっているようです。通りの往来が激しく、先が見渡せません。
 余談ながら、大谷石研究会Nさんによると、この東西の通りは「日本一、バスの運行本数が多い」そうです。私の実感では、中心部の交通量は全体としても非常に多いなと思います。札幌でふだん街中をクルマで通ることが少ないので、まったくの憶測ですが、札幌(の冬季積雪期は別として)よりも渋滞しているのではないでしょうか。人口は50万余です。 

 閑話休題、もう一度反対に南から北へ、神社のほうを望みました。
宇都宮 曲師町 釜川から二荒山神社を望む
 冒頭「神社と城を結ぶ南北線が城下町の基軸」と記しましたが、片側一車線の細い道です。
 赤信号の向こう、鳥居の手前から緩やかに上り勾配になっています。前述のNさんは、この部分が台地の突端とおっしゃってました。

 この起伏を、さらに巨視的に観ます。
陰影起伏図 関東広域 宇都宮 二荒山
 赤い矢印を付けた先が、宇都宮二荒山神社です。
 関東一円を俯瞰しても、舌の先っぽと窺えます。関東の北端において、奥州路の要衝にふさわしい場所に想えました。

 中世宇都宮氏の“祭政”(まつり、まつりごと)は、二荒山神社と宇都宮城の地理的な関係からすると、「祭」を文字どおり上に、「政」を下に位置づけたかのようです。まったく疎いのですが、山城-平山城-平城という日本の城の成り立ちから見たとき、二荒山神社は神社という名の平山城(の萌芽?)といえるのではないでしょうか。
 鎌倉街道の話にたどり着けません。
 

2019/12/25

宇都宮で時空逍遥 ⑩ はじめにナナメありき

 12月19日ブログでお伝えした大谷石の蔵は、宇都宮滞在最終日(4日目)の独り歩きのときに鑑みたものです。
 
 私が先に伝えた石蔵が建つ道を、現在図に示します。
現在図 宇都宮市 旧鎌倉街道
 図上、左下(南西)を黒い実線でなぞったナナメの道です。参考までに宇都宮城址を赤くベタ塗りしました。右上端(北東)にJR宇都宮駅、左上端(北西)に東部宇都宮駅が位置します。濃い青でなぞったのが田川、水色が釜川で、宇都宮市中心部を流れる一級河川です。川はいずれも北から南へ流れ、釜川は田川に注ぎ、田川は鬼怒川に注ぎます。田川は今年の秋の台風のとき、洪水をおこしたそうです。

 さえ、黒くなぞったナナメの道は、その田川に沿うように南西から北東へ通じています。この道を歩こうと思ったのは、わけがあります。大谷石研究会の方から頂戴した『石の街 宇都宮』という案内地図(宇都宮まちづくり推進機構発行)2006年、2016年を観てのことです。この地図には、大谷石の建物や遺構に特化してマッピングされています。地図によると、くだんのナナメの道に沿って大谷石建物の分布密度が高いように見えたのです。
 研究会のNさんに、「この道に大谷石建物の密度が高いのは、何か理由があるのでしょうか?」と尋ねました。
 Nさんは「いいところに気づきましたね」と応えて曰く、「鎌倉街道ですよ」と。
 「鎌倉街道?」と訊きなおす私。Nさんは「“いざ鎌倉”の鎌倉街道ですよ」。

 私が訊きなおしたのは、鎌倉街道という名前に馴染みがなかったからではありませんでした。否、別の理解をしていたのです。私が理解していた鎌倉街道というのは、京と鎌倉を結んだ中世の古道です。12世紀、源頼朝が鎌倉に政治の本拠を置いたことにより、通じました(京・鎌倉往還)。近世、江戸幕府によって整えられた東海道の原形となります(末注)。
 これとは別の鎌倉街道があったことを、宇都宮に来て知りました。否、書物で読んではいたのですが、認識してなかったのです。こちらは、東国一円に点在していた御家人が、まさに“いざ鎌倉”と馳せ参じるための交通機関でした。

 沿道の風景です。
宇都宮 旧鎌倉街道沿い-1
宇都宮 旧鎌倉街道沿い-2
 大谷石の蔵や商家が建てられたのは明治から昭和にかけてでありましょうが、中世古道の記憶を受け継いだといえるかもしれません。ここを800年前、頼朝が奥州攻めで通ったのかと想いを馳せました。

 街道を南から北へ眺めると、下り坂です。
宇都宮 旧鎌倉街道
 色別標高図で俯瞰します(標高105m未満から5mごと7色段彩で作成)。
色別標高図 宇都宮 旧鎌倉街道 標高105m未満から5mごと7色
 白ヌキ実線が旧鎌倉街道です。古道は、田川の自然堤防もしくは河岸段丘沿いの微高地に開かれたように見えます。もちろん河道は800年の間に流転してはいるのでしょうが。街道と川の間の町名が「下河原」とか「河原町」です。氾濫原を彷彿させます。 

