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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/10/13

地下鉄新道東駅の壁絵に見る東区中華思想

 地下鉄東豊線「新道東」駅ホーム階段の壁絵(昨日ブログ参照)に勝手ながら謎をかけて、解いてみました。これは「札幌」発祥の地たる東区と、「周辺」の町や村を描いている、と。東区の前身ともなぞらえられる「札幌村」の時代です。
 
 札幌村と近隣市町村を、当時の境界と一致するように当てはめました。札幌市及びのちに同市に編入、合併される町村です(末注)。
東豊線新道東駅、ホーム階段の壁絵の謎解き
 かくしてこの壁絵は、「東区から見た歴史的札幌」となりました。

 この絵図を見て、疑問を抱く方もいらっしゃるでしょう。実際の地理上の位置関係と異なるのではないか、と。おおまかには左上を北に見立てた模式図として受け止めていただいたらどうでしょう。「それにしても」と、思われるかもしれません。「豊平町の位置がおかしくないか?」と。
 豊平町の町域はほぼ、現在の豊平区、清田区、南区に及んでいました。現在の札幌市南区の最北端はすなわち旧豊平町の最北端で、その緯度は旧手稲町の真ん中あたりになります。併せて、かつての豊平町は手稲町、琴似町と町界を分かっていました。そうすると、前掲絵図に示した位置関係はウソではないのです。小樽市との山境まで豊平町だったという印象が薄れつつある中、この絵図であえて位置づけます。付け加えると、現在の北区麻生町などが旧琴似町に属していて、札幌村と接していました。

 注:1941(昭和16)年に円山町が札幌市に編入され、1942(昭和17)年に琴似村が琴似町となった後の7市町村(札幌村、篠路村、白石村、豊平町、琴似町、手稲町、札幌市)。1950(昭和25)年に白石村が札幌市に編入されたのを皮切りに、各町村は札幌市と合併した。なお手稲町が町制施行されたのは1951(昭和26)年であり、白石村存在時はまだ手稲村である。白石村と手稲町は同時には存在していない。『さっぽろ文庫・別冊 さっぽろ歴史地図〈明治編〉』1978年、p.5参照
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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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