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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/10/17

大友堀の流路考 ①

 札幌建築鑑賞会の今回の「大人の遠足」で東区のナナメ通りを歩いて、あらためて「大友堀」に想いを寄せました。
 
 昨日ブログに載せた古地図を再掲します。
明治15年札幌郡丘珠村札幌村全図 再掲 大友堀流路 
 気になっていたのが、大友堀の流路です。

 図の流路上に番号を①②③と付けました。コトバで説明すると以下のとおりです。
 ①南西(画像上、左下)から北東へ流れ、いったん南東へ湾曲する。
 ②大覚寺(赤い)の前でナナメ通りに突き当り、北東へ折れ曲がる。
 ③通りにぴったり沿ってまっすぐ下り、伏籠川に注ぐ(黄色の)。
 
 私が気になったのは、特に②のところです。①ではナナメ通りとは少し離れてしかも弯曲しながら流れていたのがここで曲がり、その先は道に沿って直線的に下ります。この曲がりは何だろう? 実は遠足のとき、参加者のお一人からも尋ねられました。かような質問が飛び出すほどに、マニアックな集まりです。私なりの答えはお伝えしたのですが、あとから考え直して、まだ疑問が残りました。拙ブログ上で、さらにマニアックに追究することとします。

 色別標高図×1948年空中写真に、大友堀の推定流路(末注)を濃い青の実線でなぞりました。
標高図×1948年空中写真 大友堀 推定流路
 私が遠足のとき答えたのは、「自然堤防の尾根筋に沿って流した結果」ということです。もっとも標高の高いところに主流の堀割を穿ち、低いほうへさらに毛細的に水路を通す。物理的に適っていると思います。大覚寺より北東は尾根筋が細くなっているようです。道沿いよりもり北西側を通すと、南東側の土地へ水を流しづらくなる。冒頭古地図に示されているとおり、道に沿って短冊状に地割されています。それぞれの土地へ公平に(?)水を流すには、道沿いがもっとも都合が良かったのではないか。

 しかしこれだけでは半分しか答えていません。ではなぜ、大覚寺より西側の①のあたりではナナメ通りにぴったり沿わなかったのか? 私は当初、この部分ももっとも標高の高そうなところを通したと察しました。しかし、必ずしもそうとは言い切れません。ナナメ通り上がやはり自然堤防の尾根と窺えます。堀割は、もう少し手前からナナメ通りに沿わせれば、わざわざ湾曲させなくてもすんだのではないか。しかし、あえて(?)、通りとは距離を置いて流した。なぜか?

 注:札幌村歴史研究会ほか編『東区今昔 大友堀』1982年、巻末付図参照
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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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