 注:京から尾張国までは古代東山道(近江~美濃)を通ったので、厳密には近世東海道とは異なる。池田誠一『なごやの鎌倉街道をさがす』2012年、pp.12-16

2019/12/24

札幌と宇都宮のつながり(承前)

 昨日ブログに続き、札幌と宇都宮のレトロなつながりです。
 まず栃木県宇都宮のほうから。中世宇都宮の歴史を概観します(末注①)。
 ・平安時代後期(11世紀中頃)、源頼義が東北を討つ〈前九年の役)。頼義に随った藤原宗円が二荒山神社(宇都宮明神)の社務職に任ぜられるとともに、宇都宮城を築く(伝)。以後、約500年にわたり、一円を支配。
 ・鎌倉時代(12~13世紀)、三代朝綱が宇都宮氏を名乗り、宗教及び政治の両面で支配を拡げる。鎌倉幕府の有力な御家人となる。
 ・戦国時代(16世紀末)、宇都宮国綱(初代宗円から22代め)が豊臣秀吉により所領を没収される。

 宇都宮城址公園清明館の歴史展示室に掛かっていた「宇都宮氏略系図」です。
宇都宮城址公園清明館歴史展示室 展示「宇都宮氏略系図」
 前述のとおり宇都宮氏は下野国宇都宮からは姿を消しますが、一族は全国各地に点在しました。この家系図では、初代宗円の子宗房から「豊前宇都宮氏」とあります。また、この図には書かれてませんが、宗円から8代めの宇都宮貞綱は「元寇」(13世紀後半、蒙古襲来)のとき九州に赴いた後に残り、一家をなしたそうです(末注②、筑後宇都宮氏)。

 さて、ここで札幌の宇都宮仙太郎です(末注③)。
 宇都宮仙太郎は1866(慶応2)年、現在の大分県中津市に生まれました(末注④)。豊前国です。旧姓は武原、その出自はこの地の豪族賀来氏に遡るそうです。現在の福岡県上毛町(こうげまち)の宇都宮武平の養子となったことで宇都宮姓を名乗りました。上毛町は川を挟んで中津市と隣り合っています。元々は豊前国に属していました。
 宇都宮仙太郎は、豊前宇都宮氏か筑後宇都宮氏の流れを汲んでいるのではないか。と私はにらみました。九州の宇都宮氏も、やはり戦国時代、豊臣秀吉(の命を受けた黒田官兵衛)によって討たれていますが、仙太郎自身の先祖である賀来氏も含め末裔は帰農するなどして残ったようです。
 ということで、札幌と栃木県宇都宮は、九州大分県を介してつながっていました。

 以下は余談です。
 たとえば、私の先祖は何人いる(いた)か。父母は2人、祖父母は4人、曾祖父母は8人です。n代遡ると、「2のn乗」人になります。15代前は2の15乗=32,768人。20代前まで遡ると、2の20乗=1,048,576人です。百万人を超えます。これくらいいたら、歴史上の有名人物の誰かが先祖にいそうなものです。各代の先祖を足していったら(2+4+8+16+32+…)、もっと大変なことになります。DNA鑑定したら、わかるだろうか。わかったから何だ、という話ですが。

 注①:宇都宮市歴史文化資源活用指針協議会『うつのみや今昔物語』2019年、宇都宮市教育委員会『中世下野の三都物語-宇都宮・足利・小山-』2016年、宇都宮城址公園 清明館 歴史展示室資料「宇都宮の歴史解説シート」による。
 注②:宇都宮城址公園「宇都宮城ものしり館」のボランティアガイドさんのお話による。
 注③:黒澤酉蔵『宇都宮仙太郎』1957年、pp3-5、p.319、高宮英俊『酪農語録 北海道酪農を築いた人びと』2008年、p.30
 注④:旧地名は下毛郡大幡村。「下毛」(しもげ)が「下野」(しもつけ)←「下毛野」を連想させるが、関係ないようだ。

2019/12/23

札幌と宇都宮のつながり

 本日放送されたUHB「みんテレ」“となりのレトロ”では、西18丁目界隈を歩きました。西19丁目の欠落に絡めて北星学園の立地を伝えるという荒業を採り入れてくれた番組スタッフに感謝します。本来的には南3条の欠落のことや、さらには12月10日11日ブログで記した標識の問題もあるのですが、さすがにややこしくなるので割愛しました(末注①)。
 余談ながら、この説明を現地の路上で収録したとき、気温は氷点下だったと思います。そんな凍れる日に、もの好きとしかいいようがありませんね。くだんの通りに昭和な風情のレストランが面しているので、私はその中でやりませんかとスタッフに提案したのですが、ダメだったのです。同じ番組の別のコーナーで偶然にもそのレストランをロケするから、かぶるわけにいかないと。もし出し抜いたら、そのコーナーの担当から目茶苦茶怒られるそうです。今日の番組を見ていたら、次のコーナーでたしかにそのレストランが映されてました。
 
 札幌に遺るマックス・ヒンデル設計の建物です。
北星学園創立百年記念館
 1926(大正15)年に建てられました(2018.4.1ブログ参照-末注②)。北星女学校の宣教師が住まった洋館です。現在、北星学園の「創立百年記念館」として大切に保存されています。昨日ブログでお伝えした同じ建築家による宇都宮のカトリック教会名古屋の男子旧制中学校校舎と併せて鑑みていただけたら幸いです。

 かくして、札幌と宇都宮が外国人の建築家をとおしてレトロにつながっていることを、私は知りました。レトロなつながりをもう一つ、お伝えします。

 厚別区上野幌の歴史的建物です。
上野幌 旧出納宅
 “北海道酪農の父”宇都宮仙太郎が1925(大正14)年、ともに牧場を営む娘婿の住宅として建てました(2016.7.8ブログ参照)。苗字が宇都宮だから、栃木県宇都宮市とつながりがある? 駄洒落じゃあるまいし、と思われるかもしれませんが、あるのです。否、私はあるとにらみました。ちなみに、仙太郎自身の生まれ育ちは宇都宮市ではありません。

 注①:札幌に詳しくない方のために。南3条と西19丁目のそれぞれ欠落の由来は、私が理解する限り端的には次のとおり。
 ・南3条の欠落→札幌本府と山鼻屯田兵村の南北軸線の方位が異なることに由来
 ・西19丁目の欠落→札幌本府と山鼻屯田兵村の東西街区の幅が異なることに由来
 注②:ただし、当初の基本設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズという。札幌市文化財課『さっぽろの文化財』2010年、p.38

2019/12/22

宇都宮で時空逍遥 ⑨ 名古屋と札幌を往来しながら

 カトリック松が峰教会です。
カトリック松が峰教会 ライトアップ
 宇都宮来訪の初日(12月13日ブログ参照)、大谷石研究会の皆さんがこの教会のちょうど目の前にある石蔵のレストランで歓迎会を催してくださいました。石蔵はもともと公益質屋だったそうです。教会は1932(昭和7)年、公益質屋の蔵は1938(昭和13)年に建てられました(末注①)。教会の向かいに公益質屋という立地に、感じ入ってしまいます。精神的救済と物質的救済。

 私は宇都宮駅から市役所に向かうのに、観光名所を巡廻するバスに乗りました。この教会前のバス停に近づいたところで聴いた車内アナウンスが記憶に残っています。「設計は、函館のトラピスチヌ修道院で知られるマックス・ヒンデルです」。スイス人ヒンデルは大正時代に札幌に来て、住宅や教会などを設計しました。角幸博先生(北大名誉教授)が研究されたことで、札幌に住む私には馴染み深い名前です。宇都宮では建築家ヒンデルにかような枕詞が添えられることにも、感じ入りました。

 鉄筋コンクリート造ですが外壁は大谷石が貼られています。
カトリック松が峰教会 正面ポーチ
 半円アーチや胴蛇腹下に施されたロンバルディアバンド(∩∩∩∩の連なり)が、ロマネスクです。大谷石のほどよい軟らかさが細部の装飾に適していたようにも想えます。

 前述したようにヒンデルは札幌を足場にしましたが、全国各地にもキリスト教系の施設を遺しました。
 その一つが、名古屋の「旧南山中学校本館」(現南山学園ライネルス館)です。
南山学園ライネルス館 - 1
 南山学園はカトリックのいわゆるミッション・スクールで、この校舎は1932年に建てられました。前掲カトリック松が峰教会と同じ年です。やはり鉄筋コンクリート造ですが、人造石仕上げです(末注②)。

 ヒンデルが同時期に設計したキリスト教しかもカトリックの建物といっても、雰囲気が違うなあと感じます。
南山学園ライネルス館 - 2
 全体に装飾が簡素です。屋上のパラペットの三角形の連なりや正面最上階の菱形の窓などには、モダニズムの気配を嗅ぎます。
南山学園ライネルス館 - 4
 それでも、台形型の張り出し具合が前掲宇都宮の教会のポーチに通じなくもありません。この建物を訪ねたのは1999(平成11)年で、上掲写真もそのとき撮ったものです。当時、教会のことは知りませんでした。今あらためて写真を見直すと、外壁の色合いに大谷石を妄想してしまいました。現在、学園創設者の名を冠した記念碑的施設として、大切に保存されています。

 松が峰教会の内部は、戦後復元されたものだそうです。
カトリック松が峰教会 内部
 宇都宮は1945(昭和20)年7月の空襲で、市中心部の大半が焼失しました。教会はRC造大谷石貼りであったことからか、解体を免れましたが、内部はほとんど焼けてしまったのです。そういうことも、私は現地に来て初めて知りました。

 札幌にも、ヒンデルのキリスト教系建物が保存されています。それぞれの風土や用途などで作風を変えつつ、建築家として通底した思想性に想いを馳せてみたい。

 注①:NPO法人大谷石研究会『大谷石百選』第2版2016年、p.20、p.86
 注②:南山学園・学園資料室から1999年にご提供いただいた資料による。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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